メイド屋のひとりごと。
かわいい女、というやつは絵文字を多用する。私はかわいい存在は好きだし笑顔を届けるメイドになりたいから、普段「まいるん」のツイートはそうやってかわいこぶっている。そんな自分のことはきらいじゃない。かわいい文章はかわいい文章ですきなのだ。
だから、noteを通じて「まいるん」がブログ的なものを書く時も''こんにちは(太陽)(ハート)''なんて書き方をしている。だけど今日はなんだか反抗的な気分だったので、メイドまいるんじゃない素の自分を、「桃辿さん」と定義し、桃辿さんの方で、自由気ままに文字を綴ることにした。
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昨日はお屋敷にとても酔っている男女がきた。そんなことは普段なくて、はじめてのことなのだけど、妖精さんが面識ありということやソフトドリンクが必要な様子だったので、数十分だけご滞在が許されて帰って行った。今回はイレギュラーだとは思うが、やはりそういう人は禁止事項にの則って丁重にお断りするべきだった。お屋敷というおもてなし空間の中で、そういった存在は、異端で、異質で、迷惑でしかない。
迷惑といえば、動画を音声付きで流し続ける人とか、酔っているからとちょっぴり触ろうとしてくる人とか、冗談のつもりでも毎度毎度暴言を吐く人とか、過去の私に関する苦労話をしてくる人とか、「推しじゃないし」とか言ってくる人とか、店外とか連絡先交換とかを提案してくる人とか、メイドとかヲタク文化とか興味無いんでwとか謎に下に見てくるやつとか、そういうのも、迷惑で、非常に苦手だ。
正確に言うと、そういうことをする人自体が苦手なのでは無く、その人の中の、そういう行為のみがきらいだ。
理由としては、コンカフェて提供している、''非日常とおもてなし''が壊れるから。それと、こんなことを言ってもいいと思われたということは、その人にとって自分は''キャスト''になり切れてないということで、それが悔しいからだ。
基本的にはいやなことは放置せず、お屋敷の治安と私のメンタルのためにコミカルに注意するのだが、その時はやめても次回来た時には忘れている人や、コミカルだからか取り合って貰えない人がいる。
虚無感というか、なんというべきか。
うーん、と頭を悩ませる瞬間である。
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その一方で、お給仕をしていると、生涯かけても味わえないほど多様な人達と一緒に、多くの幸せな瞬間を味わうことが出来る。
最近も本当に嬉しい瞬間が沢山あって、嬉し涙を流したほどである。
その一部を紹介させてほしい。
こういったように、「会えるのが生活のモチベです」「あの時の言葉が○○のきっかけになった」「会えてすごく元気が出た」「一緒に過ごす時間に救われている」などの嬉しい言葉をいただけたり、「進学したよ!就職したよ!結婚したよ!定年したよ!」などの節目節目のご報告がきけたりする。
なにか出来事があった時に、一緒に喜んだり悲しんだりといった感情をリアルの場で共有させてもらえることは、本来似たような属性の人としか起こりえないことだと思うのだ。
なのに、全く違う経験をしてきた、全く違う人たちの、それぞれの物語を、なんでもない私が一緒に楽しめるのが、うれしい。
この瞬間が好きすぎて、生きててよかったなぁ、とまで思えるから、私はお給仕が大好きなのだと思う。
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かわいいメイドだったらこんな生々しい表現はしないかなとか、絵文字あった方がかわいいかなとか、そういうことがひっかかって書き方を気にしていたけど、わたしはどこかの「かわいいメイド」ではなく「私」なのだから、こうやって、好きなように綴るのもいいのかもしれない。
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