旅する介護福祉士(3)
もしかしたら必要かもと思って、ぼくが避難所に持ち込んだ紙芝居は地元の公共図書館で借りた一冊だった。
幼い頃に生き別れた母親を江戸の町で探し当てる渡世人の物語『瞼の母』。
高齢の方々ばかりでなくボランティアスタッフも集まってきて、多くの視線が集まる中、ぼくは紙芝居の朗読を始めた。
「日ごとに秋めいてきた江戸の街。すれ違う親子連れに目をやるひとりの男がいた。その名は番場の忠太郎」
五年前に介護の世界に転職してから覚えた紙芝居で手慣れてはいたが、避難所での上演ということで緊張もあり声が出だしは少しうわずっていたかもしれない。
しかし、地の文を平坦な声で読み、渡世人を乱暴に語り、母親を裏声で出すなど、いくつか声色を変えて読み進むうちに、もうそこがどこなのかわからなくなるほど、ぼく自身が物語世界に埋没していった。
「昇り出した朝日に逆らうように背を向けると、忠太郎はまたひとり歩き始めた。夜明けの空に霞ゆく、有明の月に向かって…」
読み終わったあとの静寂。次の瞬間、ぼくはそこにいたすべての人からの大きな拍手に包まれた。
目の前に陣取った耳の遠い方と、脇に寄り添い朗読中その方の耳にずっと語り続けていた女性ボランティアも一緒に拍手をくれていた。
上演時間わずか10分あまりだったが、フロアにいる介護する人介護される人関係なく、同じ物語世界に没頭できたことが嬉しかった。
「あれ、もう終わっちゃったの?」
上演後まもなく、ひとりの高齢女性がボランティアに付き添われて歩行器を押して入って来た。
上演直前ギリギリまで楽しみに待っていたが、入浴時間とちょうど被り、残念そうに出て行った女性だった。
避難所には要介護者が利用出来るような入浴設備はなく、特殊車両の訪問入浴チームが担っていた。その女性は紙芝居も観たかったが、週に一度の入浴機会を逃すわけにはいかなかったのである。
「じゃあ、一時間のお昼休憩に入って下さい」
避難者には食事が配給されるがボランティアには配給はない。食事や飲み物は自分で確保すること、それがボランティアに参加する条件だった。
ぼくは持参したパンをかじりながら、紙芝居を観ることができなかった歩行器の女性のことがずっと気になっていた。
ぼくは休憩を終えてフロアに戻ると高齢女性のスペースを訪ねた。そして、ベッドで新聞を読んでいるた女性に、手にした『瞼の母』の絵を見せたのである。
「それを演ったのね、見たかった」
「おひとり様で演りましょうか?」
女性は笑顔になって新聞を閉じた。そして、カーテンを閉めると、ベッドの上で二人だけの小声の上演会が始まったのだった。
ぼくの身に突然降って湧いたような能登への介護ボランティアの旅。お世話になったリーダー、協力しあって介護業務に当たったボランティアの同志たち、そして介助を通じて触れ合った要介護の高齢の方々。
本当に短かったが、多くの人と出会い、いろんなことを感じ取る経験が出来た。出会いがあれば別れがある。別れがあるから一緒に過ごす時間が愛しく名残惜しい。
ぼくには戻らなければならない明日がある。ぼくたち日勤は、夜勤のボランティアチームに後を任せてフロアを後にした。
「お疲れさまでした、またどこかで」
お互いにそれ以上湿ったことは言わないが、ぼくの頭の中では、山口百恵さんの『さよならの向う側』の一節が繰り返し鳴り響いていた。
♪ 約束なしのお別れです
今度はいつとは言えません
同じホテルに宿泊するボランティア仲間がいたので夕食に誘い、しばしの時間、語り合い笑い合った。
そして、そのうちのひとりと金沢の夜街へと出かけた。住宅街の路地裏、店名をひっそりと灯す古民家のBARに入った。
古い木戸を開けると、白い割烹着を来た妙齢の女将さんが迎えてくれた。六席しかないカウンターには三人の常連さんがいて、他県から来たボランティアだと知ると、乾杯を求められた。
「遠くからありがとね」
自分が誰かのために活かされたことが、とても嬉しかった。
おしまい。
U^.^U 旅する介護福祉士ぎんちゃん
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?