60 道のはなし

 学生時代に立て続けに物流業界でアルバイトをしてきた。おそらく人間性にくせがあるのだろうが、塾講師や接客はことごとく断られていて、結局物流拠点で働くことしかできなかった。もっとも、ぼく自身もひとよりもモノを相手にするほうがずっと気楽だったので、それでよかったのだろうと思う。
 浦安を含め東京湾岸は物流拠点の倉庫がかなり多い。食料品から日用品などそれらは多岐にわたる。その中ではほぼ24時間体制でひっきりなしに注文の仕分けや梱包が行われており、出て行くトラックやフォークリフトもひっきりなしだった。


 つくづく忘れられがちであるが、注文がインターネットを介して便利かつ迅速に行われるようになったものの、肝心のモノが届く速度というのはそれほど変わらない。なぜならモノとヒトは光速で動くことはできないからである。モノであればトラックやコンテナに、ヒトであれば自動車か鉄道か飛行機か船のいずれかに乗る必要がある。そして当たり前のことであるがその乗り物よりも速いスピードで動くことは絶対にありえない。そしてどんな乗り物であっても、目的地に直線距離で配送されるはずがない。そんなことをすればすさまじい量の動線をだれもさばけなくなってしまう。つまるところ何がいいたいのかというと、ぼくたちが普段目にしているいろいろなものは、この国に張り巡らされているありとあらゆる物流システムのうちのひとつもしくは複数を渡り歩いてここにあるものだということである。普段あまり考えられないことであるが、間違いのないことでもある。そして、この物流システムの高度化こそが、文明そのものの規模それ自体を示す。


 一番基礎的な物流システムは何だろうか。それはたぶん、道と都市であろう。ひとは山野を自由に駆けめぐることを次第にやめ、集団で集落を作って生活し、その集落と集落との間を通行しやすくするために草を刈ったり岩をどけたりして道を作った。巨大な集落は合理化されて都市となり、都市と都市を結ぶ主要な道は街道となって石や煉瓦などで舗装されるようになった。これらの基礎的なシステムの上に積層され高度化され複雑になったのが今の文明である。インターネットだって結局は道が発達したものにすぎない。高度な通信回線を張り巡らせて、世界中をつなぐことによって、地球にいればどこでも端末同士でやりとりが可能になったというだけのはなしで、基本は都市と道でやっていることと同じだ。ただ、インターネットでやりとりできるのはあくまで情報という概念でしかなく、モノそれ自体のやりとりは現時点では不可能だ。それは前述したようにモノそれ自体を光の速さで転送する装置が少なくとも現時点では存在しないからである。


 このように、現代の道はすべてのモノを運ぶことができる昔からの道と、そうでない何か専用の道の二種類に大別される。前者は文字通りの道であり、みなさんが普段目にしているものではないだろうか。自動車道や鉄道も、それ自体は自動車や鉄道車しか通ることができないが、その上に様々なものを積むことによってほぼすべてのものを通すことが可能だ。
 後者の専用の道の中ですぐに思いつくのは、水道ではないだろうか。これは水、上水を効率よく配送するために整えられた、まさに道である。蛇口をひねればすぐに出てくる水は、元をたどれはかなりの距離を通ってきていることがわかる。それは水、それも水道水専用の道である。これが整備されることによって、ぼくらは川へ水をくみに行ったり、井戸を掘ったりしなくて済むようになった。


 そして、これら物流システムは、より高度に合理化されるために、目的地同士を直接結ぶのではなく、地方ごとに階層的な拠点を作り、拠点同士を結ぶ線を太く、拠点から直接の目的地へと向かう線(業界用語で「ラストワンマイル」というらしい)を細く編み目のように張り巡らせる。たとえば、宅急便などの配送業者を考えてみればわかるが、自分の家に近い集配所に集められた荷物は、たいてい複数の市町村にまたがるやや大きな地方センターに集められ、必要であれば県、もしくはその地方で一番大きなセンターに送られる。そこから別の地方の大きなセンターに送られ、そこの管轄の中規模のセンターに送られ、そして相手の最寄りの集配所にやってくる。あとはトラックやキャリーなどで街じゅうをまわって配っていく。おそらくどの業者も規模や階層はともかくとしておおむねそういった仕組みになっている。だから、たとえば先日のような巨大な台風の後などでは、送り先が被害のないところだったとしても、先述したセンターまでの道のりのうちのいくつかが被害を受けていれば、その地域にモノは届かなくなる。

 そう、おわかりだろうか、だから物流拠点、すなわち交通の要衝というのは古くから軍事的にも重要な場所であり、必然的に都市が形成され、栄えていったのだ。川べりに古代文明が形成されていたのも、川が近いことによって水利があり、また農耕に適した肥沃な土地であっただけでなく、川という水運上のひとつの道に近かったという部分も少なからずあるはずだ。
 また、どこかの時代で栄えていた都市が、現代では必ずしもそうではないことからわかるように、主要となる道が変われば都市のありようも変わる。たとえば、街道上における峠が近い街は文字通り交通の要衝として栄えたわけであるが、鉄道や大規模な高速道路の発達によって都市を超越する道が建設されてしまうと、交通の要衝ではなくなってしまうため衰退してしまう。千葉県で言えば銚子が顕著な例かと思われる。海洋に面しており水運の拠点として栄えていたが、鉄道や高速道路が敷設されることによって主要な拠点ではなくなってしまい、むしろ大都市圏から見ると辺境、すなわち道の果てとなってしまったがために拠点としての機能自体を失い衰退したといえるだろう。千葉県内で銚子市は千葉市に次いで市政施行が早い、すなわち千葉市の次に歴史ある市となっており、かつては県内でもっとも人口がある都市でもあった。しかし現在の人口はおよそ6万人で、県内はおろか、県北東部でも決して大きい都市ではなくなってしまった。ぼくが子どもの頃の銚子よりもさらに人がまばらになった印象である。確かに風光明媚ですてきな場所ではあるが、まちとしてやはりだいぶ寂れている印象が拭えない。


 銚子以外にも、かつては栄えたが今はむしろ寂れているという都市は日本の様々なところにある。それにはほとんどの場合、道が関係しているように、ぼくは思う。そういった意味で、都市が好きなぼくとしては道というインフラにも今後十分に注意を払っていきたいと考えている。


 道といえばぼくの盟友であるところの今田ずんばあらず氏は、道、とくに古道に造詣が深い。彼は彼で、道に対してぼくとは異なる感覚を持っているであろう。いつか、じっくりと聞いてみたいものである。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!