茅原実里「Contact」 : 13年目に再訪するファーストアルバムレビュー

はじめに : 大きな世界でただひとり

茅原実里の歌手活動休止、そしてラストアルバム「Re:Contact」をめぐり、いろんな人がいろんなことを考え始めた。制作中のアルバムを宣伝する人や、アルバムを各法人別に予約していく人もいるが、私はあえて、デビューアルバムを一度聞き返すことにした。
「Re:Contact」を聴くにあたって「Contact」を振り返らないわけにはいかないからだ。そして、作られていない作品を今評価することはできないと思ったからだ。

私は茅原実里の音楽を、たまたま2008年に追い始め、今に至る。その意味で「ファン」である。同時に、過去のハードロック・ヘヴィメタル楽曲を愛する者として、その感性に忠実に従うまま、主体的に音楽を聴き続けたい。冷静と情熱のはざまにある細い糸を辿り、10年先のリスナーに音楽を伝えたいという、ちょっとした評論家志望の気持ちをずっと持ち続けてきた。
それをどちらも叶えるため、私は今、過去の音楽に手を伸ばす。

ファーストアルバムのその後の展開を知っている今の自分が、13年前の音楽に戻ったらどう感じるだろう? この音楽は、未来の可能性をドロドロとした形の中に含んだ、蛹なのだろうか? それとも、成体なのだろうか?

アルバム「Contact」はサブスクで全曲聴くことができる。

是非一度フルで聴いていただきたい。また、比較として挙げた他の楽曲も、イントロくらいは聴いてほしい。

Contact : 「シンフォニックポップス」の幕開け(または空耳アワー)

重なるコーラスと、あえて単調なデジタルビート。形式上のサビはあるが、以降の曲と比べれば抑え気味に淡々と進む。サビから後ろに入ってきたストリングスが徐々に前に出てきて、デジタルサウンドはフェードアウトし、弦楽パートから切れ間なく「詩人の旅」になだれ込む。

この、一曲まるごとメイン楽曲のイントロにしてスピード楽曲になだれ込む形式は、メロディックスピードメタルの王道だ。特に、ストリングスから入る形式で真っ先に連想されるのがANGRA「Unfinished Allegro~Carry On」(アルバム「Angels Cry」)「In Excelsis~Nova Era」(アルバム「Rebirth」)「Deus Le Volt!~Spread Your Fire」(アルバム「Temple Of Shadows」)の三作。というかこのパターンはAngraの特許なんじゃないか? 茅原実里、特許侵害してないか?
「フォーザーキーンフォーザーラーンフォーザーマーンテン」で有名なRhapsodyの「Epicus Furor ~Emerald Sword」(アルバム「Symphony Of Enchanted Lands」)もこの展開である。こっちはクワイア(合唱)と転調まで入ってさらに煽っていく。

それに比べれば「Contact~詩人の旅」の展開はまだまだ大人しい。一般向けメロスピである。日本のネットメタラーが大勢参考にした「悶絶メタル」の言葉を借りれば「シンフォニック・ポップス!!新ジャンルの登場である!!

http://mmpk.web.fc2.com/cmr.htm

これは主観。
私は歌詞を見ないで楽曲を聴くことがとても多く、歌詞カードを開いてからあとでビックリすることがしばしば……。本人の滑舌が悪いわけでもないはずだが、どうしてもそう聞こえてしまう「空耳」が絶えないのだ。でもそれは、歌詞が変だからでもある。

次は透明な壁の中
アクリルで小宇宙は

私にはずっとこう聞こえていた。

月は透明な壁の中
アクリルでしょう 宇宙は

実はこれでも意味は通るのだ。正確には「意味が通る」というより、歌詞の意味自体が正確に取りがたく、どうとってもそれっぽく聞こえる。
全体の世界観はとにかく巨視的かつ主観的。「君の星雲は忙しい」「現のまま会いたいの」と、物差しが連ごとに入れ替わる。その中を貫くテーマはコーラスの中にある。

I contact the world & da-da-da-da dive

「私は世界と接触し(contact)、飛び込む(dive)」。世界というものを知覚できる存在が、あえてdiveして、客観をかなぐり捨て、主観の世界に飛び込んでいくイメージだ。このイメージは

正確に計れないモノに 惹かれるのが自然だから

という言葉で補強される。まるで新約聖書の世界である。

詩人の旅 : 茅原実里流メロディックスピードメタル

イントロでは弦が引っ張っていくが全体はあくまでデジタル。打ち込みビートの上にストリングスとコーラス、「タタタータタタータタタータタター」と響く、強いシンセサウンドが載る。
デジタルと弦という対極のエンジンを積んで、まっすぐなボーカルが爆走してゆく。これぞ王道の茅原実里流メロディックスピードメタルスタイルである。こればかりは、平凡なアーティストには軽々と真似できない。前述したAngraでもダメだ。ボーカルに素直さが足りない

この頃の茅原実里の歌には「甘さ」を感じる。この感じはたぶん「Parade」まで続き、2011年ごろにはすっかり消えているのだが、まだ実力が出きっていない模索中の感じ。B'zで言うと「君の中で踊りたい」あたりだろうか。初期の茅原実里だけが好きな人がいるのも、とてもよく分かる。
また、ブレスがかなり強いクセもわかる。この傾向は最後までずっと続くのだが、ノイズにもなりかねないブレスの強さこそが、デジタルに寄せた音楽に人間性を作り出しているのかも。これ以降のプロダクションからも、たぶん意図的にブレスを残しているっぽい。
歌詞を今読むと、「Contact」とは反対に、徹底的に主観的でありながら、わずかに先を見渡せている(少なくとも先を期待している)という感じがする。最初のフレーズ

思い出抱きしめる人に
私が出来るのは 夢を語ることだけ

13年前のアルバムを再訪した自分に突き刺さる言葉である。

以前ふと思ったことだが、このタイトルを英訳すると「The Voyage of Bard」くらいになるのだろうか。言葉選びとして「Voyage」と「Journey」の選択肢はあると思っているが、「詩人」は「Bard」だろう。あるいはBlind Guardianっぽく「Bard's Journey」だろうか? まるで古典古代、ホメーロスの世界だな。

ちなみにこの楽曲は、オーケストラアルバム「Reincarnation」でも取り上げられている。イントロはオーボエの独奏から入る。オーケストラアルバムと言いながらギターのエッジが立っていて、完全にメタルで笑う。おまけにサビが裏拍の疾走曲になっていて、メタラーが悶絶する仕上がりに。ベストアルバム「Sanctuary」版ではシンセのイントロが足されていて、Contact抜きでも聴きやすくなった。

ふたりのリフレクション : ハッピーサイド入門

「Key for Life」などの「ハッピーサイド」楽曲の原型かな。ギターは終始パワーコード感、打ち込みのビートがとにかくずっと鳴っていて、甘く優しいボーカルを引き立ててくれる。逆にここではストリングスが消えていて、終始ポップ。
茅原実里楽曲はストリングスがフィーチャーされることが多いが、初期はわりと半々だった気がする。そういう曲では、ライブでも大先生・室屋光一郎さんがしれっと引っ込んでいたりする。
Aメロでずっと鳴ってるシンセサウンド、ギターだったらディレイをわずかにかけて表現するような音だろうか。

純白サンクチュアリィ : 完成されすぎたデビューシングル

歌い出しのクリスタルボイスにハートを捕まれた人はとても多いだろう。デジタルが充満する中に弦が突き抜け、歌メロと絡み合うクッサクサの構成。
二番へのブリッジとなるフレーズがとても爽快で、10周年記念ライブ「Sanctuary」では、そのフレーズがCMBのインストに導入されたことも忘れてはいけない。ライブでは、岩田ガンタ康彦さんがサビ前にシンバル四拍を足したり、"ケニー"こと須藤賢一さんがmoogサウンドを乗せたり、いくらでも音を足せる楽曲として無数の変化を遂げている(ときどき原曲に戻って驚く)
Aメロの声は全体的に斜め下を向いて、Bメロは前を、サビは斜め上を向いている感じがする。音の突き抜け方が細かく変わっている。率直な話、レコーディングに苦労したのはとてもよく分かる。デビューシングルでこの完成度はちょっとやりすぎだと思う。今でも古びない。
主観ではB'zのデビューシングルより3倍くらいよくできたシングルだと思う。(これは主観過ぎるので補足したい。B'zは、「デジタルとハードロックを融合させる」という基本的な方針は正しく理解していたが、1988年のデビューシングル「だからその手を離して」時点では、まだ十分な完成度にたどり着いていなかったと思っている。完成されたのは、1989年「BAD COMMUNICATION」だ。肩パット感も含めて、まだ若かったと思う。さらに余談だが、「BAD COMMUNICATION」がLed Zeppelin「trampled underfoot」なのはわかる。わかるが翻案レベルが非常によく、別の層にたどり着いた事実を認めなければいけないと思うのだ……以下略)

話を元に戻すと、ここまでの完成度になったのは、スタイルに関する実験が一度入っていたからだろう。長門有希(CV.茅原実里)「雪、無音、窓辺にて。」である。
こっちはもっとアプローチが極端で、ボーカルの声の冷たさと過剰なデジタルビート、そこにかぶせたストリングスの組み合わせが凶器的に突き刺さる楽曲である。これは間違いなくゼロ年代に語り継がれるべき世紀の発見だろう。デジタルとストリングスの組み合わせで歴史的に先行し、よりいっそう語られるのは水樹奈々「ETENRAL BLAZE」だが、そっちはデジタルとストリングスの上にハードロック、そして水樹奈々の圧倒的演歌ボーカルの組み合わせの正当な成果物である。いわばB'z + Deep Purple + マーティ・フリードマンである。成功すべくして成功しただけのこと、とあえて言おう。「雪、無音、窓辺にて。」が凶悪なのは、茅原実里の冷たいボーカルでも成立させてしまったことにより、手法の普遍性を証明した、ということである。
また「雪、無音、窓辺にて。」は、同時に、アニメのキャラクターがそのイメージを引っ張ったまま楽曲を歌唱する「キャラソン」というスタイルを明確に実装した楽曲でもあった。キャラソンの歴史については、きっと私よりも詳しい人が大勢いるだろうが、明らかにターニングポイントとなる楽曲ではなかったか(「ハッピー☆マテリアル」でうっすらと浮かんでいた、キャラクターごとに掘り下げた楽曲を作って理解を深め、さらにCD売り上げとライブ収入にまで直結させるという、レコード会社の手法としてもそうだろう)。
これらの革新性はハードロック直系のギターをかぶせて新ジャンルを発明し、90年代を席巻したB'z(同時に、ZARDやWANDSなどの所属アーティスト楽曲をアニソンタイアップにして大ヒットさせた、B'zの所属するビーイングの手法)と、どうしてもオーバーラップしてしまう。

ここで茅原実里を「冷たいボーカル」と表現した。ここがまた微妙なのだ。
というのは、まず第一に、長門有希のキャラクターイメージが声優・茅原実里を縛ってしまった。これ以降の役どころは「無口系」のキャラがとても多くなり、パターン化されてしまったと思うためだ。そしてもうひとつは、音楽キャリアを進めていく中で、楽曲も歌声も、暖かく強いボーカルへと変化していったためだ。初期の活躍が強ければ強いほど、ファンは初期の輝きを常に追い求めるようになってしまう。
これは、デビュー当時ボーカル以外全員10代、若さを燃やし尽くして輝いたSonata Arcticaを待ち受けていた落とし穴とオーバーラップする。ファーストアルバム「Ecliptica」、セカンドアルバム「Silence」の輝きがまぶしすぎて、それ以降のどの楽曲も正当に評価されていない。

もちろん、本当に彼女に初期の音楽を求め続けていた人はごく少数だろう。だが、茅原実里というプロジェクトは「変化をつける」ことを内々のテーマにしていたふしがある。それについていけない人はいただろう。

ファーストシングルにして完成された音楽性を持ったことは幸いだった。しかし、ファーストシングルの可能性を拡大したファーストアルバムがあまりにも美しすぎた。その輝きは、サン・セバスティアンの太陽のように、自らの身を焦がすことになったのでは……。私はそう考えている。

Dears~ゆるやかな奇跡~ : 優しい弦バラード

一転、打ち込みサウンドは後景に退き、ピアノとストリングスに振り切ったバラード挟み込まれる。優しく、柔らかく、甘い歌唱。シンフォニックメタルバンドにはできない柔らかさ、オンリーワンのジャンルたるゆえん。
大サビで数秒無音になったあとの歌い出しが非常によい。包み込まれる歌声には’果てしない母性を感じる。歌がとにかくよくて、言葉に出来ない楽曲。

Cynthia : 北欧ポップ

細かいポイントで歌が気持ちいい楽曲。たとえばコーラスパートの「Cynthia」の響き、1番の「恐れてしまうほど」の膨らみ、「照らして」の「て」、時に丁寧に、時に甘く歌ってくれる。「SANCTUARY」ライブではダンス付きで歌唱された楽曲だった。

今まで上手く説明できなかったけど、というか今でも説明できないけど、楽曲の全体にABBAっぽさを感じる。これは一種の北欧ポップなのでは?

また、後ろで鳴るカッティングがとても気持ちいい。聴いている時は、右手がいつもアップピッキングで動いてしまう。

sleeping terror : 正統派シンフォニックメタル

世界観も含めて、展開が完全にシンフォニックメタル。ファルセットと地声の切り替えをじっくり聴くと非常に面白い。ディレクションで結構テクニカルにやっているのではないだろうか。
この曲は全体的にWithin Temptationっぽい。北欧メタルのエッセンスからバンドを抜くと、わりと茅原実里みが深い。

クレジットに「Violoncello: 向井航」とあるのは、チェロだ。これ以降クラスタシアとして、みのりんと何度かすれ違う、日本最重量チェリスト・向井さんの初登場だろうか。イヤホンだと右チャンネル側に、0:12あたりからイントロの後ろで深く響いているのがわかる。3:55の間奏、4:25あたりのサビにも登場(1番・2番には登場していない)。この音はスピーカーだと埋もれてしまうかもしれない。よく動くベース音に相当邪魔されている感じ。
めちゃくちゃ贅沢な使い方してるなあ……。

too late? not late... : this is 俊龍

デジタルハードロックど真ん中! 歌い出しからサビを持ってきて、オクターブ奏法のギターリフで押し切る。二番のブリッジに突き刺さる、ワウ全開のギターソロが熱い。大サビ前、アウトロにもソロが入り、ベストアルバム「Sanctuary」版ではアウトロのフェードアウトが解禁され綺麗に締まる。

わかりやすすぎる曲で、ライブで盛り上がる要素も詰まっている。ハードなTMNだな、これは。

夏を忘れたら : 河口湖の布石

茅原実里の歌声は「かわいいモード」に。彼女の歌声は大体3モードくらいあって、まさに「詩人の旅」のようなかっこいいモード、「sleeping terror」のような重いモード、「ふたりのリフレクション」や「夏を忘れたら」のようなかわいいモードが、一枚のアルバムで聴ける。普通のシンガーでこの切り替えが出来る人は多くなく(特に男性は弱い)、だいたい自分の歌いたい1パターンで押し切ってしまうものだが、ここはさすが声優。ただし例外として、Unlucky MorpheusのFukiのように、声優でないのに異様なバリエーションを持つ歌手もいる(それでもバンドになると楽曲パターンが限られるので、実質的に封印するタイプの声色も多いんだけど)。

「夏」が歌詞に入るとおり、そして最初の河口湖ライブ「SUMMER CAMP」で演奏された楽曲ということもあり、どこかアコースティックギターと河口湖のイメージが残る楽曲。

夏はまた来るけど
おんなじ夏じゃない
夏を忘れる頃
日焼けも色褪せる

夏の後半、そう、ちょうど今頃に、夏を振り返る。私たちファンにとっては、「夏」とはそのまま河口湖で、あのライブだ。

どこにも行けなかった季節を
遠くに感じてる

この楽曲ができた頃の情景なら、社会人なりたてで仕事が忙しくて……とか、大学の教育実習があって……とか、そんな感じだったと思う。それがまさか、誰もが体験する経験になろうとは。ねえ。

mezzo forte : 不穏系シンフォニックメタル

ずっと鳴っているシンセのサウンドが不穏で仕方ない。この曲もまたシンフォニックメタルだ。歌声が時に暖かく時に冷たく、時に強い。そして、茅原実里が紡ぎ出す歌に対して、ヴァイオリンがずっと伴走する。伴奏というよりは「伴走」といった方が近いだろう。音に対して一対一で対応している感じがある。メインメロディーに対して一対一対応で音譜が載っているイメージすら感じる。それが

いつか重なるふたつのフォルテ

ってことなのだろうか……? この曲のヴァイオリンは二名、うち一名は例の大先生室屋である。
でも実際そうかもしれない。たとえばCacophony「Where My Fortune Lies」のように。

個人的に茅原実里の「響き」の中で一番好きなのが、

声をあげてみてもかまわないの

の「の」だ。一番「感じられるね」の「か」もいいが、一番好きな響きを問われると、ここだ。歌マニアはぜひ試してみてほしい。

君がくれたあの日 : 茅原実里流ネオクラシカルメタル

優勝。もう優勝である。
たぶん菊田さんも畑さんも優勝していたと思う、サビの「君がくれたあの日」という言葉が、あのメロディで乗っかった瞬間に。音符が伸び縮みしながらも歌メロがシンプルかつ爽快で、みのりんのいい音域が出ている。

この歌はずっと前を向いている。内省的なAメロからBメロ後半で助走し、強いサビに到達する。メロディの後ろではヴァイオリンが第二フレーズを弾いている。王道を往く茅原実里の歌、だ。

炸裂するギターソロはGRANRODEOの飯塚昌明さん。ミューズ音楽院卒で、B'z松本孝弘さんの後輩にあたる彼のギターが強烈にネオクラしている。特に後半は、Yngwie J. Malmsteen「Heaven Tonight」(2:12-)を思わせるペダル奏法が熱い。

B'zと言えば、イントロはどこか「IT'S SHOWTIME!!」を思わせるフレーズじゃないか。

(´-`).。oO(ん、デジタルとギターのバランス、みのりん側でも全体的に参考にしてないか?)

加えて補助線として「Rusty Nail」を引こう。斎藤さんの返答に答える義務があるからだ。

茅原実里とメタル。荒唐無稽のように書いてくれていますが、そうでもなかったりします。初期の曲はXもしくはX Japanの曲を研究分析して作ってました。「君がくれたあの日」は「Rusty Nail」を分析し尽くして制作したという歴史もあります。

https://heart-company.co.jp/2021/07/03/mysc2021setlist01/

……とはいえ使用可能な部品はあまり多くない。なのでネットでtabを見てみる。そうしたらいきなり、Rusty nailのコード進行が余りにもシンプルなのに逆にびっくりしてしまった。tabも、明らかにギターで作曲したそれで驚き(採譜定番の間違いや解釈違いはあるだろうが、複数サイト見たが、大枠は一緒だ)。

Cメロの感じをかなり使っているのは確かだろう。同時に、Aメロで抑えてサビで爆発させる全体の流れを参考にしていそうだ。また「初期」と言っているからには、ほかの曲でもXとつながることがありそうだな。いや、それにしてもサビのF-G-C-E(特にC-E)がここまで衝撃を与えるとは……。

(´-`).。oO(もう少しXを勉強します)

truth gift : 「やっと自分になれたの」

優しい系のボーカル。アルバムの物語の最後として考えると、「Contact」して感情を巡り、愛や優しさを経て、「やっと自分になれた」という、物語のエンディングなのだろうか。

やっと自分になれたの
そのままの私へと
手を振ってくれるのが
嬉しいの 嬉しいの本当に

いろいろと意味深で、まだ分からないこともある。だけど、相手が「私」を理想化する時期、幻滅する時期を経て、やっと本当の「私」に向き合ってくれたのが嬉しい、という歌なのだろう。(あるいは、長門有希というキャラクターから始まり、茅原実里という歌手で終わる、自己紹介の名刺の最後の一文、ということだろうか)。

いいギターだと思ったらまた飯塚さん。マジで起承転結したいいギターを弾いている。

まとめ

「Contact」、前半で急加速し、中盤でゆるやかに流れ、君くれで爆発する、という流れが非常に丁寧。その分だけ「君がくれたあの日」が強すぎるんだ……。
同時に、楽曲の全体を眺めると気づくこともある。
まず、バンドサウンドがない。これは雑音を取り除くために、プロダクト時点で意図的に削っているのだろう(制作のコストを下げた面もあっただろう)。ボーカルを丁寧に聞かせるという意味では、打ち込み重視で振ってきたのは正解だったと思う。その分だけライブでは新たな楽しみができたのだ。
次に、お仕着せの世界観。茅原実里はボーカルとして、プロデューサーの要求に応えている、借りてきた猫のような扱いを受けている。アーティスト写真に写る、ちょっと目がキツそうな女神のような女性は、もともとは尾崎豊とB'zが大好きでオーバーオールをずっと着ていた若手声優でしかないのだ。ずっと前から知っていたファンにとってはとんでもないイメチェンだったんじゃないか? ここまでのプロデュースをされて、人生に影響が出ないと考える方がおかしい。
音楽と女神イメージ。この壁をぶち破るのは、2009年のSUMMER CAMPまで待たねばならない。

ニューアルバム「Re:Contact」はどんな形になるか。ファンとしても評論家志望としても、ワクワクである。

https://www.amazon.co.jp/dp/B09C1R1C4Y