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天理教手柄山分教会報より「逸話篇を学ぶ」(2020年後半掲載分)

     80 あんた方二人で  (2020年7月掲載)
 
 明治十三、四年、山沢為造が二十四、五才の頃。兄の良蔵と二人で、お屋敷へ帰って来ると、当時、つとめ場所の上段の間にお坐りになっていた教祖は、
「わしは下へ落ちてもよいから、あんた方二人で、わしを引っ張り下ろしてごらん。」
と、仰せになって、両手を差し出された。
 そこで、二人は、畏れ多く思いながらも、仰せのまにまに、右と左から片方ずつ教祖のお手を引っ張った。しかし、教祖は、キチンとお坐りになったまま、ビクともなさらない。
 それどころか、強く引っ張れば引っ張る程、二人の手が、教祖の方へ引き寄せられた。二人は、今更のように、「人間業ではないなあ。成る程、教祖は神のやしろに坐します。」と、心に深く感銘した。


 教祖が先人の先生方と力比べをされたというお話は逸話篇の中でもたくさん出てきます。なかでも、「神の方には」というタイトルは逸話篇に二度もでてくるほどです。(118と131)多くの御逸話では、おやさまと先人の先生一名の一対一で力比べをするのですが、この御逸話は二人力を合わせて、力比べをします。単に神様の力が解るためならば、明らかに一対一で力比べをした方がいいはずです。なぜなら、私達人間は、すぐ心に言い訳を考えるので、もう一人の人間がどれほど懸命に力を入れているか疑問視するからです。どうしてだろうと思い、まずひっかかったのは冒頭の言葉でした。『山澤為造が二十四、五才の頃。兄の良蔵と二人で』とあります。兄よりも弟の名前が先に出てくる文章は少ないですよね。もちろん、それは、後々の為造のお立場を考えてのことであろうと推察します。ですから、教祖の目には、将来の為造先生のお姿が見えていたのだと思います。でも、それだけでしょうか。もう一度読み直して考えました。『強く引っ張れば引っ張る程、二人の手が、教祖の方へ引き寄せられた。』ここを読み返してはっとしました。兄弟が力を合わせて神様を強く引っ張ることの大切さを教えられているのではないかと思ったのです。いろんな兄弟の形があることでしょう。決して兄弟は仲の良い兄弟ばかりとは限りません。二人だけでなく大勢の兄弟でも同じだと思います。
 神様は、子供たちが一緒に力を合わせて大きなものに立ち向かう姿、神様を強く引っ張る様をみて、お喜びになるような気がします。
 
    116 自分一人で   (2020年8月掲載)
 
 教祖のお話を聞かせてもらうのに、「一つ、お話を聞かしてもらいに行こうやないか。」などと、居合せた人々が、二、三人連れを誘うて行くと、教祖は、決して快くお話し下さらないのが、常であった。
「真実に聞かしてもらう気なら、人を相手にせずに、自分一人で、本心から聞かしてもらいにおいで。」
と、仰せられ、一人で伺うと、諄々とお話をお聞かせ下され、尚その上に、
「何んでも、分からんところがあれば、お尋ね。」
と、仰せ下され、いともねんごろにお仕込み下された。

 
 新型コロナが流行してから、ずっと、どうしてだろうなと考えています。ですから、ここ数か月の『御逸話篇を学ぶ(表紙の言葉より)』もやはり、神様の思いはどこにあるのだろうと考えながら、書かざるを得ません。そんな中、最近耳にするようになった言葉に「ソーシャルディスタンス」というものがあります。人と人との距離を一定以上は離しなさいというもです。
 子供の頃から、「たすけあい」という言葉で育ってきた筆者にとって、人に近づいてはいけないという言葉の裏に、どんな神様の思召しがあるのかなかなか理解できませんでした。ですが、この御逸話を読ませて頂いた時、ハッとしました。そうして自問したのです。今まで私は、誰かに誘われたから、仕方なく信仰を続けてきたのではないかと。新型コロナが流行してから、様々な行事が中止となりました。月次祭の祭典にも殿内での参拝はできません。でも、自分自身に問いかけて下さい。あなたは、自分一人でも、神様に喜んで頂こうと頑張ってきましたかと。毎年のことだからとか、みんながしているから、一人だけサボっていたら何か言われるかもしれないからとか、仕方なく信仰を続けてきませんでしたか?そんな信仰で神様が喜んでくださるはずがないと思いませんか。たとえ自分一人でも、神様にお喜び頂きたい、そういう心が、今一番大切なのではと、私自身反省をしております。
 
     109 ようし、ようし  (2020年9月掲載)
 
 ある時、飯降よしゑ(註、後の永尾よしゑ)が、「ちよとはなし、と、よろづよの終りに、何んで、ようし、ようしと言うのですか。」と、伺うと、教祖は、
「ちよとはなし、と、よろづよの仕舞に、ようし、ようしと言うが、これは、どうでも言わなならん。ようし、ようしに、悪い事はないやろ。」
と、お聞かせ下された。

 
 みかぐらうたの第二節と第四節の共通点は、ともに話者の視点が神様から人間に向けらていることだと思います。
 これは第一節の「たすけたまえ」や第三節の「たすけせきこむ」のように人間から神様への言葉とは違うところです。
 ですから、「ようし、ようし」いう言葉には神様から子供である人間への大いなる愛情があらわされてるのではと、筆者は思っております。
 新型コロナの流行や大型台風や洪水など、大規模な自然災害を耳にするなかで、「これは、どうでも言わなならん。ようし、ようしに、悪い事はないやろ。」とという教祖のお言葉を、もう一度しっかりと考え直さないといけない気がします。人間が楽しむのを見て、神様も一緒に楽しもうと思召されて人間を想像し、今この瞬間も、神様は人間が楽しむのを見て、神様も一緒に楽しもうと数え切れないほどおご守護を下さっています。その神様が、与えざるを得ないと、やむにやまれず与えられる自然災害の発生する理由を、私達一人ひとりが真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
 
   134 思い出     (2020年10月掲載)
 
 明治十六、七年頃のこと。孫のたまへと、二つ年下の曽孫のモトの二人で、「お祖母ちゃん、およつおくれ。」と言うて、せがみに行くと、教祖は、お手を眉のあたりにかざして、こちらをごらんになりながら、
「ああ、たまさんとオモトか、一寸待ちや。」
と、仰っしゃって、お坐りになっている背後の袋戸棚から出して、二人の掌に載せて下さるのが、いつも金米糖であった。
 又、ある日のこと、例によって二人で遊びに行くと、教祖は、
「たまさんとオモトと、二人おいで。さあ負うたろ。」
と、仰せになって、二人一しょに、教祖の背中におんぶして下さった。二人は、子供心に、「お祖母ちゃん、力あるなあ。」と感心した、という。


 三年ほど前、父であった五代会長の思い出集を出しました。私も原稿を書いたのですが、いざ書こうとすると、あれほどたくさんあったはずの思い出がなかなか、言葉にできず申し訳ない気持ちになりました。どれも断片的な記憶ばかりで、しっかりとしたエピソードとして繋がらなかったのです。むしろ、大勢の方の書かれた文章を読みながら、父らしいなあとか、あんなこともあったなあと、思い出す事ばかりでした。さて今回の御逸話はお孫さんやひ孫さんからみた教祖晩年の思い出です。御逸話篇の中でも特に教祖の雰囲気が分かりやすい御逸話だと思います。考えてみれば、父の思い出も、子供の頃の思い出の方が鮮やかな気がします。不思議なものですね。過日、大教会の紺谷京子三代会長夫人が出直されました。もちろん詰所で御用をさせて頂くようになった頃、京子奥様は詰所にいらっしゃったので、ご参拝の時に運転をさせていただいたり、お仕込みを受けた思い出などもあるのですが、子供の頃の思い出の方が、印象に残っている気がします。大教会の会長宅富子お祖母ちゃんのところへ用事で行って、お菓子を頂いたような些細な記憶ではあるのですが、いつも三代会長紺谷久則先生のとなりで笑っておられたように思います。長い間、本当にありがとうございました。
 
     154 神が連れて帰るのや  (2020年11月掲載)
 
 教祖の仰せに、
「巡査の来るのは、神が連れて帰るのや。警察へ行くのも、神が連れて行くのや。」
「この所に喧しく止めに来るのは、結構なる宝を土中に埋めてあるのを、掘り出しに来るようなものである。」
「巡査が止めに来るのやない。神が連れて帰るのである。」

と。
 
 新型コロナが流行してから、月次祭前後の詰所もずっと静かな状態が続いていました。でも御本部が中庭を開放され、殿外にパイプ椅子を出されるようになったこともあり、少しずつにぎやかさを取り戻してきたように思います。
 そんな中、悪いニュースだけでなく、いろいろあったけれど良くなったという話も聞くようになりました。例えば、自分を見直す時間ができたり、物事を深く考えるようになったりという人々が増えたそうです。またきれいな青空を取り戻したとか家庭内での会話は増えたといった話も耳にしました。「神が連れて帰るのや。」このお話は何も当時の巡査の話だけではないと思います。コロナのような疫病もそれ以外の心を痛めるような禍も、すべて神様のご守護がないと成り立ちません。この世界には目をそむけたくなる現実がたくさんあります。でもどんな現実であっても、そこにでさえ他の事象と変わらない神様のご守護や親心が詰まっているはずです。筆者はコロナが流行しはじめてから、SNSに新しい四コマ漫画を描き始めたのですが、同じようにコロナがあったから、新しい事をはじめた人も多いはずです。
 せっかくの神様のご守護ですから、心の向きや行動を、少し変える努力をお互いにしたいと思います。
 
      176 心の澄んだ人   (2020年12月掲載)
 
 明治十八年十二月二十六日、教祖が仲田儀三郎に下されたお言葉に、
「心の澄んだ人の言う事は、聞こゆれども、心の澄まぬ人の言う事は、聞こえぬ。」
と。


 心の澄んだ人とは、どんな人でしょうか。誰にでも、心の澄んでいる時や濁っている時があります。また、この人はなんて心の澄んだ人なんだろうと驚く時もあれば、反対に、こんな人もいるのかと不満に思うこともあります。私の考える心の澄んだ人と神様の仰る心の澄んだ人は、違うかもしれません。なので、仲田儀三郎先生はどんな先生だったかを考えました。教祖が仲田儀三郎先生に仰ったと言うことは、先生の通り方に、心の澄んだ人のヒントがあると思ったからです。
 仲田先生は文久3年、奥様の産後の患いをおたすけ頂いて入信された、最も信仰の古い先生のお一人です。いつも周囲の方々を楽しませるような陽気で朗らかな人であったと聞かされます。また教祖伝にも、御逸話篇にも幾度となく出てこられので、それらを改めて読み返しました。すると、そこに見えてくる姿は、大和神社のふしで神主さんにも自分の思ったことをまっすぐさや、どんな時も教祖の傍にいることを自分の使命とされているひたむきさ、またどんな物事でも大切にする律儀で正直な人柄が浮かんできました。そうして、これだけ一生懸命つとめておられたら、御苦労される中で、心を曇らせることもあったはず…と考えてハッとしたのです。「心の澄まぬ人の言う事は、聞こえぬ。」これは不平は不満は聞こえないから安心しなさいという意味にもとれるんじゃないか。と思えてきたからです。心の澄んだ人ばかりを思っていたけれど、本当は毎日精一杯に伏せ込む中で、頑張ったことだけ見て下さる、教祖の親心にも思えてきたのでした。
 

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