93 今田ずんばあらず氏のはなし

 もはや切っても切り離せない関係になりつつある、今田ずんばあらず氏についてここでは書いていこうと思う。何度か書いているが、彼と出会ってからぼくの同人活動は大きく変貌した。彼は同人活動において、自らの作品をどう告知するのか、どう見せていくのかということをその態度で教えてくれた。そして、同人という世界がいかに深く、摩訶不思議で、魑魅魍魎が跋扈する魔境なのかということをかいま見させてくれる存在である。


 彼の作風はいくつか分かれているが、おそらくもっともスタンダードで、いわゆる「売れ線」に近いものは青春物語のような形態をとっているものではないかと思う。代表作たる「イリエの情景」はまさにそのラインをいっているし、次回作と思われるものも同じラインを走っている可能性が高いだろう。彼のそういった小説においては、登場人物のみずみずしさと周囲を取り囲む空間のリアリティが特長ではないかとぼくは考えている。そういった作品は、メディアミックスと非常に相性がよい。しっかりと細部にまでディテールが設定されている登場人物はビジュアルやボイスをつけやすく、したがってそれを主軸としたプロモーションを打ちやすい。つまり、非常に告知しやすい作品を書くことに彼は長けているといえる。そこがぼくと彼のもっとも異なる部分であるともいえる。

 彼は自らの表現するものを客観的にとらえ、それを小説というかたちに落とし込むという手法を用いているように感じる。それは初めから定まっているわけではないにせよ、作っていく中で(彼の中では)しっかりと見えて、それを小説にしていくというのは難しいけれども、いわゆる「わかりやすい」作品を作りやすいという点で非常に書き手の才としては優れているといっていい。わかりやすい作品というのはもっとも限られた人間にしか書くことのできないものであるとぼくは思う。まして、「書き手」はしばしば「わかりやすさ」を敬遠するし、ぼくはその最たる例であるといえるだろう。しかし、書き手本人ではなく、読み手を考えるとき、「わかりやすい」方がより多くのひとびとに手に取って貰えることになるし、「わかりやすい」方が「わかりやすい」感想を書かれやすい。彼は「イリエの情景」をはじめとして年間で500部以上の頒布を既に3年以上継続している。それはもちろん並大抵のことではないが、それが可能であるのは彼自身が「わかりやすい」作品を書くことを心がけ、それを「わかりやすい」かたちでひとびとに告知していくからに他ならない。ひとりでも多くの読み手を、と考えていなければここまでの努力は難しいだろう。そう考えた時、今田ずんばあらずの芯にある、ある種の頑なさがこの姿勢に影響しているとぼくは気が付いた。

 今田ずんばあらずという書き手は、ハードロックとポップとクラシックが混じりあったような書き手であり、その器用さは疑いようもない。ぼくのオススメはエッセイであるが、もちろん代表作の「イリエの情景」も読んで損はないはずだ。「過去からの脱却」はかなりクラシカルで頑固な一面をのぞかせる。そしてそれらすべてが味わえるのが、今田ずんばあらず全集ともいえる「あめつちの言ノ葉」である。1500頁にもおよぶ文庫本は、もはや「文庫」のサイズとは言えないがそれでも今田ずんばあらずという書き手を知るためには最も重要で手っ取り早い作品集であるとぼくは考えている。考えている、というのはぼくはまだすべてを読み終わっていない。これを読み終わったとき、おそらく彼の新しい作品に自然と入っていけるような気がしてならない。
 そんな盟友でもあり、戦友でもあり、そして何よりもぼくの最大のライバルのひとりでもあるのが、今田ずんばあらずなのである。

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