いつのまにか

人並みでいいから。

社会や学校で困らないようにイジメられたりしないように。

最低限でいいから。

読み書き、かけ算。少なくともこれだけは‥‥

〝これだけは〟〝これだけでいいから〟

いつのまにか子どもに向けていた親の〝期待〟

この期待が過度になり子どもを苦しめ、この過度な期待が親のエゴに変わっていく。

〝期待〟が叶わないと不満や不安、裏切られた気分や憎しみが生まれる。その負の感情が怒りに変わりいつのまにか子どもを〝教育〟という名目で叱りつける

いつのまにか。

あんなに可愛い自分の子どもを

あんなに可能性に溢れた子どもを

あんなによく笑う子どもを

子どもに〝姑息さズルさ〟を芽生えさせ、子どもの〝可能性〟に制限をかけ、子どもから〝笑顔〟を奪う。

皮肉にも親である自分自身なんだと感じた。

子どもとの関係はゲームではない。

リセットできない。

心に付けた傷は消すことができない。

いつだって子どもに傷をつけては親である自分が成長していく。

考え方の根本を考え直そうと思った。

「どうか無事に産まれてください。神様、何も望みません。この子が無事であれば。元気な産声を聞かせてください。」

こう願って。

何もいらない。何も望まない。

ただただ産まれてくれれば。

いつのまにか

この時の心が

「幸せになってほしい」という願いに変わり

「この子が幸せになってくれるなら」という強い思いから、責任感から

自分の経験の中から苦しまないように〝失敗〟を教え、早く自分の事を超えさせたくて〝成功〟を教え、他人に足を引っ張られることのないよう〝普通〟を教え、才能に早く気づき、磨いて欲しくて〝世話〟をやく

でも、これが子どもからあらゆるものを奪っていたような気がする。

いつのまにか。

いつのまにか。

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