85 「ハラスメント」のはなし

 職場ではいろいろな価値観の人間が集まりがちであると考えられがちであるが、意外とそういうわけでもなく、むしろ単一の価値観の人間が集中しやすいという点でハラスメントが起きやすい。しかし、従前の理由でハラスメントが黙殺されやすいともいえる。ぼくがこれまで勤めてきた職場についても同じようなことがいえるし、事実そういったことは起きている。
 中でも最も多い事案がセクハラではないかと思う。またさらに言えば男性から女性にされるセクハラが最も多くを占め、最も多くの被害を出しているのは確定的だといえる。だからこそ近年ではそれを重点的に取り締まる環境が構築されつつあるようにぼくは思う。それはそれとして進んでいけばよいと思っている。
 さて、ぼくは性自認、性機能ともに男性、性指向は異性といういわゆる「シスヘテロ男性」である。さらにいえば、それが大多数であるような職場で、つまり一般社会とは少し構成がゆがんだ形をとる職場で働いている。それを前提としてはなしを続ける。

 ここからのはなしはぼくの個人的経験をもとに一部内容や背景などの特定されうる一部の情報を改変してお伝えする。


 ぼくは去年の4月から事業所単位での異動となっているが、前の職場とも関連が深い部署にいる。実際のところ前の部署で適応障害を起こしかけたところを異動によって救われた身であると追記する。その元凶はいくつかの小説にモデルになっている、いわゆるお局的存在でぼくがあだ名をつけたある同僚(あえてそのあだ名自体は伏せる)であることは間違いないのだが、その職場を離れてはじめて、もうひとつ大きな要因があったのだということに気が付いた。
 当時、ぼくの隣には5、もしくは6年ほど年上の女性の先輩がいた。非常に仕事ができるひとで、利発で気の利くところがあって物事を切り分けるのが得意なひとであった記憶がある。以下「先輩」と呼ぶことにする。先輩はぼくより後に部署に配属されたが非常に仕事を覚えるのが早いしぼくの気が利かない部分を完全にカバーしてくれるなどその活躍は目覚ましかった。確かにそれは間違いないことであるし、ぼくが尊敬する部分でもある。
 先輩はまた別の意味でも社内で有名な存在だった。具体的な形容は伏せるが、結論だけを簡潔に述べれば「高嶺の花」的な存在と男性たちの話題にのぼりやいようなひとだった。確かにひとに好かれやすい容姿ではあるだろう。女性からもそれを言及されるくらいには。
 結論から述べると、ぼくはずっと先輩が怖かった。ぼくはもともと女性恐怖と女性嫌悪がないまぜになるくらいにはそもそも女性が得意ではない。運の悪いことに先輩は前述したとおりで非常に女性性が強く、かつそれが社会的に比較的優位であるような容姿であった。ぼくとは完全に対照的な存在だった。
 けれど当然ながらそれは「ない」ものとして接しなくてはならないとぼくは思っていたし、少なくとも先輩の前ではそうは思っていないように見せられたと思う。これがおそらく、適応障害を起こす寸前にまでぼくが追い詰められ、別の理由ではあるものの「かれ」を失うまでにぼくが精神的ダメージを受けた最大の要因であるということに最近気づかされた。
 先輩に対し、ぼくは本来なにかを指摘すべき立場にない。社会的にも、人間的にも。ただ、ぼくがなぜ先輩をそこまで恐れるようになったのかはもちろん理由がある。先輩はめちゃくちゃぼくに触る。もちろんぼくは触られること自体がかなり得意ではないのだけれど、ほかのひとと比べるとやたら触られているような気がしてきてから怖くなってしまった。それが決定的だったのがぼくが異動してからの送別会だった。この会社の送別会はいろいろと流れが決まっていて、送られる人は贈り物をもらうだとか渡す人は仕事で密接にかかわっていたひとだとか、そういう細かい決まりがあるのでもらうまえから先輩から贈り物をもらうのだな、と思って、「そういう」モードに切り替えて臨んだ。実際その段になって、先輩は予期せぬ行動にでた。贈り物を渡して抱き付いてきたのである。ここまでの人生でたぶん一番怖かったと思う。頭が真っ白になってしまったがなんとか意識を保ったのは確かだ。多少つっこみを入れたような気もする。とにかくそこから逃げ出したくなる衝動を抑えるのに精いっぱいだった。先輩はぼくに恋人がいるのを知っていたし、先輩はとっくの昔に結婚しているので、つまり物理的な距離感がおそらく全く合わないだけなのだが、それでもぼくがあの日感じた恐怖はうそでもなんでもなく、ほんとうだった。けれど、この会社にはその恐怖をわかってくれるひとはだれもいない。いや、いるかもしれないが少なくともぼくがはなしをできるような場所にはいない。それが時折、すごく怖いことがある。そういった社会的不信を増長させ、蔓延させることによる社会的不経済が、ハラスメントの最大の効果であり、社会的観点から抑止する必要がある理由となる。


 先輩も、会社のひとたちも一切そうおもってはいないのだろうけれど、ぼくにとってこれは先輩から受けたセクハラであることは間違いないと思っている。ほんとうはこんな、仕事とは離れている場所であっても個人的感情でこの出来事を書くべきではないのかもしれない。しかし、ただ黙っているのも受け入れているということで加担していることになりかねないと思ったし、ぼくが女性で先輩が男性だったら、先輩の容姿がいかなるものであっても問題になりうるのにそうならないのはおかしい、とも思うのでここで書いた。
 つまるところ、セクハラだろうがパワハラだろうが、ハラスメントというものはコミュニケーションの不成立によって成り立つものであり、それが社会的立ち位置の格差によって発生するのだから、人間の属性だけをみて判断すべきものではないわけで、そういったものにすべての人間が気づけるような社会をぼくは作っていきたいし、単なる被害者意識や個人的嗜好(もしくは、指向)によってハラスメントというものが社会的にゆがめられることを許してはならないのだと思っている。それは、ぼく自身、「シスヘテロ男性」という社会的に最も優位な立場にいるものとして常に自覚し、考えなくてはならないことであるし、「シスヘテロ男性」がそういった立場に置かれ続けている限りは、そうありつづけなければならないと考えている。

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