チカイチバ、トオイチバ

 突然、その市場のことを思い出したのは、今が夏だからかも知れない。思い出す場面は夏に限らないけれど、夏は子供のころを思い出すことが多い。

 中学2年まで住んでいた町には、「市場」があった。
 市場といっても、錦市場や黒門市場のような規模ではもちろんなく、卸売市場の類のものでもなかった。長さにすると、100~200mくらいだろうか。八百屋から駄菓子屋、おもちゃ屋や金魚屋まで、こじんまりしたお店がみっちり並んでいる「小さな商店街」みたいな雰囲気だった。小学生のころ、買い物といえばいつもその市場だった。
 ガチャガチャも、文房具も、アタリ付きのフーセンガムも全部その市場で買っていた。

 行きつけだった市場は、通称「チカイチバ」と呼ばれていた。
 町の人たちの生活圏内には、もうひとつ市場があった。チカイチバよりも少し規模が大きく、少し離れた場所にあったその市場は、「トオイチバ」と呼ばれていた。近いから「ちか市場」、遠いから「とお市場」だったのだと思う。(大人たちもそう呼んでいたように記憶している)
 そのおおらかなネーミングが、そのまま当時の町や生活の雰囲気と重なる。
 いま思うと、当時トオイチバ近辺に住む人は、トオイチバをなんと呼んでいたのだろうか。チカイチバと呼んでいてくれればいいのに。逆に僕がチカイチバと呼んでいた市場を、彼らがトオイチバと呼んでいたら、なんだかそれだけで愉快だ。

 泣いている妹を家に追い返した通りも、野球のあと泥だらけでくぐった線路の高架下も、「シャア専用ザク」を手に入れたプラモデル屋も、チカイチバもトオイチバも、本当に自分が体験したことで、実在した場所なのか、少し自信がない。
 ただ苦くてホコリ臭くて恥ずかしくて適当でバカバカしかったような記憶は、ある。それで十分なのかも知れない。

 震災のあと、再開発が行われて、今はもうどちらの市場も存在しない。
 その町には、もう10年以上訪れていない

そんなそんな。