個人開発のゲーム開発の概要について

この記事の概要

最近個人開発としてゲーム開発をしてきたわけだが、言葉にまとめられる程度に言語化できるようになったので、ここに事業について書こうと思う。
個人開発アドベントカレンダーというのがあるのでそこの番外編扱いで投稿しようと思う。
ゲームの内容については書かない。
またゲームはスマホ向けアプリでもないので、ゲーム会社への転職のお誘いは基本お断りしている。

今年の概要

売上:500万円/年。
主要な経費が外注費とパッケージ費でそれを引いた粗利益率は80%くらい。
工数は年間550時間程度。
時間単価1万円を目指していたので届かなかったことは不徳のいたりというほかない。理由は計画変更で開発途上のプロダクトが多く出た点。後述のスケジュールミスが原因。

著者のステータス

本業はサーバサイドエンジニア。Ruby中心。javascript+cssは一通り。AWSなどインフラはおまけ程度。
API設計やテーブル設計が得意。
勤務先は内製開発のWebサービサー。

担当した行程

全部。当然でしょ?
企画して設計して実装してプレビュー版をプレイさせてフィードバック得つつ改善。
外注先を選定して仕様定義して発注して検収して支払いする。外注はほぼイラストとパッケージ製造だけ。
直販はもちろん、委託販売先と調整して諸条件Fixして代理販売してもらう。
サポートも自分で。フィードバックやバグ報告を受けてもろもろ修正。パッチ公開まで対応。
さらに収集した各種数値を踏まえつつ、続編を作るか、新シリーズにスイッチするかを決定し、次の企画に移る。

ゲーム開発を通してやりたかったこと

仕事では大きなサービス群の一部の部分的な工程を担当している。
これは分業制の都合なので理解している。Webサービスの内製開発では比較的広い工程を担当できるが、それでも部分的にならざるをえない。
これだけでは自分の視野やスキルが狭い領域に集中することになる。

自分は「なぜこの機能が必要なのか?」「何の問題を解決するのか?」「なぜこの問題が重要だと思ったのか?」というWhyの部分に関心がある。
そのWhyを判断するのは、弊社だとProduct Managerというロールの人のお仕事になる。
自分もWhyの判断をやりたかった。スキルを身につけたかった。なぜならそこに強い関心があったから。
ただしエンジニアをやめてProduct Managerに転身したかったわけではない。自分が必要だと判断したものを自分で作る行為をやりたかった。

また
・リーン開発のような、市場の出方を見てプロダクトの方向性を変える
・仮説検証サイクルを高速に行う(サービス初期に限らず最後まで)
を自分主導で実践してみたかったので自分の主導でできるゲーム開発は最適だった。

私が本当にやりたかったこと

最近ようやく言語化できるようになった。
フィードバックサイクルを自分主導で最初から最後まで回し続けたかった、それが自分のやりたいことだった。
・企画して開発してリリースしてサポートでユーザーの声を生で収集する。それを次の企画に生かす。
・リリースして3ヵ月後に開発コストと売上を比較する。「成功と判断して同規模で続編を出す」「大成功と判断をしてさらに開発規模を拡大する」「失敗と判断してシリーズを打ち切る」を決める。
黒字のプロダクトでも、そのリソースを他に回してより大きな利益が出るなら切る判断もする。
そういう判断が何より楽しかった。
コール、レイズ、フォールドを考えるポーカーのようなヒリつく感覚が楽しかった。
「高速なフィードバックサイクル」という言葉が何を意味するかを、身を以て体験することができた。

また自分の手で多くの工程を担い、一気通貫で作ることを志向していること。Webサービス開発では難しい一気通貫を個人開発で行っているので
「ゲームは作ってもゲーム業界への就職を自分が希望しない」
「プロダクトマネージャー業への転身を強く希望しない」
理由も言語化できた。

続ける上で気をつけたこと

機動性の維持。
・いつでもやめられる。いつでも方針転換できる。
・とにかくハンドル、アクセル、ブレーキを自分で握り続ける
・他人に金玉を握られないようにすること
変えたほうがいいのでは?チャレンジするなら今しかない。止めたほうがいいのでは?
そう思った時に少なくともトライだけはできる環境は維持したかった。
「引き算」をすること
企画時に徹夜で考えたもの、企画時には当たると思っていたもの、ユーザーの要望で頻出のもの。
そういったものを本番プロダクトに一度入れてしまうと負債として残り続ける。あるいは価値を生まない低品質の機能にメニューの一隅を占有されることになる。
また何かを作るということは、その間別の何かが作れなくなる、ということだ。
時間と予算は有限だ。個人開発だと特に期間あたり投入できる資源は乏しい。だからとにかく「作らない」ことを重視した。
「機能をいっぱい用意すれば、どれかは当たるだろう」
「競合にある機能がなくて、レビューでディスられるのが怖い」
そういう不安への保険でぶよぶよに肥大したプロダクトを作らないように気をつけた。
安易な規模の拡大の回避
音楽をつければ、グラフィックを綺麗にすれば、より要素を「足し算」すれば。
そうすれば一時はユーザーの好感を得るだろう。代わりに開発予算は増え、開発のハンドリングの難度は上がり、挑戦ができなくなる。
挑戦ができなくなれば安パイを切る誘惑が強くなり結果的に、安定しているが面白くない、確実なリターンが望めるが仮説検証による挑戦ができないプロダクト開発になる。
すると私としてはこの開発をしている意味が薄れる。

ジャンル

主に2Dシミュレーションゲームを作っている。
最初のシリーズは将軍として辺境に派遣された主人公が蛮族を鎮定したり同盟したりぶちのめしたりして版図拡大を目指すゲームだった。

市場選定として
スマホアプリ市場は最初から論外だった。
自分のプロダクトの開発開始当初から、過当競争でDW社やC社などが札束で殴り合う戦場だった。
同僚がプロイラストレイターにイラストを描いてもらって作ったゲームが売上数千円/月だと言っていた。
なので選定対象から早々に外した。
Steam(PC向けDLプラットフォーム)も外した。
自分のプロダクトの当初のウリがシナリオ(日本語only)だったのと、当時はインディーズもほぼ存在感もなく、また日本ではそこまで流行っていなかったので外した。今始めるなら狙っていたと思う。
PC向けゲーム(ROM + DL)
最終的にこの市場が選定された。
当時は日本国内にPC向けインディーズゲームとして数億円規模の市場があった。
最大手が人数一桁で製作している会社だったので、小粒のチームでも生きていける市場だと判断したため。

PC向け?アダルトゲームなの?

よく聞かれるが明確にNo.
Steamが流行る前から日本市場には非アダルトのPC向けSMLゲーム市場は存在していた。
大手家電量販店で販売されているし、今でも秋葉原でよく大規模イベントを開いている。
自分もCivやAoM(海外SMLゲーム)が好きだった。
PCゲーム=アダルトゲームという連想がどこから来るのか知らないが、家電量販店でも扱わないほどに落ちぶれた市場に、上記の市場選定をする人間がどうして参入すると思うのか。

開発環境

jRuby + JVM
RPGツクールなどツールは使わなかった。
自分で作らないと面白くないし、なによりツクールを使うとどうしても同じような感じになる。
すると必然的に自分から強い競合と同じリングで戦う羽目になる。
その分安定的にエンジニアリソースが必要になるが、そこは心配しなかった。
ただしjRubyとOracleへの文句は死ぬほどある。今だったら絶対に採用しないし、他言語や環境に乗り換えたいとは常に考えている。

資金調達

よく言われるが基本的にまったく考えていない
まず銀行は貸さない。ほぼ唯一の銀行から借りる方法は、スルガ銀行のカードローンだけ。論外。
国内のインディーズゲーム開発の資金調達は基本、流通か小売から行われる。当然相手側の利益になる必要があるので「発売時期」と「ジャンルや方向性」が固定される。
これは販売側にとってのポートフォリオ構成の都合があるため。
開発中止や方針転換も基本できない。また納期が必達、未達は損害賠償につながる。

・いつでもやめられる。いつでも方針転換できる。
・とにかくハンドル、アクセル、ブレーキを自分で握り続ける
・他人に金玉を握られないようにすること

この原則に反する。なので行わなかった。

外注政策

・こいつが納品しないとゲームが完成しない、という他人にキンタマを握られる状態
・すでに外注した分のサンクコストがあるので方針転換できない
という状態を防ぐため外注は最低限に抑えた。
音楽や地図パーツなどは既製品を買った。ツクールに頼らないゲームシステムなのでオリジナリティは十分確保できた。
値段より信頼とクオリティ
こいつがトンだら製品がリリースできない、という状態を防ぐため、外注はすでに名の売れているプロに頼った。その分クオリティは高いし、意図は汲み取ってくれるし、広告効果が強いのでそこはメリットが強かった。
外注費は売上の5割まで
CGを増やす、音楽を豪華に、グラフィックをかっこよく
安易な足し算をすることは簡単だが、それは機動性を失う原因になるし、予算が大きくなりチャレンジができなくなる。
また外注費が増えることは自分がハンドリングに忙殺され、金銭的なリスクが増える。
一番大事なことはチャレンジできる状況の維持。
PSのような据え置き機よりGBのような携帯機のほうが意欲作が多かったように、小さな予算は安全であるがゆえにチャレンジを容易にする。

スケジュールミス

本業のサラリーマン業が消費税10%対応などで多忙で製作本数を削る必要に迫られた。
最終的に1/3を延期した。
このときにスケジュールの決め、機会損失になる確度が明確なものを優先して開発し、そうでないものを延期した。
これは後から見ると明確に間違いで、出した時の利益が大きいものを残し、そうでないものを外すべきだった。
なぜ判断を誤ったのか
まずはスケジュールの決め。すでに告知していて、楽しみにしています、と言ってくれたファンを裏切りたくなかった。外注してくれたイラストレイターさんも熱心に宣伝してくれた。
人の情けに足を取られた。関係者の信頼を裏切ると後に響く、という判断もあるのでこれは情状酌量の余地はあると思う。
つぎに機会損失になる確度。要するに博打に出て失敗することを恐れたのだ。
50万円の売上が確実なプロダクトを切って、売上が100万円を超えるんじゃないかなーというプロダクトを優先する判断をした結果、大ゴケすることを恐れたのだ。
明確にリスク分析したわけでなく深く考えないまま「挑戦して失敗したらどうしよう」という恐怖に負けたのだ。
つまりリスクとのタイマン勝負を避けたのだ。
このあたりの鉄火場での肝の小ささは自分の短所だと思う。

ゲーム開発をするようになって「できるようになった」こと

とにかくユーザー目線を身につけた。
・作り始める前に課題とは何か、それは金を払うに値するか?という点を考えてから作るようになった。自分の考えていたことが、あとから出たスタートアップという本によくまとまっていた。
・プログラムをまだ1行も書いていない段階で、プロダクトの企画が当たるか当たらないかを検証する手法を10は身につけることができた。
・Amazonのいう「新機能とは最初にプレスリリースの内容を考える」の言葉通り、新作告知の内容を決めてから新機能の開発を始められるようになった。これができている会社は少ない
・高速な反復検証サイクルを回せるようになった。一人でやっている分、企業にも劣らぬ速さで回せていると思っている。
これらは企画のスキルだが、企画のスキルと目線を開発に持ち込めるようになったことで、安定してヒット作を出せるようになり、年商500万円まで達することができた。もちろんこれは「まぐれ当たり」の結果ではない

サラリーマン業と並立できるの?

基本は週に10時間の時間を投入するようにしている。連休、GWや盆休みなどまとまった休みは特に高い稼働になる。
すると月平均50時間程度は稼働できる。朝活で毎日1時間、土日の片方で8時間で週に13時間確保出来る。毎日終電上等だった一番激務の会社にいた時もこのリズムは維持できている。
逆に言うとこのリズムも維持できない会社、つまり平日毎日終電以上の職場は激務すぎて私に向いてはいない。

この副業をやめられない理由

大きく分けると3つある。
裁量権の大きさ
100%自分の出資なので好き勝手できる。年をとるほどままならないものが増えていくが、今のゲーム開発だけは好き勝手できる。
裁量権が大きいということは成功も失敗も、勝利も敗北も、すべて自分のものにできる。この点も見逃せない。
市場という教師
年齢と経験を重ねると、他人は素直に叱ってくれなくなる。
だが市場という教師は私に何の遠慮もしない。
失敗には容赦のない罰を与え、成功には評価と報酬を与えてくれる。
罰を避ける試みの全てがこの名教師の前には通じない。
言い訳や季節性要因への逃避、責任の押し付け、発覚寸前で別部署への異動、経営幹部へのすりより、忘年会でのキレッキレの一発芸。
会社で通じるこの全てが市場相手には無意味だ。
慢心には報いを、挑戦には学びを与えてくれる名教師の教えを私はまだ受けていたい。
購入者からの「承認」
人間生きていて、1日で10人から褒められることがどれだけあるだろう。
褒められたいと考えることは自然なことで何も間違ってはいない。
だからこそtwitterでいいねとRT稼ぎにパクリツイートする人まで出る。
ゲームはその点承認を稼ぐに適している。
1,000本売れたなら、モニタの向こうには1,000人の人間がいる。
彼らが皆「お前のプロダクトは金を出して買う程度には面白い」と言ってくれるに等しい。
承認はもっと欲しいので、ゲームの企画を真剣にやるモチベーションにもなっている。

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