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「ハイウェイ・ホーク」第二章 運命(7/7)【創作大賞2024ミステリー小説部門】

 数日後、安井のチーム四人は夜間規制の仕事を終えて、明け方の四時ごろに大阪支店に戻ってきた。資材の後片付けを終わらせて、私服に着替えてそれぞれのデスクに腰を下ろしたときには五時前だった。その日は四人とも夜勤明けの休日を取っていたので少し気が抜けたのか、酒盛りをすることになった。川口が缶ビールを冷蔵庫から出してきて各自のデスクに置いた。つまみは中野が買い置きしていたポテトチップスを拝借した。安井も野村も凍てつくような寒さの中で長時間作業をやってきた後に、冷たい缶ビールを飲むのは少し躊躇したが、やはり一仕事した後のビールは美味い。
「今日も寒かったっすよねぇ。この時期の夜勤はきついです。早く風呂に入りてぇ。それにしても、渡辺の嫁さん、もう落ち着いたんですかね」
 川口がおもむろに渡辺の話題をした。
「そう簡単には割り切れないじゃないか。本当の意味で立ち直るには、五年も十年もかかるよ」
 安井がしみじみと答えた。

「そう言えば、昨日支店長が言ってたんですけどね。渡辺は当然生命保険に入ってたんで、いくらかの保険金は嫁さんのところに入るらしいですけど、安い保険にしか入ってなかったから、たったの三百万円ほどで、これじゃこの先親子二人で生きていくには少なすぎるんで請負業者のところに行って、なにか補償してもらえないかって掛け合ったらしいんです。請負業者もそんな大企業じゃありませんし、自分の社員にも満足な補償もしてやれないのに下請けの面倒までは見れないって、それでわざわざ公団に相談しに行ったらしいんですよ。そしたら公団のやつらから門前払いされたらしですよ。あいつらちょっとは罪悪感とかないんですかね」
 川口はちょっとした話題提供につもりで言ったつもりだったが、その場にいた三人の顔が一瞬にして曇った。
「おまえそんな話、よくそんなテンションで話せるよな」
 品川が空気を変えようと川口をいじった。
「わしらはあいつらにしたら使い捨ての駒やな。いやひょっとしたら、駒が一つなくなったことにすら気が付いてないんやろな。十年前もそうやったわ。木村って若いやつがダンプにはねられて死んだときも、他人事を装っとったなあ。渡辺の葬式の時も弔電すら送ってきよらん。わしらのことどない思とんのや。おれは一人もんやけど、皆んな家族がおって、自分らの人生があって、守らんならんものを必死で守って生きとる。あいつらかて同じやろうに。それが立場がちょっと違うだけでこうも扱われ方が違うんかいな。世の中、不公平にできとるよなぁ、安さん」
 疲れた体に一気にアルコールを流し込んだせいか、野村の口から愚痴がこぼれ落ちた。
「使い捨ての駒ですか。全く同感ですよ。おれたちは一生、駒として扱われるんですかね。命張ってやってるんですけど。でも仕事には誇りを持ってますよ。決しておれたち駒なんかじゃない。それって公団のやつらだけじゃなくて、世の中の人はだれも知ったことじゃないんですよね。使い捨ての駒は駒として終わる運命なのか・・・。」
 安井はいわれのない借金にまみれて、もがきながら生きている自分の境遇と照らし合わせてしまった。しかしふと事務所のロッカーの上に置かれた渡辺の写真が目に入った。川口が渡辺の葬式に後、写真立てに入れて皆の目につくロッカーの上に飾ってくれていた。

 写真の中で笑っている渡辺は何を考えているのだろうか、酔った頭で安井はそんなことを考えた。二十一歳だった。使い捨ての駒でなかったら、あと何十年生きられただろうか。家族と幸せに暮らし、子供の成長を見続け、好きだった魚釣りやスノーボードをやり、マイホームを立ててさらに気合いを入れて仕事に打ち込み、歳を取れば孫と遊んだり、奥さんと旅行に出かけたり・・・、人並みの一生を全うできたのなら、渡辺ができたことは数え上げればきりがない。何もかも知らないまま人生の幕を第三者に引かされたのである。
「笑ってられる訳ないのに、なんでおまえ笑ってんだ。」
 安井は心の中でつぶやいた。渡辺の亡骸は火葬されて土の中に葬られた。しかし渡辺の失われた青春は、だれがどこに埋めてやればいいのだろう。
 渡辺の無念、ここにいる品川、川口の照らされることのない未来、野村の生涯癒えない心の傷、何もできない自分の弱さを安井は嘆きたかった。しかし釈然としない。自分たちには何の非もないのだ。
「おれたちだって、命張って仕事して、家族守って、必死で生きているんだ。そりゃ世の中を動かしてるような政治家程立派なことはやってない。だが使い捨てにされるいわれもない。なのに何だ、この口の中から吐き出したくなるような空虚感は・・・。このまま終わらせない」
 安井はすでに二本目のビールに口をつけていた。品川は安井が言った、“このまま終わらせない”って、何を終わらせないのか理解できなかったが、聞き返せるような空気でもなかった。しかしこの空気を読まないやつもいる。川口だった。
「安井さん、いっそのこと公団にやつらから、渡辺の奥さんの生活費巻き上げちゃいますか」

 川口は名古屋の高校を卒業して、地元の名古屋支店に配属され、六年近く転勤することがなかったが、その後、大阪支店勤務になった。品川に追いつこうと熱心に仕事に励んでくれていた。陽気な性格だが少し場の空気を読まないところがある。品川のような攻撃的な人格ではない。
「川口、どうやって巻き上げんだよ。訴訟でも起こすのか。そんなことしたって勝てるわけないだろ。それに訴訟を起こすのもただじゃできないんだぞ」
 品川が馬鹿にしたように言った。
「そしたら脅迫とか誘拐とか、非合法的なやり方しかないですね」
 川口が気楽に答えた。
「犯罪じゃないか。おれたち犯罪のプロでも何でもないのにうまくいく訳ねーだろ。それに捕まったら人生終わっちまうぞ」
「捕まらなきゃ、いいんだろ」
 品川の問いかけに、安井から思いもよらない返事が返ってきた。
「冗談やめてくださいよ。安井さん、ご家族がいるんですから、滅多なことはできませんよ。お子さんたちが路頭に迷うことになります」
「元々、支払われるべき金をいただくだけのことさ。私利私欲で言ってるんじゃないよ。おれたちの手で渡辺の家族が一生困らないようにしてやりたい」
「気持ちはわかりますが、それで犯罪をやっちゃうんですか。それとこれとは違わないですか。それに勝算はあるんですか」
「勝算はある。高速道路の上はおれたちの独壇場だ。おれたち以外の人間は自由に動くことができない」
「それはそうですが、どうやって大金を高速道路の上まで持って来させるんです」
「そこまで考えてない」
「それじゃ、だめじゃないですか」
安井と品川のやり取りが続いた。そこに川口が割って入った。
「公団のやつらを脅迫して金を出させましょう。ぼくにいい考えがあります」

「通勤電車の詩」を読んでいただきありがとうございます。 サラリーマンの作家活動を応援していただけたらうれしいです。夢に一歩でも近づけるように頑張りたいです。よろしくお願いします。