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【連作短編小説】「ジャパニーズ・フィフティ・ピープル」(山下 正人)

 今年で五十二になる建設課都市交通係長の山下正人には三人の部下がいた。四十代男性の高岸。三十代女性の橋田。二十代男性の森本。正人は彼らとの関わり方に悩んでいた。
 当然といえば当然だが、若ければ若いほど彼らの考えていることは分からなかった。安易にカテゴライズするのが良くないと分かってはいるのだが、そうでもしないと彼らのことを宇宙人かなにかとみなして余計遠ざけてしまいそうだった。
 三人はそれぞれ年齢的に、氷河期世代、ゆとり世代、Z世代と呼ばれるらしい(世間が真っ先にカテゴライズするのだから自分がそうしてしまうのも当然だと思う)。
 この間の係内の懇親会など酷いものだった。
 幹事を任せたZ世代の森本に「店どうなってる?」と何気なく尋ねたら、返ってきたのはこんな言葉だった。

「駅前のファミレスにしようと思って、特に予約とかはしてないっす」

 正人は仰天した。森本は二年目の職員で飲み会も何度も参加しているはずなのにどうしてそうなるのか。

「ファミレスで飲み会とか楽しそうですね」ゆとり世代の橋田もそのように同調するので正人は呆れた。

 その際はさすがにまずいと思ったのか、氷河期世代の高岸が代わりに幹事を務めてくれ、懇親会は役場近くの焼き鳥屋で行われた。
 懇親会でも正人は森本や、ときには橋田にも思うところがあったが、古い人間だと思われたくなかったので指摘するのは我慢した。それでも高岸が酒をついでくれるのになぜ後輩である森本は自分はそれをしなくて良いと思っているのか、正人には理解できなかった。
 残業代が出ないから行かない、などと頓珍漢なことを言って飲み会自体を欠席しないだけマシか、正人はそう思い、こっそりため息をついたものだった。
 正人が若い頃は体育会系の考え方が根強く残っており、学生時代に所属していた野球部にはまだ鉄拳制裁なるものも存在していた。
 先輩の言うことは絶対だった。大して上手くもない先輩の代わりに昼食や煙草を買いに走ったのも一度や二度じゃなかった。正人が上級生になると後輩を同じように使った。
 加賀屋町役場に就職してからは、体育会系のノリばかりでもなかったがそうすると先輩からのウケが良かった。
 飲み会では率先して学生時代に覚えた一発ギャグをやり、酒を注いで回り、服を脱いで周囲を笑わせた。
 今そのような新人がいたらすぐに町長室に呼び出され正人より年下の町長から何らかの処分が下されるだろう。時代が変わったのだ。


 妻の綾子と知り合ったのは加賀屋町役場だった。当時、昼休みにパンを売りに来ていた綾子に一目惚れした正人は猛烈にプロポーズして綾子と交際を始め、すぐに結婚した。

「一応結婚しとくけど先のことはどうなるか分からないから」

 妻はよくそんな言い方をした。

「一応言っとくけどそんなこと言ってたらどんどん世間から取り残されちゃうよ」

 これはいつだったか、正人が職場の部下たちのことを綾子に愚痴ったときに言われた言葉だった。
 正人はムッとしたが、言い返すことはできなかった。当時は四十代も終盤に差し掛かっており、世間から取り残されるということを実感として感じることが多くなっていたからかもしれなかった。

「若いやつの考えることが分からん」

 その日、正人は家に帰るとスーツも脱がずに妻にそう言った。森本が腹痛のためと言って二時間遅刻してきた日だった。
 もちろん正人は腹痛で遅刻したことはなかったし、もし出勤できないほどの腹痛であれば必ず病院に寄ってから出勤しただろう。心配をかけた上司に医者から言われたことを伝える必要もあるかもしれない。
 正人にとっては仕事を休むということはそれだけ大事だったが、Z世代の森本にとってはそうではないらしかった。

「一応言っとくけど」妻はそう前置きして言った。「体調が悪くて休むのは当たり前なんだから、それで目くじら立てるのは、もしかしてその部下を疑う気持ちがあるからじゃない? 例えば寝坊したのに嘘をついてるんじゃないか、とか、サボろうと思ったんじゃないか、とか」
「そんなことは……」正人はそう言いかけたが、改めて思うと自分の中にそんな気持ちがなくもない気がしてきた。
「若いからってなんでも決めつけないで、もう少し話を聞いてあげてもいいと思うけどね。例えばその部下の趣味とか知ってる?」
「いや……知らない」

 思えば一番年の近い高岸とはたまに話をするが、女性の橋田や年が離れている森本とはほとんどプライベートな話をしたことがなかった。

「話してみたら意外と趣味が合ったりするかもよ。ほら、ハマちゃんとスーさんみたいに」

 釣りバカ日誌のハマちゃんとスーさんがいくつ離れているか知らないが、果たして彼らと共通の話題があるだろうか。少なくとも釣りをやる彼らの姿は、正人には想像できなかった。
 正人は煮え切らない気持ちのままその日は床についた。


 翌日の昼休み、正人は午前中に注文していた弁当を食べ終えたタイミングで、事前に考えてきたことを森本に尋ねた。
 加賀屋町役場の職員は一部の昼休み当番や外に食べに出る職員を残して自席で食事をとるため、昼休みだが都市交通係は全員がその場に残っていた。

「森本は、休みの日とか、その、何してるんだ?」

 森本は少し驚いた顔をした後に、「別に、何もしてないっすね」と言ってそれまで見ていたスマホに顔を落としてしまった。
 正人は挫けそうになるが、昨日の妻の言葉を思い出し顔を上げると、続いてまだ手作り弁当を食べていた橋田の方に目をやった。

「その、橋田さんは趣味とか……?」
「私ですか? 私は音ゲが好きですね、ポップンとかテクニクビートとか」

 正人には橋田の言葉がどこか遠い宇宙の言語のように聞こえた。

「……へえ、そっか」

 今度こそ正人の心は挫けてしまった。
 その後、気を使ってくれたのか四十代である高岸が車やバイクの話題を振ってくれたので、話はそこそこ盛り上がったが、残りの二人とはそれまで以上に溝が深まったような気がしていた。

『一応言っとくけど、一回話しかけて失敗したからって諦めてちゃ、一生他人のーーそれも世代の違う人のことなんて理解できないからね』

 すまん、俺は若いやつらの気持ちは理解できそうにない。
 空想の妻の言葉にそのように返事をして、正人は昼からの仕事の支度を始めた。


「あれ、係長じゃないですか?」

 三十近く年の離れた部下からそのように声をかけられたのは、正人が部下のことを理解するのを諦めた三日後の土曜日だった。
 妻とイオンに来て、途中から別行動をしてCDショップを見ていたところを、後ろから声をかけられたのだった。
 森本は若者らしいファッションに身を包み、隣には恋人らしき森本と同い年くらいの女性が立っていた。そしてその手には、一枚のCDが握られていた。

「森本、お前、ビートルズ聞くのか?」

 正人は森本が持っていた『アビイ・ロード』を見て言った。ビートルズ十二枚目のオリジナルアルバムで、名盤揃いのビートルズのアルバムの中でも正人が最も好きなアルバムの一枚だった。

「好きなヒップホップのアルバムの中でサンプリングされてたから原曲も気になって。ずっとユーチューブで聞いてたんだけどCDも持っときたくなったんですよね」
「そうか」正人は顔がにやけそうになるのを堪えて言う。「そのアルバム、持ってるけど良かったら貸そうか? 他にもおすすめが何枚かあるけど」
「ほんとですか? 給料日前なんでまじでありがたいっす。コピーして返します」

 上司を拝みながら言う森本の気持ちが正人にはよく分かった。新人公務員の薄給では、CD一枚でも高級品だろう。

「一応言っとくが、俺はビートルズにはうるさいからな。貸したらしつこく感想を聞くかもしれないぞ」
「えー俺らの世代ってヤバいとかエモいくらいしか言えないですよ」そう言って森本は笑った。
「別にそれでもいいよ」

 好きなものを褒めてくれるならヤバいでもエモいでもなんでもいいと正人は思った。人の心が動くことに年齢は関係ないのだから。

「また来週も頑張ろうな」
「はい」

 二人はそう言って別れた。




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