見出し画像

人生草露の如し vol.2 / 【小説】

企画会議は思った以上にスムーズに進んだ。来シーズンの主軸となる美也子の提案する新製品は、従来の人気商品をバージョンアップさせたデザインだった。対象となるユーザーの年代がいわゆるマダム層なので、キーワードは「 着て楽、取り扱いが楽、見た目がスッキリ 」という三つに絞り込んだ。本来ならもう少しデザインに凝って、繊細でモード感のあるマテリアルを使いたいところだが、いかんせん「売れる物作り」を意識すると結局はこうなるのだ。そんな時は自分はデザイナーという概念を取っ払い、物作り職人になり切ることにして精神を保っている。これは仕事を続ける上で結構重要なことだ。全員がアーティストにはなれない。違う視点で考えれば、自分が求められることをしっかりと全うできることを卑下する必要はないし、自分の居場所をしっかりと確保できているという安心感にも繋がって、これから先の人生で何が自分にとってのプライオリティなのかを冷静に判断することができる。

美也子は定年までの年数を考えると、この会社で今のポジションを維持し、この年齢では多い方だと自負できる給料を確保することが、このまま独身を貫くであろう自分の老後の生活を保障してくれると信じている。あと何年働けるだろうかと考えた時、転職やフリーランスの道は、自分にはないなと素直に思うのだった。

会議が終了すると思われたその時、思わぬ意見が飛び出した。その意見の主は意外なことにあの陽子ちゃんだった。


「 あのぅ、言っていいのかどうかわかりませんけれど……。いいでしょうか?」

普段の真面目で実直な仕事ぶりを見ている全員が、それを拒否する理由はなかった。社長自らその意見を欲しがった。

「 なんだい?言ってみて」

「 恐れながら申し上げます。この会社に入社して半年、デザインや企画の勉強中の私がこんなことを言うのは身の程知らずで烏滸がましいのですが、何だか…思うんです。夢が…ないなって 」

「 ほぅ、それはどういうことかな?」

一瞬、会議室に緊張が走る。固唾を飲んでみんなが陽子ちゃんの次の言葉を待った。

「 ファッションって、女性にとっては夢なんです。私もこの会社に夢を持って入りました。夢は楽しくないと意味がないと思うし、美しくないとつまらないし、キラキラ輝いていてほしいと思うんです 」

「 この企画には夢がない、と言いたいのかい? 」

「 ハッキリ言ってそう思います。売れるものを作るのは、手っ取り早く賢い商売の方法だとは思います。結果を残して目標を達成することは会社に利益をもたらし、存続していく上では最も重要なことだと思います。ですけれど、全く遊びのない、余白のない仕事って、見ていて何だか夢がないと思ってしまって。本当はもっと素敵で、もっといいものが作れるのに、あえて作らないようにしているとしか思えません。美也子さんは、本当にこれが作りたいものなんでしょうか。ご自分のデザインに夢や誇りをお持ちなんでしょうか? 」

えっ?何? あたし?

会議室にいる全員が一斉に、チーフデザイナーという立場の美也子に視線を向けた。空気が凍りつく。何が起こっているのか訳がわからず、美也子の心臓は雷に打たれた小動物のように跳ね上がり、鼓動が一気に速くなるのを感じた。それと同時に、あの嫌な症状が急激に襲ってきた。背中から炎が立ち上り、首から上に着火した。みるみる顔が赤くなるのが自分でわかる。カァっとなって髪の毛まで逆立つようだ。まるで風神雷神だ。しかも全然勇ましくない、とても情けない雷神様だ。早鐘のようにドキドキする心臓は勢い余って口から飛び出しそうになる。

「 あ、あの、ええと。あぁ、もちろんそれはわかります。陽子ちゃんの意見は十分理解できます。はい。ですが、私は、私なりに、今のトレンドと需要性を、上手く兼ね合わせて、要するに、その、ええと、まぁ、売れないとお話にならない訳でして……。」

最後の方は自分でも何が言いたいのかわからず、しどろもどろになってしまった。みんなの憐憫の視線が痛い。そしてそれよりも辛いのは額からだらだらと流れ落ちる滝のような汗だった。針の筵とはこのことか。

膝に乗せたフェイラーのタオルハンカチをぎゅっと握りしめ、何度も汗を拭う。その様子はあまりにも滑稽で、新人に思わぬ落とし穴を掘られたベテランが、予期せぬ吊し上げにでもあっているかのようで、ショックの余り茫然自失状態になってしまった。

そのただならぬ緊張の沈黙を破って言葉を発したのは、いつも売り上げのことしか頭にないと思われる、意外な人物だった。

「 まぁ、陽子ちゃんの意見は僕もわかりますよ。夢を持つことはいいことだし理想です。確かに僕たちは安全なところを狙いすぎている。美也子さんの企画する商品は間違いないんです。間違いがないから、そこにみんなが胡座をかいてるのは事実です。最初から売れるとわかっていますから。でもそれだけではメーカーである本来の使命感は果たせていないのかもしれません。ここだからこそできること、できるものがあるべきだし、挑戦することで未来を開く可能性を追求するのは僕たちメーカーの夢であるべきです。そうですよね、美也子さん 」

あまりの暑さに頭がぼぉっとする。遠くなる意識を呼び覚ましてくれたのは、向かいの席から意見を投げかけてくれた営業部の宮島尚人くんだった。美也子はその言葉を受けて少し冷静さを取り戻した。大きく深呼吸をひとつし、ゆっくりと言葉を紡ぎだすように話す。

「 えぇ、その通りですね。私は自分の仕事として、まずは売れる物作りというのを念頭に置いていつも企画を立てています。そこに自分の夢や理想が全く入っていないとは思いませんが、確かに二の次になっていることは否めません。また、どこまで挑戦するかは私一人では決めかねる事案です。思い切り振り切って新しいデザインを提案することはもちろん可能ですが、それはみんなで相談しながら進めていくべきだと考えます 」

社長が深く頷くのを確認して、美也子は少し安堵する。陽子ちゃんの意見に大人気なく楯突いたり、我を通して空気を悪くしてはならないし、この場は助け舟を出してくれた宮島くんの意見を尊重したい気持ちが強かった。

「 そうだね。では一旦この場は途中経過として、もう一度最終決定の時間を取ろう。それまでに営業部とデザインチームでよく話し合って、また新しい企画の提案を出してください 」

社長の締めの言葉で会議は終了した。

思わぬ展開にまだ心が落ち着かない。陽子ちゃんの言葉がやけに心に刺さって抜けない。これまでやってきた自分の仕事を否定されたような感覚に、自分でも信じられないくらい傷ついていた。


「 美也子さん、ごめんなさい。私、余計なことを言ってしまって 」

会議の後、給湯室で陽子ちゃんが頭を下げてきた。目には涙を溜めている。そんなになるんだったら言わなきゃいいのに。でも何故か、美也子はその思いを掬い上げたくなった。

「 なに謝ってるの、会議はみんなが自由に意見する場所じゃない。いいのよ。陽子ちゃんの気持ちはとてもよくわかるから。私も何だか目が覚めたような気がしたわ。もう一度、練り直してみましょう。陽子ちゃんも考えてね 」

美也子がそういうと、陽子はパァッと笑顔になった。なんて純真なんだ。さっきはきっと、本当に思い切って発言したんだろう。その気持ちが素直に伝わってくる。美也子はこの仕事を始めた頃の、夢と希望に満ちた過去の自分を陽子に重ねて見ていた。こんな風に真摯に仕事に向かっていた時もあった。今はどうだ。数字さえ出せばいいと割り切って、最初からゴールが見える仕事しかしていない。それは何のため?会社のため?それとも自分のため?自分の老後のため?改めて考えると、今の自分の仕事が実感のないものに思えてくる。やりたいことは何だったっけ?あたしは何者になりたいんだっけ?その日の午前中は理想と現実の間を行ったり来たりして頭の中がぐるぐると忙しく動き回り、全く仕事にならなかった。


昼休み、近くの蕎麦屋に出向いた。店のカウンター席には先客の宮島くんがいた。朝の会議でのことがまだ少し尾を引いている。美也子は空いている隣の席に座った。

「 宮島くん、朝はどうも。あたし、陽子ちゃんの意見に動揺しちゃって。ありがとね、まとめてくれて 」

「 あ、美也子さん、お疲れ様です。いえ、全く最近の子は忖度ってものができないから。びっくりしましたよ。チーフデザイナーの美也子さんに意見するなんて信じられないよ 」

チーフデザイナーなんて名ばかりだ。要するにあたしは職人なんだとまた少し落ち込んでしまう。慰めて、立ててくれようとする宮島くんの言葉が余計に痛い。

「 ありがとね。でも正直言ってあたしもつまんないなとは思ってるのよ。今回の企画。本当はもっと思い切ったデザインを通したい気持ちもあるの。先シーズンから浸透してきてるボリューミーラインね、あれをもっと強調させたパターンを作りたいなと思ってるんだ 」

「 あぁ、あれね。うん、いいと思うけど、受けるのは都心の一部のショップだけだと思う。地方は弱いよ。きっと売れないと思います 」

「 わかってる。でも、うちのカラーを出せるものにもっと力を入れてもいいんじゃない?そこはほら、営業さんの力でしょ?」

「 相変わらず厳しいなぁ、美也子さんは。もちろん頑張りますけどね、美也子さんのためなら 」

ん?それどういう意味?一瞬真顔になった宮島くんの視線とぶつかる。何この感じ。不意に訪れたこの感覚に美也子はたじろいで固まってしまった。

「 美也子さん、一度ゆっくり話がしたいと思ってたんですが、時間作ってもらえませんか?」

「 へ?あたしに?」間の抜けた返事に宮島くんは思わず吹き出した。

「 美也子さんって面白いですよね。自分のこと、全然わかってない 」

何を言い出すのだろうこの人は。あたしはあたしのことを一番理解してるに決まってるだろ。そう思いながらどんな顔をしていいのかわからず、返事に困ってしまう。

「 いいけど、あたしなんかでよければ…… 」

「 やったぁ!じゃあ、今夜は?」

おおぅ、そうきたか。何だかわからないけれど、お誘いだよね? こんな感じも久しく味わっていないことに気を良くし、美也子はその場でオッケーを出した。

そういえば宮島くんはいくつだっけ?確かあたしが10年前にチーフデザイナーになった時に途中入社で入って来たはずだ。前職は伊勢丹のインポートのメンズショップに立っていたと聞いた。30になったら地に足つけて営業をやりたいと言っていたのを昨日のことのように思い出す。

販売員としてとても優秀だったというその仕事ぶりは、営業職についてからも遺憾無く発揮された。まず見た目がいい。スラっとした長身で、学生の頃にバスケットで鍛えたというバランスの良い体型は、日本人には珍しくスーツがよく似合った。展示会の時には全国から来るバイヤーさんたちに引っ張りだこで、どの店にも分け隔てのない営業の仕方がすこぶる評判がいい。彼が入ってきてから、間違いなく業績は上向きに伸びている。

あたしのデザインだけではこの結果は得られていないと美也子は実感していた。それ位、メーカーの営業は重要な仕事なのだ。

ええと、だから結局何才だっけ? 計算すると、確か40くらいのはずだ。約ひと回りほど年下なのか。そんなイケ男に「話がある」などと誘われることは今までもこれからもきっと皆無だと思うと、少しばかり緊張するけれど、まぁ相談事と言えば仕事か彼女との恋愛話だろうと見当をつける。

美也子は余計な期待は厳禁だと自分に言い聞かせながら、仕事終わりの時間を確かめるため、何度も時計を気にしながらソワソワと過ごした。


続く


**********


#小説




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?