アニメ平家物語4話背景
ここでは感想というより見ていて知らなかったことやよくわからなかったことを調べてまとめています。
⛔少しネタバレはあるかもしれません。見たくない人はここで離脱してください。(原作が古典なのでネタバレといってよいかわかりませんが…)
時代
鹿ケ谷の陰謀から重盛の死までより、1179年6月~7月29日になります。
卒塔婆流し
鹿ケ谷の陰謀で流罪となった藤原成経と平康頼が流罪地の薩摩国鬼界ヶ島で謝罪や故郷を懐かしむ歌を千枚の卒塔婆に書いて流しました。
そのうち一枚が厳島神社の鏡の池に流れ着き、それを聞いた清盛が憐れんで二人を放免しました。しかし俊寛は許されませんでした。
厳島神社に流れ着いた卒塔婆に書かれていた歌二首
薩摩方 沖の小島に 我ありと 親には告げよ 八重の潮風
思ひやれ しばしと思ふ 旅だにも なほ古里は 恋しきものを
鬼界ヶ島は鹿児島の喜界島か硫黄島と言われています。
「俊寛流刑の地,鬼界ヶ島伝説」が残る三島村硫黄島
厳島神社に流れついた跡
宮島・厳島神社「卒塔婆石」
盛子の死
徳子の妹の盛子が亡くなります。享年24歳。9歳で嫁ぎ2年後に夫を亡くします。夫は近衛基実。基実は摂政、関白にまでなった実力者、基実の死後は実質的に盛子が家長となっていました。
(世間の噂では)異姓の身で藤原氏の所領を押領したので春日大明神の神罰が下った
~ 玉葉 ~
治承の辻風
竜巻が京都に発生し大被害が出たようです。検索すると方丈記の方がヒットします。
方丈記『大火とつじ風(また治承四年四月のころ中御門京極のほどより〜)』の現代語訳
安徳天皇生まれる
徳子と高倉天皇の間に安徳天皇が生まれます。幸せそうな徳子が一瞬映りますが、子どもが平家の繁栄に利用されるとわかると顔が曇ります。
熊野古道
熊野古道参拝は平安時代から始まったそうです。詳細は公式HP参照。
熊野本宮大社の背景美術はさすが完璧でした。
熊野本宮大社
今様
後白河法皇は毎回今様を歌ってくれます。辛く思い場面が続く中ほっこりできるシーンです。
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ
~ 梁塵秘抄 ~
無文の太刀
重盛は清盛の葬儀で身に着けようとしていた紋のな無い太刀を維盛に譲ります。重盛は清盛よりも先に死ぬことを悟りました。
維盛が始めに期待した小烏丸は平家の家宝で現在皇室の私有財産として残っているようです。
重盛の死
享年42歳。死因は胃潰瘍のほか、背中にできた腫瘍、脚気などいくつか言われています。
登場人物
平清経 CV花江夏樹
重盛の三男。横笛の名手。
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