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ジャグランカという10年〜関西リーグへ〜



「府リーグ優勝!」

「関西リーグ昇格!」


チーム創設より目指していた関西リーグ!


発足より6年目にして、関西リーグへの切符を手にした。

チーム分裂、関チャレでの敗戦、キャプテンの離脱、苦しいシーズンなどを経験してきたチーム。5年間挑戦し続けてきたチームが関西リーグに昇格する日が来た。


「やっとやな!」

磨人とお互いに言い合った。


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チーム発足10年目の節目の年に、全日本選手権大阪大会で優勝することができました。

これもチームスタート時から現在に至るまで、関わった選手、応援してくださっている方々、スポンサーの方々、全ての方々によるものだと思っています。感謝しております。

今回の優勝がゴールではないですが、チーム発足から現在までの10年間を振り返ってみようと思います。チームの成長や成績など、私が感じていたことと共に、文字にしてみました。

チームの歴史を少しでも感じてもらえるのではないかと思っています。

最後まで、読んでいただけると嬉しいです。

では、よろしくお願い致します。




〜はじめに〜


チーム発足6年目に、関西リーグ昇格を決めることができました。

長かったのか、順調だったのか。

苦しいシーズンを何シーズンか過ごしたからこそ、味わえた歓喜だったようにも思います。

関西リーグ昇格を果たした1年間どのようなシーズンだったのでしょうか。

前回のお話を読んでいただくと、話がわかりやすいかもしれません。もしよろしければ、前回のお話をどうぞ。https://note.com/s_yamamoto_0930/n/ne728bf23fc8d


では、今回も、どうぞよろしくお願い致します。



①新規メンバー
②改善
③全員で戦えた





①新規メンバー


いつからシーズンスタートするのか。毎年、磨人と話し合う。

1カ月ほど間を空けてリフレッシュしてからスタートするのか。2週間ほど間をあけてスタートするのか。どちらかだった。

30代半ばにしたメンバーは、期間が空きすぎるとコンディションをもどすのに、時間がかかる。

話し合いの結果、2週間の休みを取って、6年目のシーズンが始まった。


どのチームもだか、選手がシーズンごとに入れ替わる。退団と入団。ジャグランカもそうだった。

数名がジャグランカを去り、新しく数名がジャグランカのユニホームに袖を通した。

その中の1人長坂和志。彼はこのシーズンからジャグランカに在籍している。サッカーで磨かれた状況判断やキックの精度を持ち合わせ、得点感覚は非常に優れている。

そして、もう1人。橋本竜一。彼は言わずと知れたゴールハンター。わかっていても彼を止めるのは困難。ターンからの右足からのシュートは、本当に強烈。対戦したどのチームも決められた経験はあるだろう。


以前からジャグランカにいたメンバーと、和志と竜一などの新規メンバーとコミュニケーションを取る日々が練習から続く。

リーグ開幕戦に向けてチームは順調にスタートできた。




ジャグランカにとって、6年目のシーズンが幕を開けた。

目標の関西リーグ昇格に向けて、結果も内容も求めていた。




開幕戦。 

8-1で勝利。



新規メンバーの和志と竜一も得点を決めて、チームの雰囲気は一気によくなった。

第2節も勝利。勝ち点を順調に積み重ね良い調子だった。

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だが、第5節で敗戦してから、調子が上がらなくなった。メンバーみんな能力は高いし、気持ちも十分。

だが、チーム全体として、どこか歯車がうまくまわっていないような気がした。


リーグ半分が終了した時点で、5勝3敗1引き分け。後半戦も前半と同じような成績では、目標には届かない。


後半戦に向けて改善が必要だった。







②改善



後半戦はチームが変わった。


その理由は、コミュニケーションだったと私は思っている。

選手間のコミュニケーション。

自分がどういうイメージでプレーしているのか、味方選手がどう思ってプレーしていたのか、お互いにすり合わせる。練習から細かいプレーまで話していたように思う。

ボールの回し方やプレスのかけ方、セットプレーの動くタイミングなど。ミスが起こったり、息が合わなかったりした時は、話し合っていた。


そして、互いに相手に求める。プレーの精度と戦う気持ち。


その小さな積み重ねが、後半戦の結果に繋がる要因の一つだったと思っている。


前半戦に負けたチームにも勝つことができた(当時、大阪府1部リーグは全18節あり、同じチームと2回対戦していました)


最終節。

大きな自信を持って迎えることができた。最終節に勝てば大阪府1部リーグ優勝。

後半戦は、全て勝ってきていて、勢いもあった。



最終節の相手は、大阪成蹊大学フットサル部(現在ジャグランカの#6内山大樹と#11森田悠介も当時在籍していました)

一度負けていたチーム。




前半は0-2と負けていた。ハーフタイムに選手間でコミュニケーションを取り、後半に向けて改善点を話し合った。

後半、橋本竜一の得点もあり何とか3-2と逆転することができた。



14勝3負1引き分け

優勝することができた。

大阪府1部リーグ優勝。

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③全員で戦えた




3度目の関チャレがやってくる。

最終節が終わってから1カ月ほどの準備期間があった。


新規メンバーと既存のメンバーとのコミュニケーションも図れ、チームとしてまとまっていた。その頃になると、主に2セットで戦うようになっていた。

磨人、竜一、和志、恩田学のセット。

私、大谷、松岡、前田のセット。


それぞれのセットの良さを出し合い、試合に向けて調整していた。


コミュニケーションを取り続ける。コンディションを上げる。セットプレーの確認をする。戦い方をチームで共有する。セット間でも互いのプレーについて話し合う。

私のセットでは、「とにかく、ディフェンスを集中しよう。無失点で1stセットに繋ごう。」などと話していた記憶がある。


全員で気持ちを強く持って、関チャレに臨むことができた。






2016年2月11日。生駒市総合体育館。

その日がやってきた。



1試合目。

開始すぐのプレーで、ゴレイロが相手と接触してプレーができなくなり、負傷交代。いきなりのアクシデント。

交代で入ったゴレイロもしっかりとプレーしていた。試合終盤の相手のパワープレーにも耐えて何とか1試合目勝利した。




2試合目。

1日3試合なので、体力もある程度考えておかないといけない。この試合で少しでも体力を置いておければと考えていた。


試合は、点差も開きジャグランカリード。後半の1半ばまで時計の針を進めることができた。

セットに入っていない選手もピッチ上に立ち、力の限りプレーした。1年間通して、満足に出場することもあまりなかった選手もいる。全員が、チームの勝利のために自分が出来ることを、とにかく精一杯していた。

ベンチからもいつも以上に鼓舞する声が出ていたように思う。全員で戦い、一体感があった。


結果、2試合目も勝利し、決定戦に進むことができた。




2セットに入っているメンバーは、2試合目に体力をたくさん使うことなくプレーできた。3試合目に体力が残っていることが大事なことは、これまでの関チャレの経験上知っていた。本当にアドバンテージになる。




3試合目。決定戦。

勝つと負けるとでは、全く違う。次のシーズンを占う一戦だ。とても緊張したことを覚えている。チームも少し硬さはあったかもしれない。

序盤こそ無得点で試合は進むが、だんだんジャグランカの方がリズムを掴み、得点も重ねる。




試合終了のプザーが鳴った。夢中だったのだろうか、試合の内容はほとんど覚えていない。


しかし、ブザーの音は覚えている。

勝利を告げるブザーだ。





勝利。

その日1日チーム全員で戦い、掴んだ「全員の勝利」だった。

関西リーグ「昇格決定の勝利」だった。





チーム発足以来ずっと目標にしていた関西リーグ。

5年間という期間の中で、1年1年メンバーは違ったけど、目指す目標は常に同じ「関西リーグ昇格」だった。

後1勝で切符を手にするシーズンもあれば、全く届かないシーズンもあった。発足からずっと一緒に目標を目指していたメンバーの離脱もあった。

いろんなことを経験して、何度も悔しい思いをしてきたからこそ、嬉しかった。ただただ嬉しかった。





「やっとやな!」

発足から一緒に戦ってきた鈴木磨人と言い合った。

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〜終わりに〜


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

チームのことが、少しでも伝われば嬉しいです。


ジャグランカ発足以来関わってきたメンバーがいて、応援してくれた方々がいて、ピッチにいた選手が身体をはって、ベンチにいた選手やスタッフがいて、目標である関西リーグに昇格ができたと思います。


その後チームは、昇格した勢いのまま、関西2部を戦うことになります。7年目は、新規メンバーも増え、新たな課題もたくさんありました。

次回のお話は、発足7年目と8年目です。また次回も読んでいただけると、ありがたいです。

ありがとうございました。

では、また。



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