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まんまのお好み焼き

先日、息子が25才の誕生日を迎えた。

当日、私は仕事で帰りが20時を過ぎるため夕食は大したものはできないので、前日の休みにでも少し手の込んだものを作ってあげようかと思っていた。

しかしその日は息子は自分の仲間たちと会って食事をするという。そうだよね、もう25才なんだから。考えたら私が25才の時は既に結婚して娘を産んで親になっていた。中身は子供だったけど、一応社会的には立派な大人だ。もちろん結婚してようがしていまいが、今現在は18才で大人とみなされるのだからそれはそれで大変な世の中だ。息子はもう大人なんだなと少し寂しさと頼もしさが入り交じった気持ちで、改めてこの25年という歳月をしみじみ感じた。

閑話休題。

では誕生日当日はとりあえず特別なことはなんにもなし、と私の中では少し肩の荷が降りた気分になっていた。

すると当日、仕事中に娘からのLINEが来た。

「○○(息子)が今日のご飯、まんま(母)のお好み焼を所望しておる。ご馳走といえばまんまのお好み焼きやって笑」

どうやら娘が誕生日になにが食べたいかを息子に聞いたようだ。休みを取っていた娘はこれから弟のために誕生日ケーキを買いに行くという。あぁ、私よりずっと親らしい娘。

娘は12年前に二度目の離婚をする時、もしかすると夫に息子の親権を取られるかもしれないとなった時、全力で反対した。絶対に一緒じゃなきゃダメだと言って私を奮起させた。一度目の夫との間に生まれた娘は異父きょうだいである5才違いの弟を、生まれたときからまるで母親のように可愛がってきた。本当に私よりずっと深く、親子とは全く違う種類の強い愛情と絆で二人は結ばれていると感じる。息子が中学2年の時に離婚した際、息子は何一つ口には出さなかったけれど心の中にはたくさんの葛藤があったはずだ。それを当時は生活を立てるために必死だった私にはぶつけられず、行き場のない感情を持て余して少しだけささくれた態度に出た時期があった。

私はどうしていいか分からず、ただ生活に追われて、そんな息子に対して見守ることしかできなかった。それは親として、離婚という身勝手な行為によって息子の人生を狂わせてしまったという罪悪感がいつも私に絡みついて口を重くさせていたからだ。何を言ってもそれは「親の勝手」であり、子供にとっては突然突きつけられた不可抗力な厳しい現実でしかなかった。どんな言葉を並べてもそれは親の勝手な言い訳やエゴでしかないと私自身自覚していた。というか、そう思い込んでいた。

そこには日に日に無口になる息子にかける言葉を見つけられずに、ただ見守ることしかできない情けない母親の自分がいた。それを見ていた娘は、私のいないところで何度となく息子と話をしてくれた。同じ子供としての立場で弟の気持ちに寄り添い、共感し、けれどこの新しく出発した小さな家族の一員としてどうするべきかを論理的に淡々と、何度も話しをてくれた。私のいないところで。

それは後で娘から聞いたのでわかったことだし、何度そんなことがあったかはわからないけれど、私はその全てを聞いたわけではないだろうから、いかに娘の存在がこの3人の家族を支えてくれたのかを身に染みて感じる。本当に感謝しかない。当時の息子も、自分の中に燻るどうしようもない憤りや言葉にならない不安や不満をお姉ちゃんには素直に吐き出せたようで、本当に娘の存在なくしては今のこの平穏な暮らしはあり得ないだろうと思う。


というわけで、まぁ色々あった25年だったけれど、こうして息子の誕生日は家で私の作るお好み焼きを3人で食べるという、とても日常的でありふれた食卓となった。仕事帰りに材料を調達し、いつもの要領でさくっと準備をしていく。キャベツは千切りに近く細かく切るのが我が家流。山芋をすり下ろし、青ネギと竹輪を小口切りに。卵と水と顆粒だし、塩とめんつゆを少々。空気を入れるようにがんがん混ぜて生地がふわんとなったらフライパンへ。上に豚肉を敷き詰めて片面に焼き色がついたらひっくり返す。ジュワ~っといい音。あっという間にいつもの「まんまのお好み焼き」が出来上がった。仕上げはオタフクソースとマヨネーズ、青のりと鰹節をかけて仕上げる。うん、いい感じだ。おいしそう。


子供たちが小さい頃はよくお好み焼きを作った。ダイニングテーブルに大きな鉄板を出し、目の前でジュウジュウと音を立てながら焼き上がるお好み焼きをハフハフしながら皆で食べる。小学生の娘は3枚はペロリと食べた。育ち盛りのあの頃、今よりもたくさん食べていた。少食の息子も負けじと食べた。二人とも昔から家のお好み焼きが大好物だった。

けれど大人になると3人で食卓を囲む機会はグッと減り、滅多に作ることはなくなっていた。子供たちにとっては幸せな家族の時間の象徴でもあるお好み焼き。ホッとする、安心の味なのかもしれない。


「これこれ!やっぱかあちゃんのお好み焼きは一番うまいな」と息子が喜んで食べてくれる。

私は目分量大王なので、何を作るのもいつもテキトー&目分量。お好み焼きはメインの材料であるキャベツの塩梅によってかなり仕上がりに差が出る。葉の固さや水分量をみて、小麦粉の量や水の量をその時々で調整するが、なにせ目分量なので毎回微妙に出来ばえが違ってしまう。自分的には「あぁ、今回はちょっと失敗だな」「水が多すぎたな」「山芋入れすぎたな」など毎回食べながら分析するのが癖になっている。

それでも子供たちにとっては毎回美味しいようで、私がその都度出来上がりに不満を言うと「そんなことない。これがいいんだよ。いつでも一番美味しいよ」と言ってくれる。泣かせるぜ。

きっと細かい水分量や柔らかいだの固いだのなんて気にしてないのだろう。「まんまのお好み焼き」イコール「無条件に美味しいもの」とインプットされているようだ。子供の頃の無条件に安心していられた思い出の記憶の一部として。

特別なごちそうなど何一つない、いつもと変わらない夕飯のあと、娘が買ってきたケーキを三人で食べた。いつもと変わらない穏やかな夜。


そう言えば、誕生日当日にバイトも友達との約束も入れなかった息子。あれ?予定はないのかな、と少し不思議に思ったけれど、まぁたまたまかな?と私はスルーしていた。ところが娘は知っていた。というか、息子に確かめたようで、次の日私にこっそり教えてくれた。

「誕生日になにも予定を入れなかったの、もしかして家で過ごすと決めてたの?」

「うん、そうだよ」

息子は幼稚園の頃、クリスマスとお誕生日はおうちで家族と過ごすものだと教えられていた。通っていたキリスト教の幼稚園ではそれが普通のことで、特別な日を家族で過ごすことはあたりまえのことだと刷り込まれた。それ以来、本当に一度もクリスマスと誕生日に外での予定を入れたことはない。

「かわいいよね。だから大好きなの」

愛しそうに目を細める娘を見て、あぁこの子は本当に弟を愛してるんだなと伝わってくる。

二人とも親離れできない可愛い子供だと思い込んでいた自分が恥ずかしい。それぞれに、自分の考えで、自分の愛し方で、この小さな家族のことを思いやっているんだと、心からあたたかい気持ちにさせてもらえた。

25才おめでとう。そしてありがとう。

またひとつ、親として大切なものを頂きました。


#子供に教えられたこと   #エッセイ


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