「引退撤回」という生き方

先日、ずっと推してきた茅原実里さんの、歌手活動休止……といいつつも、実質はほぼ引退に見えるような、そんな記念コンサートに参加してきた。
その決意は痛いほど感じた。アルバムも含め、まるで熱心なファンに「自分はどうしても行くんだ」と説得させるために歌い続けてきたかのような一年だった。

同時に、ひとつのIFとして、「もしもここで引退を撤回するとしたら、どうなるんだろう?」ということも考えていた。
そんなときひとりのプロレスラーのことを思い出した。今回は、そんな話をしよう。

「引退撤回」ということ

私は前職でプロレスメディアの仕事にちょっとだけ携わっていた。何も知らない世界だから、いろいろな方法で勉強した。図書館に行って歴史をあさったり、毎週オフィスに持ち込まれる「週刊プロレス」を読んだり、実際に興行を見に行ったり。プロレスラーのインタビュー起こしの中で学んだこともとても多かった。
そして、何も知らないなりに、何かが見えるようになった。それは、プロレス技の名前を覚えたり、名勝負を熱く語ったりするスタイルではなく、今を必死に生きるプロレスラーのありかただった。
そんな中で、米山香織さんという女子プロレスラーと出会った。

米山選手はフリーのレスラーとして、日本の女子プロレスに幅広く参戦している。ブシロード傘下に入りメディア露出が急上昇したスターダムにも、尾崎魔弓・アジャコングなど往年の大ベテランを抱えるOZアカデミーにも、かつて所属していたJWP女子プロレスの後継団体であるPURE-Jにも参戦し、いろいろ業界内での壁がある女子プロレス業界を縦横無尽に駆け巡る。
加えて自身でも、不思議な緩さのプロレス興行「YMZ ゴキゲンなプロレス」を定期的に開催している。

これは私の主観だが、プロレス興行は格闘技ではない。勝ち負けが全てではない。どれだけかっこよく見せるか、どれだけ会場を沸かせるかが、プロレスラーの実力の見せ所だ。
ベテランレスラーに翻弄されながら根性だけでドロップキックを決める姿、ヒール軍団にボコボコにされながら立ち向かう姿、女子プロレスラーの中に男性ヒールとして入って猛烈なブーイングを受ける姿……。強くなくても、正しくなくても、リングの中で見せるレスラーの本気に、ファンは魅了される。
だから、エースはいても、エースだけが全てではない。エースを追いかけるレスラー、我が道を行くレスラー、あらゆる多様性がリングに凝縮しているのがプロレスだと思う。
特に女子プロレスはその幅が広い。美しさ、パワー、技の華麗さ、巨乳(元グラビアアイドルもいる)などの肉体面だけでなく、トーク力、独自ルール、コスプレによる精神攻撃などなど、プロレスに対するあらゆる固定観念を取り払われるような世界の広さがある。
米山選手は小さくて丸っこい風貌と、エネルギッシュなアクションと、何をやってもあふれ出す優しさが一番の魅力。ハイスピードマッチからコミカルマッチまで何でもこなす名人芸の持ち主だ。特に、興行が始まったばかりの第一試合で場を盛り上げることに関しては、女子プロレス団体随一ではないかと思う(フリーという立場もあって、団体を立てるためにもやりやすいのだろうと想像する)。
しかし私がそのプロレスを見ることができたのは、彼女が一度引退を撤回したおかげだ。

米山選手は2011年での引退を宣言し、団体は引退記念を銘打った興行を続けた。その最後が、プロレスの聖地・後楽園ホール。引退記念試合を終え、引退セレモニーで10カウントゴングを受けながら、5カウント目に、何かを決めたような顔を見せた。
6カウント直後に、心の赴くままに叫んだ。

待ってください!

所属団体の代表・コマンドボリショイらが駆け寄る中、涙ながらに、もう嗚咽にまみれながら、

プロレス辞めたくないよ……!
引退が決まってから、プロレスもっと好きになっちゃって、もう引き返せなくて……

観客の声はざわつきより笑いのほうが大きい。さすが米ちゃんって思った人が多かったのだろう。

本当にすいません、わがままでごめんなさい!
もう……もう……プロレス、引退撤回します!

10カウントが鳴ってから使うはずだった紙テープがヤケクソのように飛び交う。他団体のレスラー(さくらえみ選手か?)がブチキレて蹴りに入る。涙にまみれたものすごい顔をしている……
そして、締めは絶叫。もう戻れないと覚悟を決めた言葉が重い。

米山香織は覚悟を決めて、この大好きなリングに上がり続けてやる!
今日はありがとうございました!!!

このあたりの物語は、togetterにも残されている。もちろん、会場に行ったファンの感覚とは少し違うかも知れないが。

それから10年、文字通り身体を張って、米山選手はプロレスを続けてきた。ただひとりの「引退撤回」レスラーという汚名を自ら背負いながら、それを実力と感動で忘れさせる試合を築き上げてきた。

「引退」と「復帰」

プロレスの世界は、究極の肉体労働である。彼ら・彼女らは仕事のためにあらゆるものを犠牲にしてきた。「飛翔天女」こと豊田真奈美選手は右肩と首の痛みが原因で引退することになった。武藤敬司選手は両膝を人工関節に替える手術を行った。確かプロレスはできないはずだったが、それで復帰したのだから尋常ではない。
しかし現代社会において一番大きな犠牲は、経歴そのものにあるように思う。歴史的経緯からか、中学・高校を卒業してそのままプロレスラーになり、社会人経験をプロレスラーとして過ごし続けるパターンが多いのだ。
プロレス団体はオーディションを開き、肉体的条件を満たした人間を選抜し、トレーニングの末デビューさせる。特に豊田真奈美選手がかつて所属していた全日本女子プロレスは、歴史的経緯から中学を卒業したばかりの女子がそのまま候補生になり、プロレスラー一本でデビューする流れがあったように思う。豊田選手は1987年に16歳でデビューし、そのまま30年間プロレスラーとして戦い続け、2017年に引退。
かつての全日本女子プロレスは25歳定年制があったが、その文化はなし崩し的に消滅し、団体も2005年に消え去った。それの善し悪しはともかく、これによって好きなだけプロレスを続けられることになったとともに、それだけプロレスから離れられなくなったともいえよう。
もちろん現代では、新日本プロレスの棚橋弘至選手を初めとして大学卒業後にレスラーになった人も多く、ティーンズレスラーとしてプロレスを始めながら現役で大学合格を果たしたアイスリボンの星いぶき選手など、新しい風は吹いている。

だが、一度引退したプロレス業界に復帰する元レスラーの列は、不思議と絶えない。
スターダムの葉月選手は団体への不満を訴えながら2019年に引退したが、2021年、木村花さんの追悼興行で一日限定復帰……と思ったら、スターダムに復帰してしまった。スターダムはとにかく復帰が多い印象がある。

ここで但し書きをしておきたい。「限定復帰」は団体や重要人物の周年記念を彩る重大イベントでもあるのだ。たとえば2019年の「GAEAISM」興行では、かつて存在した団体、GAEA JAPANの復活イベントとして、団体設立者の長与千種さんが生み出したレスラーたちが一堂に会することとなった。初期メンバーであった植松寿絵さんはすでに引退していたが限定復帰を果たす。

また、木村花さんの追悼興行は、花さんの母親、元プロレスラーの木村響子さんから引き継がれてきたヒールユニット・大江戸隊のメンバーとして、という非常に大きな大義名分があった。同時期に引退し、それ以降音沙汰のなかった大江戸隊のリーダー・花月さんまでもが限定復帰したのだ。

プロレスには魔力がある、と書くのはたやすい。だが引退してプロレスを絶ちきれた人とそうでない人がいて、どうも後者が多そうで、いつか戻ってきてしまう場所である、とは言えそうだ。また選手としては復帰せずとも「関係者」として残る人は多く、先述の豊田真奈美さんはアイスリボンの「スーパーバイザー」に就任、木村響子さんは猪料理のキッチンカー「ピンクの猫バス」を営業。
本当にプロレス業界から離れた人はごく少ない。

「引退」という看板を背負っても、こうなのだ。

7カウント目は鳴らさない

2021年12月23日、YMZ興行「米山香織引退撤回から丸10年」が開催された。
まさに本人が背負った十字架をさらけ出す自虐的なタイトルに、推しの卒業を目の前にした私は引っかかってしまうが、当日は仕事で行けなかったため、ニコプロでPPVを予約。
それを見ながらこの記事を書いている。

もう……何も言うことはないです。
10年前引退セレモニーの時にゴングを6回目まで聴いたみたいで、プロレスラーとしての生前葬をやろうと思って、残りの4カウントをみんなで聴きたいと思ってるんですけど……
やっぱり、ひとりだとさみしいので、今日試合した選手みんなリングに上がってくださいー!
ここにいるみんなと一緒に、残りの4カウントを聴きたいと思います!

引退セレモニーは、真っ暗な会場、リングの真ん中に選手が独りで迎えるものだった。その瞬間は会場がひとつになる。10カウントが鳴り終わり、選手名が高らかにコールされたところで、選手カラーの紙テープが四方から飛んでくるのが常。
それも最近のご時世ではできなくなった。今回はどんな形になるかと思っていたら……。

ちょっと待ってくださーい!
やっぱり聴けない! これを聴いちゃったらもうプロレスを続けることはできないし、こんな、ばかげた、セレモニーより、みんなで、ゴキゲンな椅子取りゲームだー!

この人は流石だと思った。もう、彼女には引退の言葉は似合わないのだ。

引退請負人

以前、テキーラ沙弥選手という女子プロレスラーに会った。
取材で訪れた会場で物販を担当していて、明るい笑顔が持ち味の選手だった。もともとテキーラバーのマスターだったので、リングネームもテキーラ、必殺技も「テキーラショット」だ。
彼女も目標を達成して引退することになったが、その引退試合が台風によって流れ、その結果、引退自体が延期になってしまった。
引退を逃した彼女を、自ら撤回した米山選手が気遣い、シングルマッチが決まった。

私はこの興行は見られなかったが、Twitter上で遠くから見送っていた。

また、私が個人的に一番多く観戦したであろうプロレス団体、プロレスリングWAVEのHIRO'e選手の引退試合でも、米山選手が指名され、ラストマッチを飾った。

https://proresu-today.com/archives/121631

この興行は私も見に行った。
プロレスリングWAVEは2018年-2019年に選手の大量脱退を味わい、苦境に立たされた。前年の2017年には初の大田区総合体育館大会を開催し、そのときに、これまで団体を小馬鹿にしていた人たちに向けて「ざまあみろ!」と気勢を上げていたのが一変。恐ろしいまでの厳しさを実感した。
規制で声が出せない中、試合後の引退セレモニーでは、10カウントゴングをウルトラオレンジのサイリウムが包んだ。オレンジは彼女のカラーでもある。

米山選手は引退撤回を果たしたことで、逆に引退請負人の名声を得たのかもしれない。彼女自身はもう10カウントゴングを聴くことができないとしても、引退までに待ち受ける日々と、引退ロードの最中に芽生える感情を、米山選手は一番よく知っている。それは旅立つ選手の支えになるだろう。
彼女はフリーランスだからこそ、どの団体の選手にもかかわることができる。選手生命や引退は、どの団体のどの選手にも共通のこと。しがらみがない関係で向き合える立場はとても貴重だ。

女子プロレスという、コップの中の嵐。その嵐からこぼれ落ちる波、新たに注がれる水、天高く跳ねて、不思議と戻ってくる滴。
吹けば飛ぶようなちっぽけな世界かもしれないが、そこでもプロレスラーは生きている。
そしてプロレスラー・米山香織は「余生」を生きる。おそらくは永遠に、ひとりのレジェンドとして。