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アニメ平家物語3話背景

ここでは感想というより見ていて知らなかったことやよくわからなかったことを調べてまとめています。

⛔少しネタバレはあるかもしれません。見たくない人はここで離脱してください。(原作が古典なのでネタバレといってよいかわかりませんが…)

時代

徳子が入内してから6年後~鹿ヶ谷の陰謀より、1177年6月頃になります。

準構造船

重盛一行が厳島神社に行くために使った船。当時はまだ技術が発達しておらずこのような原始的な船を使っています。動力は風力なのでしょうか。結構運任せですね。

平安時代の船の構造はどういうものであったか?

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青海波せいがいは

青海波は雅楽の楽曲です。
後白河法皇の50歳の祝賀会で維盛が舞い、「光源氏」の再来だと維盛は大人気になったようです。イケメンに描かれています。
3話の曲は、曲名はわかりませんが、青海波ではないようです。蘭陵王(らんりょうおう)という曲です。

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平滋子たいらのしげこの死

後白河法皇の女御の滋子は1176年8月に亡くなりました。34歳。死因は二禁(腫れ物)です。やはりこの時代は寿命が短いです。
滋子は後白河法皇と清盛との調整役だったので、死後は2つの勢力は対立します。

後白河法皇と資盛が歌った今様

後白河法皇が「滋子に会いたい...」と言って資盛と歌った今様です。
今様は歌詞は残っていますがメロディーやリズムは不明です。

恋い恋いて たまさかに逢いて 寝たる夜の夢は 如何見る
さしさしきしと 抱くとこそ見れ
~ 梁塵秘抄 ~
恋しくて恋しくて、その恋しい人とやっと逢えて抱き合った、その夜の夢は何を見よう。
互いの腕と腕を差し交わし、きしりと音がするほど抱きしめあう、そんな夢を見続けていたいよ。

白山事件

その頃加賀の白山寺が勢力を拡大しており、国領まで荘園を広げてきました。その為、加賀守の藤原師経ふじわらのもろつね藤原師高ふじわらのもろたかの代理で弟)が怒り、白山領の湧泉寺ゆうぜんじを焼き払いました。

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白山寺は延暦寺と繋がりがあり延暦寺の明雲は師経を罰するように要求します。

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師経、師高の父は後白河法皇の側近の西光。
法皇は師経を擁護しながらも、延暦寺側に圧され、師経を更迭、雑物返与、備後国に配流の罰を与えました。

ところが延暦寺側は納得せずに強訴を行いました。その護衛に任せられたのが重盛です。

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当時神輿は神人意外触れないのですが、重盛の兵の矢が神輿に当たってしまい、死者も出してしまいました。翌日、祟りや更なる強訴を恐れ、師高の更迭と備後国への配流が決定しこの事件は沈静化されました。

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白山信仰とその歴史

安元の大火

この火事で平安京の1/3が焼けました。重盛の屋敷も焼失しました。これに対して、救済措置を行わなかったため政情不安が高まりました。

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鹿ケ谷の陰謀

鹿ヶ谷の奥にある鹿谷俊寛別荘で後白河法皇、西光、俊寛しゅんかん藤原成親ふじわらのなりちからで平氏打倒の密議がされました。源氏の名前も登場します。

これが密告され西光は拷問を受け斬首されます。俊寛と成親は流罪。成親はその後殺害されたようです。この事件で平氏と後白河法皇の関係は修復不可能となりました。

藤原成親

左から成親、俊寛、西光

登場人物

平宗盛たいらのむねもり CV 檜山修之

清盛の三男で時子との長男。この時「右大将」。意地悪く描かれています。

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平資盛たいらのすけもり CV (大人)岡本信彦(子供時代)小林由美子

殿下乗合事件を起こした資盛です。その後順調に出世しているようで、この時「正五位下」です。徳子の侍女の建礼門院右京大夫が好きなようです。10代後半の自信に満ちた若者に描かれています。

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建礼門院右京大夫けんれいもんいんうきょうのだいぶ CV 本泉莉奈

徳子に仕える女性。女房歌人としても優れ「建礼門院右京大夫集」という歌集が残っています。

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小督の局こごうのつぼね

高倉天皇の寵愛を受けた女性。そのため清盛からは嫌われていました。
そうの名手。

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藤原西光ふじわらのさいこう CV 土師孝也はし たかや

阿波国の豪族の出身。藤原家成の養子となり藤原姓を名乗ります。藤原家成の子成親とは義兄弟の関係。後白河法皇の相談役のような地位にいました。

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ひとこと

法皇も平氏も権力争いばかりで全然政治やってませんね。酷い。


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