「好きだから好き」。
人であれ、物であれ。その対象に対して、どうしようもないくらい好きだ、という気持ち。
そういう「好き」に対して、理由を求められた時、「好きだから好き」と言ってしまうのは、いけないことなのだろうか。
確かに、自分がそんな気持ちになったのは、理由はあるのかもしれない。
けれど、必ずしもそれを説明しなければならないのだろうか。
そう、思ったことがある。
かつて。物心ついてから小学生くらいまでの私は、その理由を説明できなかった。
いつも「どうして、『好きだから好き』じゃいけないのだろう?」と思っていた。
だって、「好きだな」と思う対象を見るだけで幸せな気持ちになるし、笑顔になれるし、疲れていても元気になれる。
「幸せな気持ちになったり、笑顔になれたり、疲れていても元気になれたりする」から「好き」なのではない。
「好き」だから「幸せな気持ちになったり、笑顔になれたり、疲れていても元気になれたりする」のだ。
そこに理由を求められるととても困ってしまう。
だって、好きになってしまったのだから。
そんな過去の私は、感情を、自分の思ったことを、具体的にかつ論理的に説明する訓練ができていなかったのだろうとは思う。
年齢を重ねて、大人になって。社会人として年数を経て学んできて。
自分のなかに生じる「好き」をはじめとした感情の理由を、自分なりに分析して説明できるようにはなった。
けれど。
それがある程度の形にはなったところで、改めて考えて思うのだ。
「好きだから好き」の何が悪いのだろうと。
もちろん、きちんと説明をしなければならないことはある。
誰が聞いても見てもある程度伝わるようにしなければ、自分の感情を誰かと共有することができない。わかってもらえない。
だから、どうしてなのか、具体的にどうなのか、と理由を説明できることはとても大切だ。
けれど、直感的に、感覚的に心の奥から、「ああ、好きだなぁ」と感じるものだってあると思う。
きっと、本当の意味で理由がないわけでは、ないのだ。
でも、誰かにわかるような、それでいて自分自身が納得のいく言葉を選ぶことができないのだ。
言葉を選んでしまったら、その言葉の形にかっちりと固められてしまいそうで、それが何だか嫌なのだ。
だから、そういう、どうしようもない、言葉にならない気持ちを全部ひっくるめて「好きだから」と言ってしまうのかもしれない。
それは、人から言わせれば、自分の未熟さを言い訳にした、ただの甘えなのかもしれない。
けれど、そういう、自分の気持ちを大切にすることは、決して悪いことではないと思う。
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