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regret5

『ルポ・松下久文』竹嶋徹

―――これは、とあえて断りをする。筆者は松下久文自身への取材は一切していない。インタビューに応じてくれた、松下の家族、親類、友人、知人、公園で会う愛犬の犬つながりの仲間には、事実を捻じ曲げることなく、包み隠さずに彼について語ってもらっている。誇張や疑念がある情報については、彼の長年の友である筆者がそのつど判断し、訂正または削除をする。政治家の前に、父であり友でありひとりの人間である、松下久文についてのルポルタージュである。

朝がた携帯電話が鳴りました。特捜部が議員宿舎に強制捜査に入るとの話です。私は急いで秘書の澤田さんの奥さんに連絡しました。取り調べを受けた澤田さんはすでに起訴され拘置所にいます。松下は「最後の晩餐だな」といい好きな鳥わさで食事をしました。そして、名状しがたいような、振り絞るようないいかたで、「すべては『法』という天の意思が判断する」といいました。その後、お世話になった方々にお別れのご挨拶をし、身辺整理をしました。松下のカバンには、ラグビーのユニフォーム、そして敬愛する政治家、野々下弘朗先生の「荒波」という本、そして私たちの家族写真を一枚。たったそれだけをもって黙って車に乗り込むと、体の弱い私のことを案じながら家を出て行きました。先日逮捕された娘優実は19歳ながら連日厳しい取り調べを受けています。「娘が起訴されたとの連絡が入る。明日には拘置所へと送られる。不憫でならない。我が子を犯罪者にしてしまった。我欲に目がくらんだ末の仕置きとはわかってはいても、これほど辛いものはない。できることなら娘の罪が私の罪となり起訴されることを願う。何年かかっても」と最後の日記にはそう書かれていました。

―――あなたはこの事件のおおよそをご存じだったはずです。止めることはできなかったのでしょうか?

運命共同体であり、私はその覚悟を持って松下と歩み続けてきました。この世界は利権がはびこり、いわゆる権力闘争は日常茶飯事です。きれいごとのようにお感じになるでしょうが、彼は多くのひとが幸福になる施策を理想としていました。でもこのような施策は野心のある政治家にとっては非常に目障りであり、邪魔な存在です。党での自分の立ち位置を知った松下は徐々に政策の転換を図っていく必要に迫られていました。党内での存在感が薄くなることへの危機感もあいまって、松下個人のもろさが竹嶋さんの存在で露呈することになったのです。

―――僕が以前松下君に「君が逮捕されるのは時間の問題だろう」と話をしたことが発端となったのですね。

はい。金銭授受の立証や、それについての裏どり、優実の殺人教唆も証拠があるから、縄目の恥を受ける前に自首を、と竹嶋さんに諭されたと。夫は気が動転していました。もし、このことが知れると政治生命も何もかもが破綻し、罪人としてこれから生きていかねばならない。薩摩藩から累々続いた松下家の面目に関わる、と悪あがきをしていました。私は夫の人格がだんだんと変わっていく様子に、もう生きていられないとさえ思いました。最期は竹嶋さんのお嬢さんにお会いし謝罪して生命を絶とうと二人で考えました。

―――優実さんの意見はお考えにはならなかった?

優実は「本気でこの国のことを考えるのなら、政治家は国民に対して、精神の犠牲サクリファイスをささげる必要がある」といったのです。また、有権者側には、政治家の施策が正しい方向で実行されているのかには、批判ばかりでは政治家は育たない、批評というものが必要だと。極端すぎる批判や、何の根拠もない価値評価では、いずれこの国の政治はダメになっていくといって。しかし、最悪の結果となってしまいました。

成熟した国というのは、いつも政治家が見張られているような錯覚を覚える。残念ながらこの国は政治に対し批判はあるが批評はない。だからますます、政治家が奈落に落ちて行って這い上がれない状況が起こると感じる。ところで、プライベートでは、松下自身がラグビー選手だったこともあり、地元の小学生ラグビーを応援する活動を行っていた。彼ら未来のアスリートたち、またその保護者たちは、松下が国政をになう代議士で、全国大学ラグビー選手権では王座に何度も輝いている花形選手だと知っているものはほとんどいなかった。彼のことは、ただの「子どもが好きなラグビー好きおじさん」だとの認識だったようだ。政治スキャンダルとは無縁の少年スポーツの世界。コーチとして活動することで松下の心身の浄化リフレッシュに役立っていたと思われる。しかしその熱心な指導は、評判を呼びとうとう松下の素性が露見することになる逸話がある。

―――逸話は愉快なものでした。松下さんは皆より早くグラウンドに来てアジリティ練習をしていました。たまたま川の土手で犬の散歩をしていた老人がいました。彼はなにかの拍子に持っていたリードを離してしまった。犬は全速力で逃げ回る。しかし松下さんはあっという間に犬を捕まえてしまったのです。それを目撃していたジュニアたちはその俊足さ機敏さにあっけにとられていたといいます。「あのおじさんは唯者ではない」と噂が立つ。保護者のひとりHさんは語ってくれた。「犬を捕まえたあとも、『良い練習になりました』といっていって偉ぶったそぶりはなくて……松下コーチが、今回の一連の大事件を引き起こしたなど到底信じられないんです。何かの間違いであって欲しいと思っています」

過日、公職選挙法違反で逮捕および起訴された本村一露子は、われわれ大学のひとつ後輩にあたる。当時からその美しさは評判で人目を惹いた。帰国子女で英語フランス語に堪能、弁舌に長け、才能ある彼女に惹かれる男子学生は多かった。学生SとTは賭けをした。彼女を口説いてみて、もし自分になびいたらなんでも相手の要望をきく、というものだ。もちろんどちらも彼女は相手にはしなかった。あろうことか彼女は即座にSとTを警察に突き出した。その制裁は、「刑法 第185条にあたり、賭博をした者は50万円以下の罰金又は科料に処する。私はSとTに賭け事の対象にされ心に傷を負った。これは立派な犯罪である」と訴えたのだ。この後、学生の処置は教授会にかけられ、二人は自主退学という憂き目をみる。簡単に人の人生を左右させるほどの気位の高さ。それはやがて演劇という作用によって昇華する。松下とゼミが同じだったN氏は証言する。

―――本村一露子は文学部でサークル活動は演劇、松下久文は政治経済学部で体育会、このふたりに接点などないはずなのですけれども……たまたま大学祭で『オルレアンの乙女』で主役のジャンヌ・ダルクを演じた本村一露子が放った台詞に感銘を受けたようです。

―――感銘を受けたという台詞、それはどのようなものですか。

―――魔女狩り裁判でジャンヌ・ダルクが死刑を宣告される場面での台詞です。「神が我の信念を貫き給うた。ゆえに我死ぬのは恐れなし」。ちょうどその頃、松下君は自分の進む道に迷いがあるようでした。自分は政治家には向いていないのではないかと。しかし、彼女の潔さ、悪びれなさが、自信のない性格の彼を変えていったようでした。

松下君はある意味いとけなかった。あえて目の前のものをありのまま見たままを観る、というか懐疑や疑問をもたない。物自体を純粋に感じてしまうところがありましたね。まるで子どもです。それは本村一露子への倒錯にあらわれました。服従です。彼はすっかりのぼせ上ってしまいました。人間というものは自分と考えが似ているものを好ましいと思うものですが、極端な反作用のあるものをも好ましく感じます。彼に相当の遺産があることを本村一露子は知ってしまう。その後はお見込みの通りでしょう。ある日を境に今度は彼女が松下君に急接近します。やがて二人は結婚を前提として付き合うことになります。もちろん、本村一露子にはこれっぽっちも彼に対し愛情はありません。目当ては彼の財産です。「蛇に絡まれた花婿」なんて噂が立っても、ご両親に付き合いを反対されても、松下君は諦めませんでした。息子の行く末を心配したご両親は、二人を別れさせるために相手に多額の慰謝料を払うことで決着をつけようと考え実行しました。泣く泣く相手と別れさせられた松下君は今度は、有力議員のお嬢さん、今の奥様ですがお見合いをすすめられます。本村一露子のほうは、その慰謝料を元手に銀座に飲食店をオープンさせます。結婚後も彼は彼女を諦めませんでした。しかし、本村一露子はいただくものを頂いたら、あっさりしたものです。それ以降は音沙汰が無くなりまして…その十数年後皮肉なことに、今回の選挙で同じ拘置所に収監されるとは……

―――誰もが、決してロマンティックとはいえない展開だ。が、ことに男性は高い授業料を払ってでも、女神というものを信じ、崇拝するようにできている。これは、人類の永遠の謎である。愛憎がその人生を大きく変えてしまう例は枚挙にいとまがない。

さて私はこれを機会にこの世と決別宣言をしようと思う。松下久文という人間の人生に関わったことで、自分は彼を悪魔に売り渡した、その償いを。
太陽は朝露をひかり輝せたのち、だれにも見送られずに水平線の彼方へ沈んでゆく。最後のゆくえは神のみぞ知るのである。

そこで記事は終わっていた。
すでに竹嶋徹はこの世にはいなかった。父は永遠に闇の中に包まれてしまった。哀れな、情けない、悲劇であり喜劇の人。この芝居は永遠に続くのである。

新聞記者として、あらゆる人たちの十字架を背負っていた父、家族を犠牲にしても、自分の命を犠牲にしてまでも…

しかし、
私はあえて希望を捜しに行く。あらゆる人たちの希望を捜しに。
父と私は、違うのだから。

―――完―――