ひねくれ者が幸せになる為に

まず、この文章に目を留めてくれ、読もうとしてくれている方々に感謝する。そして、この文はただ僕自身が自分の頭を整理するために吐き出した自慰行為のようなものでしかないのでご容赦いただきたい次第である。それでも読みすすめてくれる人達には重ね重ねの感謝を。
とはいえ、初めての投稿なので簡単に自己紹介をしようと思う。自分の見てくれはどこにでもいるような顔もスタイルもかっこよくない、ただの一般成人男性Aである。そして自責的、天邪鬼でひねくれてて、その上他人とのコミュニケーションが下手な癖にユーモアに有り溢れてると勘違いしてる救いようの無いど阿呆である。
で、うだうだと自身がいかに駄目かを書いていってもキリがない上、見てる側もただ「しんどさ」が積もるだけなので、そろそろ本題に入りたいと思う。
この文を書こうと思ったきっかけは大それたことではなく、「所謂コミュ障や要領の悪い人達は迷惑をかけるつもりで働いている訳ではない。彼ら自身も人並みの生活をするため為に働いていて、結果的に周囲に疎まれてしまう。そこを逆転して考える人が多い」といったニュアンスのツイートを見つけたからである。そうしてこのツイートを通して、僕自身が幸せになる事は如何すれば良いのだろうとふと、脳裏に過った。
まず第一に、僕自身が根暗であるとかは置いておいて、フラットな状態で自身を客観視して見たとしても、やはり僕自身はコミュ障で要領を得ない人間であることは間違いない、過去の無数の経験がそう訴えている。
虐待や嫌な経験があったからではなく、寧ろ恵まれている筈なのに、未だに家族に心をちゃんと開けていない自分。長い付き合いの友人達にもどこか本心を常に隠してしまっている自分。アルバイトをすれば仕事を覚えるのが遅く、分からないことがあっても先輩達や上司に遠慮をしてしまい結果的に仕事が遅れて迷惑をかけてしまったり、グループワークでも自分が担当してるパートの方向がズレてないか不安になっても他メンバーに当日まで聞かず、期限ギリギリになってやり直すだとか、挙げようと思えば無限に挙げられる。
ではこんな自分が幸せになる為には何が必要なのだろうか。よく使われる極端な例だが、例えば努力をせずにある日突然億万長者になれたとする。そうすれば働かなくて良いので、他者に迷惑をかけなくて済むだろう。何か欲しいものがあったら何も迷わず「ポチッ」とするだけで手に入る。だが次第に「寂しい」という感情が一生付いてくるようにも思える。ただでさえ他人と絡むのが下手なのに、職場という「きっかけ」すらなくなってしまったら、人と絡む機会がなくなってしまう。今の友人達とも価値観のズレから話が合わず、結果的に孤独まっしぐらであろう。
では孤独を埋めるため、金銭ではなく、どこぞの天空の城よろしく、急にタイプな女性が降ってきたらどうだろうか?僕が初対面で吃るのが目に見える。仮に順当にコミュニケーションをして行ったとしても、奥手奥手、いや、臆病な僕ではその場で話して終わりである。
ということはどんなに環境が変わっても、どんなに自分に都合が良くなっても結局僕自身がこのままなら何も変わらないのでは無いだろうか。
いや、そもそも今までだってそうではないか。隣の芝生ばかりを見てきたから気づかない、目を逸らしていたが、自分の人生は常に誰かが手助けしてくれていた。自分の行動を肯定してくれている両親、入学初日に話し掛けてくれ、結果的に今も続く長い付き合いとなった友人達、人見知りなのを知ってわざわざ知り合いを紹介してくれた友人。だがそれを上手く活用せずに、他者に驕り勝手に腐っていったのは他でもない僕自身である。ここからは自分自身を変えていかなければ。具体的にどうすればいいかはまだ分からない。
だがそうしないと僕はきっと幸せになれないだろう。

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