最後の晩餐
弱ってきた猫は、食べられなくなる。原因はさまざまだけど、だいたい食べられなくなってしまう。それが、とてもつらい。
ペットフードメーカーは、栄養価も身体への悪影響も無視して、すべての力を猫の「おいしい」のみに注いだ渾身のフードを作ってくれまいか。
もう、栄養はなくていい。少しくらい身体に悪くてもいい。分量もほんの少しでいい。ただ猫が食べてくれさえすればそれでいい。
最後の晩餐にふさわしいフードがあれば、通常の10倍の価格でも絶対に買うのに。
なにをあげても食べられない猫を前にすると、そんなことを考えてしまう。猫のため、というより、もうこれは、僕のためだ。
でも、わかってる。
そんなのは、ないのだ。
二年前、ガンで亡くなった母が最後に口にしたのは、カルピスアイスバーだった。
ほんのひとくちだけ口にして、冷たくて、おいしいと言った。
それが最後の晩餐だった。
死とは、そういうものなのだ。
そんなそんな。