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人生の主人公を降板すること。親になること。

そういえば、
長男が生まれる前、自治体がやってるパパママ講習(両親学級)で、
妊婦体験とか沐浴の練習とかをやったんだけど。

会の最後にパパチームママチーム5人ずつくらいに分かれてディスカッションするコーナーがあり、それぞれ子が生まれた後は育児家事をどう分担するかという話を順番にして行く感じになった。
パパはパパ同士で、それこそ膝が付くような距離で話し合う、結構真摯な空気だったと記憶している。

うちは実家が頼れないんで、なんとか夫婦でやっていくしかないんです。育児ではママがフルタイムでパパが時短のようなもの。コミット度も違うだろうし覚悟にも差がある気がする。ママの負担は計り知れない。せめて家事は主体的にやらないと。

うちは里帰り出産で立ち会えず、基本ママのご両親が育児をサポートする予定。むしろパパとしての存在感が無くなりそうで・・・なんとかこまめに訪問したいです。

みたいな各々の、わりかし赤裸々な事情を話し合ってうんうん言い合うやつなんだけど。そんななかでひとり「皆さん偉いですね、僕は一切やりません」と言う人がいて。みんな黙ってゆっくりママチームの同じ名札の人を探してしまったのを思い出した。

じゃあなぜこの講習に?という混乱もあり、いや、そんな、ねえ。ははは。。と苦笑いしてその場は終わった気がするのだけど。

いまでも、あそこで何か言わなきゃいけなかったんじゃないか?
でも何が言えただろうか?とよく考える。

その奥さんはなんだか気弱そうな人で、
向こうのグループディスカッションでも聞き役に回っているようだった。
心なしか身重の背中を丸めて、旦那さんと連れ添って帰っていった。

あの「偉いですね」には揶揄するニュアンスが含まれていたと思うし、
自分はあんたらとは違う。自分の思想があるんだ。同調圧力には屈しない。
というような、頑なな雰囲気を感じた。
あれはネットミームで言うところの「目覚めた人」だったのだろうか。

思想や価値観を容易に否定できないけど、現代の環境の中であの思想だと結構キツイ局面がやってくる気がする。
実際、育児を経験してみると、周囲のサポートなしで旦那の世話まで焼きながら1人で成し遂げられるようなタスクじゃなかった。
なんなら夫婦2人でも無理があるように思えた。

え、これほかのご家庭どうやってるの?
最初から詰んでない?
みたいなシーンに何度も出くわした。
寝るとか、食べるとかいう、自分が生きる上で必要だと考えてきたことが
ほとんどまともにできなくなるのが幼児期の育児だった。

それもどうにか乗り越えたときふと、件のパパママ講習で出会った夫婦のことを思い出す。折りに触れ、大丈夫だろうか、やれてるだろうかと。

親になるということは、自分の人生の主人公を一時降板し、子の人生の助演をやるみたいなことなんだな。と。
子供が小学校に通うようになったいまでもよく考える。
それでいいし、それがいい。
ただ子供が巣立ったときに空っぽの人間にならないようにはしておかなくちゃな。とは思うし、
鋭い切れ味が必要なときにはちゃんとそれを見せられるように、ある部分は研ぎ続けておく必要はあるのだけど。

とにかく、主人公は自分じゃない。
自分の人生を生きるのを一時お休みする覚悟から育児が始まる。
その覚悟ができないうちは結構苦労するし、うまく行かない。
そんな感じがしている。

まあ、今の自分も全然上手く行ってる気がしないんだけど。
ままならないもんだ。こいつは全く。


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