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でも涙が出るのはなんでかなあ


悲しみを隠さずにそのまま他人の前でさらけだしてしまうのはすごくみっともない、と思っていて、いやでも時々我慢できずに「こんなにつらくて可哀想な私に寄り添ってよ!」と世界中に言いたくなってみっともなさ5億点みたいな自我を撒き散らすつぶやきを深夜にSNSに投稿したりもする未熟で矛盾した人生なんだけども、とにかく私は「人前で、自分の感情に任せて無防備に泣くのはみっともない」という価値観をずっと抱えて生きている。
この「自分の感情」というのは、ほんとうに個人的な体験からの悲しみであって、物語やうつくしいものに触れたにこころが揺さぶられて沸き起こる涙、というのは含まれていません。
あ、お察しの通り日記です。

私のことに興味を持ってくれている人のなかには、これまで散々ツイートもしまくり日記も書き連ねた挙句にいつまでもぐずぐずじめじめと父親のことを引きずっていることを匂わせてきてうっとおしいなこいつと思われてるかもですし、今から書くことをは?何をいまさら?と思われてしまうだろうなとは思うんだけど、なんか一歩進めたなと自分では思うという記録。

私はいまの会社に入社したての頃、父親の死と、繋ぎでやってたアルバイト(全然向いてない営業職)で受けたパワハラと、その前にやってたアパレルの仕事(全然向いてない接客販売)でメンタルがカッサカサになっていて、なおかつ入社したいまの部署も営業部署で、なんかもう病みまくってずっと他人との接触を避けていたんだけども、この間、会社の先輩と個人的にくだけた場で深くお話をさせていただける機会があって、「昔はあんまり話したこと無かったよね」から「入社したては父親が死んだばかりでナーバスになっておりまして……」とお恥ずかしいなと思いながらも自分の話をしたら、先輩が「私も同じ年齢ぐらいの頃に母親を失くしたけど、もう10年以上経つのにまだ引きずってるよ」と教えてくれました。
その瞬間に急にふわっと肩から力が抜けて、「私、最後にお父さんに会った時、ご飯行こか?って誘われたのに、嘘ついて断っちゃったことまだ引きずってて、頭から離れないんです」って思わず、ほんとに親しい人相手かネットでしか言えなかったようなことが口から出て、ついでにじわっと目も潤んでしまって、「わーすみません気にしないでくださいそういう変な風に持っていきたかったんじゃないんです!」ってあわてて涙引っ込めるということがありました。
おかげでその夜は帰ってから湯船につかりながら「何年引きずってても、みっともないことでも恥ずかしいことでもないんだ」と思えて、とても穏やかな気持ちでぐっすりと眠れました。

ここまでが長ったらしい前置きで、今朝、日記を書きながらふと、父親のことを思い出した途端、突然水道の蛇口を思いっきりひねったみたいにどばっと涙があふれてきて、涙だけじゃなくて嗚咽もとまらなくて、父親が死んだ直後以来、数年ぶりに父親のことを思って声を上げてわんわん泣きました。
人前で父親のことを話す度に、目は潤んでしまうんだけど、その度に「悲しくなっちゃだめ」といつもいつも感情を押し殺してやり過ごしてきたけれど、やり過ごしたつもりでいて、その度に涙は蓄積されていたんだな、と思った。それくらいワーッて泣いてしまった。人間て感情が溢れ出すと「あー……」って言いながら泣くんだな、映画みたいだな、ってどっか他人事みたいに思えた。
泣きながら、父親の顔を思い出してみた。
写真の父親の顔ばかり出てくる。本人と過ごした時にはじっと顔を見ていなかったんだなって思う。私はたぶんお父さんと目を合わせて話すのが苦手だった。お酒飲んでなかったら気難しげで話しかけにくいし、お酒飲んでたら飲んでたで説教垂れるし文句言いだし、すぐ死にたいとか言うてめんどくさいし、正直2人きりでお父さんと何話したらいいかなんて分からんかったし。気恥ずかしくもあったし。
おとんの写真はほとんどなくて、私の小学生の頃、運動会に来てくれた時に撮れた奇跡的な笑顔の写真(うちの父はカメラを向けると99%変顔をする為マトモな写真がほぼない。今思えば照れ隠しだったんだろうな。子供の頃はうちのお父さんはふざけてばっかりで恥ずかしいと思ってた)とか、あとは新婚旅行のときに誰か他人に撮影してもらったのであろう、テーマパークの花壇の前で母と棒立ちで緊張ぎみにこっちを見ている写真とか、あと、遺影に使った、祖母のお見舞いに行った時に病院の向かいの公園でまだ乳幼児だった甥っ子を抱いている写真。
遺影の時の写真は多分、お葬式の間はもちろん、遺影の相談をする時とか、お葬式が終わったあともしばらく飾っていたし、長く見つめる機会があった為かしっかり記憶に残ってる。不思議なのが、遺影に使うためにトリミングしたのに、トリミング前の余計な情報が含まれている写真が最初に思い起こされる。余計な情報とは、後ろで桜が咲いているとか、すこし曇り気味の空とか、父に抱かれている甥っ子の、頬の赤い発疹とか。あと私たちのぎこちなさとか。
そんな余計な情報を辿りながら、私は心の底から父を愛していた、と思った。ハッとした。衝撃だった。稲妻に打たれた、というほど強いものではないけど、曇り空の向こうにさっと一瞬だけ光った遠雷を見たような。
「愛」なんて仰々しくて小っ恥ずかしい言葉は、自分の人生に出てくる言葉ではないと私はどこかで思ってた。それは物語のなかだけのもので、もしかしたらそれを死ぬまで理解出来ずにいるのだろうなと諦念もあった気がする。
私はお父さんのことを愛している。だからいまもこんなにみずみずしくて熱い涙がこぼれてしまう。私が父を愛しているのと同じくらい、父もきっと私を愛してくれていた。だからきっと、私が嘘をついたことなんておとんは怒ってないよ、わかってる。でも涙が出るのはなんでかなあ。
私はお父さんが死んだ時に、霊安室でお父さんの着せられた浴衣の模様を見ながら「もう絶対にこんな後悔をしないようにする」と決めたはずなのに、どうしてちゃんとできてないんだろう。
これが「愛」なのか、もし違ったとしても、いま、この情動を知れて、良かった。こころが、お風呂にながく入ったあとの指くらいふにゃふにゃにふやけてるなぁと思う。こんな脆弱なこころじゃ社会と闘っていけないよな。私はほんとうに、ずっと、生まれた時から、これから先死ぬまでずっと、色んな人の愛で生かされてる。
たまには声を上げて泣いてみるのもいいものかもしれないなという気付きでした。おしまい。

(朝、部屋のソファーの上でべしょべしょに泣きながら 20240217)

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