旅する介護福祉士(2)
ぼくたち介護ボランティアは2チームに別れて活動に入った。ぼくは担当する方々のベッドをひとつづつ訪問して声を掛ける。
「神奈川から来ました、よろしくお願いします」
「ご苦労さま、世話をかけますなあ」
返ってくる耳慣れないイントネーションに違った文化圏で生きて来られた履歴を感じた。その一方で、洋服に貼られたガムテープにベッド配置記号とカタカナの名前が書かれており、ああ被災地に来ているのだなあと改めて実感する。
殆どの人が歩行器か車椅子で移動され、中には立位が取れず二人で介助しないとベッドから移乗できない方もいらっしゃった。
「すみません、移乗に手を貸してもらえますか?」
近くにいる介護士とアウンの呼吸で身体介助などをこなすと、言葉にならない同業の連帯感が生まれた。
トイレ誘導やオムツの交換、血圧や体温などのバイタル測定、水分摂取など普段と変わらぬ業務をこなすうちに、被災地という特殊な環境に来ていることを忘れる瞬間もあった。
長テーブルが並べられた一角ではテレビが流され、ベッド以外で過ごされる唯一の共有スペースとなっていた。そこで雑談する人たちもいたが、弾かれたような笑い声はなかった。
定刻になるとそこで食事をしたり、リハビリ体操やレクリエーションなども行われるとのことだった。
「普段、どんなレクをやってるんですか?」
リーダーに尋ねると、塗り絵をやってもらったり、何人か集まってトランプをやったりするぐらいしか出来ないとのことだった。
「あの、紙芝居を一本だけ持って来てるんですが…」
「えっ、本当ですか?」
リーダーの驚く顔が輝いたように見えた。
避難所にレクグッズを持ち込むかどうか迷ったぼくだったが、実は一つだけ持参していたのである。
二人のリーダーが話し合ってくれて、紙芝居の上演は共有スペースに人が集まる昼食前の口腔体操のときが良いだろうということになった。
静かな水面に落ちた水滴の波紋が拡がるように、紙芝居を演るらしいという話がマルチパーパスのフロアに広まっていった。
80、90代の高齢の方々は、幼い頃に街頭紙芝居を経験した人が多く、親和性があることはわかっていた。ただひとつ気になることがあった。
それは耳の遠い方が朗読を楽しめない可能性があるということだった。それをリーダーに伝えた。
「仕方ないですね、席をなるべく近くにしましょう」
かくして、被災地の避難所でぼくの紙芝居が上演されることになったのだった。
(その3)につづく U^.^U
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?