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第4回 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)ゆかりの地を歩く

 西都市は日向神話ゆかりの伝承地を結ぶ道を「記紀の道」として整備しています。都萬神社から古墳群を結ぶ4Kmほどの遊歩道です。この道筋にはニニギノミコトコノハナサクヤ姫にまつわる伝承の地が、色々と有ります。
 しずかで、一般の観光客も少なく、ゆったりと神話の世界に浸ることのできる場所です。一度訪れてみてください。コノハナサクヤ姫のパワーを得られるかも知れません。(笑)

・都萬(つま)神社

都萬神社 正面

 都萬(つま)神社は、西都原台地の東側に有ります。木花咲耶姫(コノハナサクヤ姫)を祀る神社は、富士山本宮浅間社が有名ですが、この都萬(つま)神社にもコノハナサクヤ姫が祀られています。創建ははっきりしませんが、奈良時代には存在していたと言われています。 コノハナサクヤ姫は3神の神を育てるのにお乳がたりずに、甘酒を造って、母乳の代わりにしたと言われています。そこでこの地が、日本酒発祥の地と言われています。今でも、お祭りには甘酒がふるまわれます。



・逢初川(あいぞめかわ)

逢初川

 ニニギノミコトコノハナサクヤ姫が出会った場所とされています。古事記では出会った場所は、笠沙岬(鹿児島県の野間半島)とされていますが、当地も出会いの場所とされています。
 余談ですが、西都には逢初と言う銘柄の焼酎があります。美味しですよ。(笑)


・無戸室(うつむろ)

無戸室

コノハナサクヤ姫が、出入できない(入口がない)産屋を作って、火を放ち燃えさかる中で、3神を生んだと言われる場所です。


・八尋殿後(やひろでんあと)

八尋殿後

ニニギノミコトコノハナサクヤ姫が住んだ屋敷の跡と言われています。縦横八尋、約15m四方です。なんだか狭いですよね。



・児湯の池(こゆのいけ)

児湯の池

 コノハナサクヤ姫が産湯を汲んだ池と言われています。ここから児湯の地名ができました。



・石貫神社(いしぬきじんしゃ)

石貫神社

大山津見(オホヤマツカミ)が鬼の岩屋から抜き取って投げ捨てた石が参道に鎮座しています。

鬼の窟から抜き取られた石です


・石貫階段(いしぬきかいだん)

石貫階段

記紀と関係ありませんが、記紀の道から西都原台地に上がる階段です。この階段を西都で春のキャンプを張っていた、ヤクルトスワローズが鍛錬の場所として使っていました。
 ここで、当時の監督だった野村監督を見たことがあります。

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