92 へにゃらぽっちぽー氏のはなし

 身近な書き手編その2として、へにゃらぽっちぽー氏を取り上げようと思う。


 みなさんはへにゃらぽっちぽーという書き手をご存じだろうか。へにゃらぽっちぽー氏は、へにゃらぽっちぽー兄さんとへにゃぽちゃんが繰り広げるゆかいな小説シリーズで彗星のごとく書き手界隈に現れた、まさに新進気鋭の書き手といっても名実ともに遜色のない存在と思われる。ぼくの書き手としての幸運のひとつに、氏がまだ活動を始めたばかりで、今ほどの知名度をあげていなかった頃に知り合い、ヨコハマというひとつの都市を通して「ジーク・ヨコハマ」という合同誌を出すために尽力してくださった方のひとりとなっていただいたことであった。ちなみに、この「ジーク・ヨコハマ」には先日書いた転枝氏も参加している。現在紙の書籍を求めることは困難であるが、参加者のひとりである白色黒蛇氏のご尽力により、KDPで電子書籍化されているので、気になる方は手に取っていただければ幸いである。ヨコハマ「カオス」アンソロというキャッチコピーのとおりの代物になっていることだけは自負しているし、「自他ともに認める」というフレーズをおそらく使用できるのではないか、というふうにぼくは考えている。この「ジーク・ヨコハマ」の製作におけるクオリティ面でのへにゃらぽっちぽー氏の影なる尽力については「〇(ゼロ)」の該当項目に譲るとして、ここではそれ以外のことについて、少しつらつらと書いていこうと思う。

 へにゃらぽっちぽー氏(以下、書き手としての氏については「ぽ氏」と書くことにする)も先述した転枝氏同様、ぼくには書きえない小説のスタイルをほぼ確立している書き手であるといっていい。実際、氏の作品はタイトルからして独特の世界観が漂っている。ぼくはぽ氏の作品のうち、四作目に該当する「ぽぽぽぽ」を最初に読んだ。「ジーク・ヨコハマ」同様に、ぽ氏の貫徹したスタイルがそこに通底していつつ、その中で何か新しいものを(意識的にしろ、無意識的にしろ)生み出そうとしている意識がそこにあった、というように書いたような覚えがある。違うかもしれない。少なくとも今のぼくはそういう風に考えている。そしてぼくはぽ氏とある程度交友がある。この交友があるというのは「少なくともぼくが名前を知りえている書き手のうち、上位5%以上の接触回数を誇り、書き手としての活動以外の面も若干ながら知りえている」という意味であり、これは前述した転枝氏についても同じことが言える。その中でいえば、ぽ氏ほどの一貫性をもって作品を作り続ける書き手は稀有で、その安心感というのが強力なブランディングになっているという気づきがあった。そういった意味では、何度も引き合いに出すのも恐縮だが前述した転枝氏とほぼ対照的ともいえるだろう。あえていえば、ぽ氏は書き手界の小島よしおのような存在であるのかもしれない。一徹して同じ作風(ないしは、芸風)を貫きながらも、その作風を完全に破壊しない範囲内で、常に新たな表現方法を模索しており、にもかかわらずその強烈すぎる作風により業界内の立ち位置を明確にしているというところが共通しているように思う。

 ぼくはぽ氏のそういったストロングスタイルこそ、魅力的であると思う。おそらく氏はぼくがこうしてよくわからない駄文を書き散らしている間にも仕事に執筆にすべて精力的に取り組んでいるものと思われる。その体力と気力にも頭が下がる思いだ。そして、その書き手としてのスタイルと、作品自体が持つ色のギャップがまた、へにゃらぽっちぽーを多くのひとびとに知らしめることのできる原動力たりうるのではないかと思っている。ぼくにとってぽ氏は圧倒的な書き手であることが揺るがないのは、そういった部分を見てきているからに過ぎない。こういった書き手が次々と見つかっていくのがアマチュア文芸の面白いところでもあり、恐ろしいところでもある。この世界の深淵をどこまでものぞいていきたいとぼくは思うし、ぽ氏はそういったことを考えさせてくれる書き手のうちのひとりだ。だからきっとぼくは氏をどこまでも見つめ続けるだろうと思う。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!