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天理教手柄山分教会報より「逸話篇を学ぶ」(2022年後半掲載分)

87 人が好くから (2022年7月掲載)
 
 教祖は、かねてから飯降伊蔵に、早くお屋敷へ帰るよう仰せ下されていたが、当時子供が三人ある上、将来の事を思うと、いろいろ案じられるので、なかなか踏み切れずにいた。
 ところが、やがて二女のマサヱは眼病、一人息子の政甚は俄かに口がきけなくなるというお障りを頂いたので、母親のおさとが教祖にお目にかからせて頂き、「一日も早く帰らせて頂きたいのでございますが、何分櫟本の人達が親切にして下さいますので、それを振り切るわけにもいかず、お言葉を心にかけながらも、一日送りに日を過しているような始末でございます。」と、申し上げると、教祖は、
「人が好くから神も好くのやで。人が惜しがる間は神も惜しがる。人の好く間は神も楽しみや。」
と、仰せ下された。おさとは重ねて、「何分子供も小そうございますから、大きくなるまでお待ち下さいませ。」と、申し上げると、教祖は、
「子供があるので楽しみや。親ばっかりでは楽しみがない。早よう帰って来いや。」
と、仰せ下されたので、おさとは、「きっと帰らせて頂きます。」とお誓いして帰宅すると、二人の子供は鮮やかに御守護を頂いていた。かくて、おさとは、夫の伊蔵に先立ち、お救け頂いた二人の子供を連れて、明治十四年九月からお屋敷に住まわせて頂く事となった。

 
 大教会の世話人先生が、飯降力先生に代わられました。五月の巡教講話を直接お聞きすることはできなかったのですが、活字になったものを読ませて頂きいろいろと考えさせられました。先生と面識はないのですが、お父様の飯降政彦先生は、筆者が海外部に入った頃の海外部長を務めておられました。今でも忘れられないのは、香港出張所にお越しになられた時、三濱善朗先生と一緒に、地下一階の出入口から地上十六階の出張所までエレベータを使わずに階段を上ってこられたことです。なんでも毎回香港にこられたときには恒例になさっていたのだとか。停電になったときだけ、ブーブー言いながら仕方なく階段を使っていた私は、楽しそうに上ってこられた先生方を見て見習わなければと反省させて頂きました。
「人が好くから神も好くのやで。」
 このお言葉を聞いて、海外部にいらっしゃった頃の飯降政彦先生です。いろんな人に対して気さくに声をかけて下さるだけでなく、いつもいろんなことに好奇心をもって、楽しんでなさっておられるようにみえるので、いつもいろんな人が先生の周囲に集まっておられたように記憶しています。
 でも、人に好かれるということは、なかなか難しいことのように思います。どんなに一生懸命に頑張っていても、「なんで僕ばっかり」と少しでも思ったら、しっかりと顔に出て、嫌な思いを周囲の人にさせてしまいます。他人と比べなければ、もう少し好かれるかもと思うのですが、次男坊で僻みっぽい筆者は、なかな周囲の人と上手にあわせていくことが苦手で、ついつい「人に好かれていないということは、神様にも好かれていないんだろうな」とネガティブに考えてしまいます。以前大教会長様は巡教講話の中で、「目の前の人を楽しませることが大切」だとおっしゃっていたのですが、なかなか難しいことですね。一番近くにいる家族に対しても、子供たちの顔を見たら、叱ることしか思いつかないし、逆に家内には叱られてばかりです。ダメだなあと思いながら、考えました。目の前にどんな人がいたら私は楽しいのだろう。そうしたら簡単に答えがでました。目の前に楽しそうな人がいたら、僕も楽しい。当たり前の話です。だいたい神様は人間が楽しむのをみてともに楽しもうと思召されて人間を創造されたのですから。飯降力先生は巡教講話の中で飯降家の深いいんねんについてもお話させておられました。そして、ふしに遭遇して後ろ向きになっている心を、ぱっと前に心を切り替えて神様の方に向き直すことの大切さを教えてくださいました。やっぱり神様に心を向けることが、自分も楽しくなるし、人にも、そして神様にも好かれる、一番の方法なのかもしれませんね。
 
 
 189 夫婦の心 (2022年8月掲載)
 
 平野楢蔵が、明治十九年夏、布教のため、家業を廃して谷底を通っている時に、夫婦とも心を定め、「教祖のことを思えば、我々、三日や五日食べずにいるとも、いとわぬ。」と決心して、夏のことであったので、平野は、単衣一枚に浴衣一枚、妻のトラは、浴衣一枚ぎりになって、おたすけに廻わっていた。
 その頃、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖が、 
「この道は、夫婦の心が台や。夫婦の心の真実見定めた。いかな大木も、どんな大石も、突き通すという真実、見定めた。さあ、一年経てば、打ち分け場所を許す程に。」
と、お言葉を下された、という。

 どうして道の台が女性なんだろうと疑問に思ったことがありました。筆者の勝手な思い込みで、男性は水であるくにとこたちのみこと様で理性的、対して女性は火であるをもたりのみこと様で情熱的。なので理性的なものが土台にこないと変じゃないかと、勘違いをしていたのです。
 でもある時、かぐらづとめの神楽面のイラストを見てハッとしました。たいしょくてんのみこと様やくにさづちのみこと様は女面、かしこねのみこと様やつきよみのみこと様が男面なのに対して、くにとこたちのみこと様もをもたりのみこと様も獅子面だったからです。頭が悪いくせに知ったかぶりの筆者は、ついつい勝手な思い込みや勘違いを正しいことにように思い込んで、講釈を言いたがるのですが、やっぱりどんなことも、ちゃんとしっかり調べないといけないですよね。それで、どうして道の台が女性なのかと調べたのですが、探した限り原典にそれらしいものを見つけることができませんでした。むしろ、おさしづには「男女によらん。道の台 1 つから」(明治 34.3.7)とあります。決して性別で道の台を分けてはいなかったのです。ですからこの逸話を見つけたときも、やっぱり「夫婦の心」が信仰の台なのだと改めて思い直しました。ちなみに天理教事典によると婦人会で「みちのだい」という言葉が使われたのは、大正14年、前述のおさしづを頂かれた永尾よしゑ先生が、女性も男性と同じく道の台であるという理解から、「女性は道の台」という講演を行われたことにはじまり、昭和5年に刊行された婦人会の機関紙が「みちのだい」と命名されたことで、広く認知されるようになったのだとか。このご逸話を調べていて、驚いたことがもう 1 つあります。平野楢蔵先生が、「危ない所まさかの時の台という、俎板という」( さ 37・4・22) とのおさしづを頂いて、「道のまな板、道の台という信念を持って勤めきれらたと出てきたからです。道の台とはつまり、夫婦の心を揃えて、苦労して通ってきたことが、事故や病気など、何か危ないことに遭ったときに、神様に救けていただける、その土台になるということなんですよね。結婚してからの生活を振り返ると、いろんな時々で神様にたすけて頂いたを思い返します。そうして、その土台はフラフラした私ではなく、懸命に歩んでくれた家内のおかげ。そう反省していたら、恥ずかしながら、女性が道の台というのもあながち間違いではないのかもという気がしてきました。
 
 
 
79 帰って来る子供 (2022年9月掲載)

 教祖が、ある時、喜多治郎吉に、
「多く寄り来る、帰って来る子供のその中に、荷作りして車に積んで持って行くような者もあるで。又、風呂敷包みにして背負って行く人もあるで。又、破れ風呂敷に一杯入れて提げて行く人もある。うちへかえるまでには、何んにもなくなってしまう輩もあるで。」
と、お聞かせ下された。

 
「人間は、頭の上の大きな器を載せて生活をしているようなものです。幸せというものは、 雨のように空の上から平等に降り注がれますが、頭上にある器の大きさや形が、人それぞ れに違うから、器に入っている幸せの量が変わってくるのです」
  以前、香港で開かれた陽気ぐらし講座で、講師の先生がそのような話をなされたのを覚 えています。
 たしかに器の大きさが小さければ、すぐに溢れてしまいます。反対にどれほど大きな器でも、口が狭ければ、あんまり入ってこないかもしれません。きっと人生の数だけ、さまざまな形や大きさの器がそれぞれの人間の頭上に載っていることでしょう。
 そうして大切なことは、どれほど立派な器に見えたとしても、ほんの小さな穴が開いているだけで、幸せはどこかへと流れて消えてしまうということです。
 この御逸話を読んで、「荷作りして車に積んで持って行くような者」とはどんな人だろう、自分もそういう人間になりたいなあと考えた人はきっと多いこと思います。 でも想像してください。お屋敷へ荷車を引いて帰ってくるような人は、きっと、どこへ行くときも、その荷車を引いて歩いていると思います。それは、とっても重たいし邪魔くさいことだと思います。我が家で旅行するときも、自分のことしか考えない筆者は小さな鞄一つですが、家内はびっくりするほどたくさんの荷物です。でも、その中身は「もし雨が降ってきたら」「もし子供が風邪をひいたら」という子供たちへの愛情で詰まっています。反対に破れ風呂敷の人は……。やっぱり、なんでも当たり前になって幸せに気づかない人なのかも。電気のスイッチや水道の蛇口。そこに感謝の心があれば、もったいないと栓を閉めること忘れないでしょう。
「あなた、箪笥の引き出し、ちゃんと最後まで閉めなさい!って、いっつも言っているでしょう!!」
 ……やっぱり、いっつもダラシのない筆者が言っても説得力がないか。
 
137 言葉一つ (2022年10月掲載)
 
 教祖が、桝井伊三郎にお聞かせ下されたのに、
「内で良くて外で悪い人もあり、内で悪く外で良い人もあるが、腹を立てる、気儘癇癪は悪い。言葉一つが肝心。吐く息引く息一つの加減で内々治まる。」
と。又、
「伊三郎さん、あんたは、外ではなかなかやさしい人付き合いの良い人であるが、我が家にかえって、女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。それだけは、今後決してせんように。」
と、仰せになった。
 桝井は、女房が告口をしたのかしら、と思ったが、いやいや神様は見抜き見通しであらせられる、と思い返して、今後は一切腹を立てません、と心を定めた。すると不思議にも、家へかえって女房に何を言われても、一寸も腹が立たぬようになった。


 桝井伊三郎先生と言えば、子どもの頃、 病気になったお母さんのために、伊豆七条 村(郡山インターを少しこえたあたり)から一日に三回もお屋敷まで往復して教祖に平癒をお願いされた御逸話で有名ですね。奥様の桝井おさめ先生は柿選びの御逸話が有名です。教祖が一番悪い柿をお選びになられているのに気づかれたのは、きっとご自身が、ご自分のことを後回しにしてつとめておられた先生だからだと思います。こんな心の優しいお二人でも夫婦喧嘩をなされるというのですから驚きですね。
 お二人は、どんなことで喧嘩をなさったんだろうとか、どんなことをガミガミとお叱りになったんだろうかと想像しながら、御逸話の意味を考えていたのですが、ふと気づいたことがあります。 それは「腹立ち」の心は、自分の身近なことやあるいは関心のあることにしか使わないということです。
 映画やドラマを見ながら、腹を立てることは、よほど感情輸入しないとありません。悲惨なニュースで腹を立てるときも同様です。なぜだろうと考えて思いついたのは、神様が腹立ちの心を人間に与えられたのにも、理由があるということです。その理由とは、大切なものを守るためです。自分自身の体や命だけでなく、大切な家族であったり信条であったり夢やプライドであったり、そんないろいろな大切なものを守るために、きっと腹立ちの心を与えて下さったのだと思い至りました。
 奥さんに腹立ちの心を使うことを、神様は「一番いかんこと」とまで仰せになっています。それは、大切なものを守るために神様が与えてくださった腹立ちの心で、一番守るべき大切な人に使っているからではないでしょうか。
「もう!ドアは開けっ放し、服は脱ぎっぱなしで、パパがそんなんやから、子供たちも全然片付けへんでしょ!!」 
「もう!後で片づけるから黙っててくれんか!」
 ごめんなさい。私も腹立ちの心を使わないように努力します。
 
159 神一条の屋敷 (2022年11月掲載)
 
 梅谷四郎兵衞が、ある時、教祖のお側でいろいろお話を承っていたが、ふと、「ただ今、道頓堀に大変よい芝居がかかっていますが、」と、世間話を申し上げかけると、教祖は、その話を皆まで言わさず、
「わしは、四十一の年から今日まで、世間の話は何もしませんのや。この屋敷はな、神一条の話より外には何も要らん、と、神様が仰せになりますで。」
と、お誡めになった。

 
 暇な時間にボーっとテレビを見たり、本を読んだりするのが好きな私は、「なんで、何もしたらあかんねん」とついつい愚痴を言いたくなる御逸話です。もっと言えば、何の楽しみもなくてどうやって陽気ぐらしが出来るの!と文句を言いそうになり、なんて僕は自分勝手なんだろうと反省して口を閉じました。でも、好きなことの一つもないと、誰かを心を許して会話するのもなかなか難しいのも本当のことだと思います。
 ですから「神一条の話より外には何も要らん」と仰った神様の真意はなんだろうと考え込んでしまいます。
 でも、自分のことを棚に上げたら、すぐに答えが目の前に転がっていました。 もちろん、転がっているのは、我が家の子供たち。
 「あんたら、明日テストちゃうんかいな。こんなところで、ゴロゴロとテレビを見ててどうするの!ちゃんと勉強しなさい!」
 そうですよね。神様はあれをしてはダメだ、これをしたらダメだと仰っている訳ではなく、世界中の子供たちを救けあげるためには、そんなことをしている時間がないだけなのです」
 テストに限らず、自分とってに大切な本当にすべきことをしようとしたならば、それ以外のことをダラダラとしている余裕はないのとうことは、誰もが経験していることですよね。
 まして、世界中の人々の救けたち思召される教祖がご覧になられていた世界や耳に届いた誰かの声を想像したならば、とても自分の些細な楽しみに大切な時間を使うわけにはいかなかった理由も容易に推測できます。
 先月発布された諭達第四号で真柱様がもっとも文字数を割いて述べられていたのは、教祖のひながたについてでした。他の何を差し置いても世界たすけを急きこまれた教祖がご覧になられていた世界やお耳に届いていた誰かの声を想像して、自分たちも、他のことは差し置いてでも一心不乱に三年千日をつとめ切ることが大切だと改めて思わせて頂きました。
 
136   さあ、これを持って  (2022年12月掲載)
 
 教祖が、監獄署からお帰りになった時、お伴をして帰って来た仲田儀三郎に、監獄署でお召しになっていた、赤い襦袢を脱いでお与えになって、
「さあ、これを持っておたすけに行きなされ。どんな病人も救かるで。」
と、お言葉を下された。
 儀三郎は、大層喜び、この赤衣を風呂敷に包んで、身体にしっかりと巻き付け、おたすけに東奔西走させて頂いた。そして、
なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと
と、唱えながら、その赤衣で病人の患うているところを擦すると、どんな重病人も、忽ちにして御守護を頂いた。

 
 もう20年も前のこと、戦後初めて、香港に天理教の教会ができました。筆者が香港出張所に務めるようになって間もなくのことです。南香港教会という名のとおり、南大教会の部内教会です。鎮座祭や奉告祭のお手伝いに筆者もいかせて頂いたのですが、そこに南大教会の大教会長様(当時)が御臨席されていました。奉告祭も終わって、数名で雑談をしている時に、南大教会の大教会長様がこんなおたすけの話をしてくださいました。病院で重病人におさづけを取り次いでいた時のこと。どれほど一生懸命におさづけを取り次いでいても、病人の方は意識もなく、全く変化は見られません。でも、隣でその様子を見ていた人が驚いて、いろんな人に声をかけて、呼んだのだそうです。なぜかというと、病人の方は全く変わることはなかったのですが、取り付けてあった心電図がおさづけを取り次ぐたびに反応していたからだそうです。
 おさづけを取り次いでも全く御守護を頂けない思うような時でも、本当は人間にはわからないだけで、しっかりと御守護を頂けているのかもしれないと、その時に教えて頂きました。鮮やかな御守護を目の当たりにしたことのない筆者でも、家族におさづけを取り次ぐことはあります。特に子供たちが火傷したり大けがをしたりして、心配で仕方がないとき、オロオロしておさづけ以外何もできないときもあります。でも、何もできなくても、おさづけを取り次げるということが、有難いと思えるのは、もしかしたら、筆者も子供の頃、病気やけがの度ごとに父や母からおさづけを取り次いでもらったからかもしれません。
「さあ、これを持っておたすけに行きなされ。どんな病人も救かるで。」
もちろん、これは教祖が仲田儀三郎先生に仰ったお言葉です。でも、私たちようぼくは教祖殿でおさづけの理を戴いたとき、誰もが教祖から同じ言葉を頂いていると思います。
南香港教会では月次祭の祭典終了後、毎月、何人ものようぼくが、一斉に病気をもった人々におさづけを取り次ぐことが恒例になっています。みなさん、真剣に取り次がれているのですが、その殆どが信仰初代で、しかもおさづけで本当に御守護を頂いて信仰をはじめられたとのことでした。
 

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