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『小さな家の思想-方丈記を建築で読み解く』文春新書を出して⑥長尾重武

北枕とは何かー皆さん、北枕という言葉を御存じでしょう。私が子供のころ、北を枕にして寝ようと布団を敷いたら、母に怒られました。北を枕にしてはダメよ、というだけでしたが、何かいけないことをしたと思い、いつものように南を枕にして休みました。母は何も言わず、笑っていました。

北枕とは死体を安置する向きだということが、そのうち分かったのです。中学生の時ですが、祖父が亡くなった時、西を枕にして亡くなったのですが、わざわざ北枕にして寝かすようにしたからです。これはわかりやすい北枕の習慣ですが、もう少し奥が深いのです。

このような習慣がいつごろから始まったのでしょうか。おそらく、源信という学僧が書いた『往生要集』の記述がその元のようです。寛和元年(985年)、43歳の時に書き上げました。それは色々なお経から抜き書きしてまとめた本で、ちょっと難しいですが、厭離穢土、欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)という二つの章があり、この娑婆世界を「穢れた国土」として、それを厭い離れ、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという考えです。これは浄土教思想の特質を表した考えとして重要です。

それではどうすれば、極楽往生が可能か、その方法が示されています。このブログの⑤に書いた「臨終の行儀」というのがその具体的な方法です。北を枕に右を下にして寝ます。すると顔は西を向きます。西に、阿弥陀如来像を置き、その手から、五色の紐を引いて、死にゆく人がこれを胸にして握ります。口では念仏を唱え、頭で阿弥陀如来を思念します。そしてできれば、間違えないよう看取る人が極楽往生するように導くのです。

以上簡略に示したのが、往生要集の考えです。さらに別の言い方をすれば、この「臨終の行儀」とは、興味深いことに、双樹下で釈迦が北枕、右を下に横たわり、涅槃(煩悩を滅し尽くした状態)に入る形として大枠で共通します。さらに、北枕はインドやスリランカでは、最もいいとされてるようです。このことは是非確認したいことです。

方丈記に描かれた「方丈庵」のモノの配置から、こうした「臨終の行儀」の形が隠されていることが明らかです。こうした設えをしている点が興味深いのです。鴨長明は、具合が悪くなり、己の死を意識したら、南枕から北枕に転じ、「臨終の行儀」にしたがって、死を迎える準備をしていたわけです。

そして、そのことによって、長明は結果的におのれの生を輝かせることができた、と私は推量しています。


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