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どうか、祈りが届いてほしい

夜、友達と電話していてふと、ある共通の友達のことを思い出した。

彼女とは同じ専門学校で、在学中はあまり深い付き合いはなかったものの卒業してからよく遊ぶようになり、定期的に二人で会っていた。
誕生日プレゼントを交換したり、一緒にコンパに行ったりしていた。

ただ、4年前に共通の友達の結婚式で一緒に受付を頼まれて以来、会っていなかった。最後に連絡をとったのは、昨年の彼女の誕生日だった。

元気?また会いたいね〜という軽い会話を交わしてやりとりは終わっていた。


SNSをあまり更新しない彼女が何をしているのかよく知らなかったけど、当たり前に彼女の日常を送っているのだろうと思っていた。

その彼女のことをふと思い出し、

「〇〇(その子)、最近会ってないなぁ。ちょっと前まではよく会ってたんやけどな。元気にしてるかな。会いたいから連絡してみようかなぁ。」

と、友達と電話で話していた。


その翌朝、SNSを見て衝撃が走った。



彼女は数ヶ月前に癌が見つかり、治療中だと投稿していた。


最初はつらかったけど周りの優しさに恵まれて頑張っていること、余命については怖くて聞けていないこと、でも私は運がいいから大丈夫、
みんなも早期発見が大切だから違和感があったらすぐ病院へ行ってねということが綴られていた。

彼女の病状について詳細はあまり書かれていなかったけど、さらっと書かれていた病名やそのステージから、国内の過去の統計データ上では彼女の余命がそう長くないことを知った。



彼女は10代のころから、「向日葵のような女性になりたい」と言っていて、明るく人懐っこく、友達も多かった。先生とも仲がよかった。
私の知らない、他学科の友達がたくさんいるようだった。


お互い綺麗事なしの本音で話せる仲だった。
辛口トークが楽しかった。憎まれ口を叩きあえる仲だった。

だけどちゃんと褒めてもくれた。
なんだかんだでいつも優しかった。

私が海外から帰ってきてうまく行かなくて悩んでいた時、駅のベンチで彼女に泣きながら電話した日のことも鮮明に覚えている。

こういう友達を大切にしたいと私は思っていた。


そんな彼女のつとめて明るく前向きに書かれた投稿を見て、どうしていいかわからなかった。
「つらいなか頑張っていてえらいね、かっこいいよ。大好きだよ、また必ず会おうね」とコメントすることしかできなかった。


前日に彼女の話を友達としていたので、その友達に彼女のことを伝えるか迷った。だけどなんとなく言えずにいる。軽々しく言えない。


彼女に会いたい、今すぐに会いたい、と思った。
だけど会いに行きたいとも言えなかった。
言っていいのかわからなかった。



私は数年前にも、一人友人を亡くしている。

彼も、長らく会っていないけど私の知らないところで当たり前に彼の人生を歩んでいると思っていた。
一度、当時の仲間たちとみんなで集まろうと話していたものの、実現しないままだった。
彼が亡くなったことも、SNSで知った。


私がだらだら何もせず過ごす一日も、彼女にとっては大切な一日で。

彼女の病状がどれほどのものなのか、あとどれぐらい生きられるのか、そもそも本当に治らないのかも全然わからないけれど、まさかあの子がという気持ちが拭えない。


私の周りはなぜか、家族を早くに亡くした友人や、それこそ若いうちに亡くなった知人が複数いて。
人って死ぬんだなとわりとリアルに感じてきた。

だけど、いざ同い年の、しかも仲の良かった友達がガンだと知らされたらどうしていいか全くわからない。

彼女のために、私に何ができるだろう。できることなんてきっとないんだろう。
会いたいと思うけど、それが彼女の負担になるかもしれない。
こんなにも自分が無力なものかと思い知らされる。

人間とは愚かだと思った。
死は当たり前にみんなに訪れることで、しかもそれがいつ訪れるかわからないのに、今の当たり前の日々が続いて当然と思っている。

だけど今の世の中、病気でなくてもふとしたことで事故や事件に巻き込まれて亡くなるかもしれない。

命にはかならず終わりがあって、時間は有限で。
本当にいつ何があるかわからない。
いま隣にいる人が、いついなくなるかわからない。

そう思うと、自分にどれだけたくさん大切な人がいて、その人たちを私はどれだけ大切にできているんだろうと考えさせられる。


神様どうか。
また彼女に会えますように。
「もう大変やってんからぁー!!」って
「よく頑張ったねぇ」って
笑って話せますように。

どうか。
いつも笑顔の彼女に、大好きな彼女に、
これからも明るい未来が続いていますように。

どうか、どうか。

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