99 ひざのうらはやお氏のはなし

 しんまんまるびより100本ノックも、あとわずかとなった。100本めのはなしは最初から何を書くのか決めていたので、実質的にこのはなしが本企画の最後のはなしになる。だからこそぼくは、ここで満を持してこのはなしをする必要がある。そう、これこそが、最後の書き手のはなしだ。


 ひざのうらはやおという書き手は、ぼくにとってもっとも近い書き手であるのと同時に、もっとも遠くに存在する書き手でもある。だからこそ、ぼくはひざのうらはやおという書き手をほかの書き手と同じように、客観的に書くことが可能であると信じている。
 氏は主に純文学でその力を発揮してきている。ぼくが思うに、ひざのうらはやおという書き手は「矛盾と欺瞞」の書き手である。このふたつのレトリックを巧妙に展開するのがひざのうらはやおの文体のほとんどといっても過言ではないだろう。言葉によって積み上げられた様々なマテリアルは外から一見しただけでは何の変哲もない建造物に見えるが、ひとたび構造が見える位置に足を踏み入れれば、その建造物が決して存在しえないだまし絵のような構成であることを見つけてしまう。そして読み手は、自らが踏み入れた世界がほんとうに存在するのかを疑い始める。そこに去来する感情はきっと「虚無」だろう。ぼくにとってみると、ひざのうらはやおの小説とよばれるものは一貫してそういった形式で描かれている。もしあなたがそう感じたことがないのであれば、それはおそらく、氏の作品を「正しい位置で」読むことができているからであろう。その言動からは感じにくいが、氏は、ビジターに関してだけいえばかなりフレンドリーな書き手であるし、自らの書いているものがいかなるものであるかを壊滅的に把握していない。つまり、氏はさほど読む努力をしない読み手においては、無意識下でなぜか自分の小説のいちばんつまらない部分を無性に勧めてしまうくせが存在している。これは氏の告知ツイートなどから察することができる。つまり、ひざのうらはやおは自らの作品の特長をまったく把握していないので告知ができていない書き手なのである。こういった書き手がなおもこの世界に残り続けられることに、ぼくはある種の希望を見いだしている。逆にいってしまえば、その何の変哲もない建造物だけをみて氏の作風を気に入るのはあらゆる意味で不幸のはじまりともいえるだろう。あなたがどちらに属するのかをぼくは見抜くことができないし、ひざのうらはやお本人に聞いたところで無駄である。氏は自分の作品の構造をまったく理解していないのだから。ただ、ひとつだけいえることは、ここまでぼくのはなしをひとつずつつぶさに読んできている方は、少なくともひざのうらはやおが想定している「通常の読み手」にはあてはまらないはずだ。氏が矛盾と欺瞞の書き手であるように、氏自身も矛盾と欺瞞をこよなく愛している。すなわち、氏自身はとくに自分の小説がどうであろうがそこまで気にしないし、だからこそぼくはひざのうらはやおという書き手ではなく、あくまでひざのうらはやおの作品をすべて、未完成稿にいたるまで読み込んできたひとりの読み手としてこうしてはなしを書くことができるのである。


 もう、おわかりだろう。ひざのうらはやおを名乗るぼく自身が、ひざのうらはやおという書き手を「矛盾と欺瞞」と評することと、このはなしをぼく、つまりひざのうらはやお自らが書くことには極めて密接な関わりがある。ひざのうらはやおという書き手は文章を書くことに手を抜くことができない。もちろん、力を入れたり入れなかったりということはできる。けれども、長い作品に長い時間手をつけつづけることができないのと同じように、氏は短い文章に「何も仕込まない」ということができない。ひざのうらはやおという書き手は極めて忍耐力が低く、自らの思うがままに文章を書き進めてしまう。だからこそ、氏が書き上げる文章でひざのうらはやおという名義がついたものであれば、それがどんな目的でかかれたものであるにせよほぼすべてに「矛盾と欺瞞」が仕込まれてしまっている。これこそが氏の、つまりひざのうらはやおの「ごうがふかいな」であるのだ。矛盾も、欺瞞も理解を拒むが、そもそも理解する意思を持たないものの前には立ちはだかることすらない。読み手によって語る言葉が真っ向から対立するような作品がいくつか存在するのはそのためである。そう、もちろん、このはなしとて例外ではない。


 ぼく自身が、あるいは氏が、ひざのうらはやおのすべてを開陳して見せる行為をここまで行ってきたが、その結論は「そもそもひざのうらはやおという存在を開陳できるほどの情報量を誰も持っていない」ということだけなのである。この矛盾と欺瞞の上に、ぼくは物心ついたときからずっと立ってきた。そうした上で分裂していった自己をひとつひとつ丁寧に殺していった。その結果、ぼくはより小説を書くうえで重要であった存在すら、殺してしまったのだ。さしずめ、自らの脚を食べた蛸のように。しかしほんとうはそれすらも欺瞞かもしれない。その不安と恐怖を背負いながら、ぼくは今これを書いている。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!