57 「エッセイ」のはなし

 めちゃくちゃ自己言及的なタイトルであるが、まあそういうのもアリだろうと思って書いてみる。もともと、これらのはなしにおいてやってはいけないことなど原則的に存在しないのだから、好きなことを書いていいはずである。


 こんなはなしを50以上も連載しておいて、であるが、ぼくは基本エッセイをあんまり読まない。ブログのような日常の日記なんかはそれこそ、ミクシィが出始めた頃の少し前くらいから、それこそ自分のブログとの読み合いを意識しながら読むことはしていた。ひとの文章を読むことそれ自体は嫌いでも好きでもない。読んだことをふまえてコメントをしたりされたりするというのが少し好きだったかも知れない。基本的にぼくという人間は投げっぱなしのコミュニケーションを好む傾向にある。別に壁に話しかけていても何ら問題はないタイプだし、現にぼくら兄弟がそろうとお互い壁に向かって話しかけるような塩梅の会話になることがよくある。「会話」というものを好まない。レジは無人レジの方がいいし、金額的なアドバンテージがなくてもそっちをよく使っている。無人レジはぼくの声が聞き取れなくて間違える、なんてことはないからだ。


 思うに、会話が苦手なのも、別に「話す」ことはむしろどちらかと言えば得意な方なのだが、発声の問題で相手に声が届きにくい環境にあることが多いせいかもしれない。つまりひとより疲れてしまうのである。そして、相手がいるとつい話さなくてはならないような強迫観念に駆られる。ぼくと会話したことあるみなさんは、たいていぼくが相当なハイペースで何かをしゃべっているシーンを想像できる人と全く想像できない人がいるのではないかと思う。それは、自分でそれが調整できている状態に、ぼくがなっているかどうかを示している。調子がよくないとなかなか統制できない。
 エッセイを書く場合、自分とこの文章を読む相手との距離というものが測りにくい。ツイッターのように壁に文章を投げるというわけでもなければ、小説のように何かを模して綺麗に塗装するようなものでもない。とかく、このエッセイ群に関して、ちょうどその中間にある文章であるようにぼくは思う。


 エッセイを書くようになって、ぼくは文章とぼく自身の距離感に対して、ほんの少し考えるようになった。もう少し書き続ければ、距離感を測るということも楽にできるよう名るかも知れないと、思っている。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!