令和2年の総括

 11月以降私用と仕事で忙しくなりすっかり記録するのを忘れていた。それでも創作関連に影響がなかった(その間ほぼなにも書くことができなかったので)のが不幸中の幸いといったところだろうか。そもそも10月以前も「なにもしていない」と書いている時期ばかりで、実際今年のぼくは前半こそそれなりに書けたものの後半は後述する理由でかなり忙しく、ほとんど書けておらず、その結果書けている人間に嫉妬を丸出しにしてしまった。恥ずべきだろう。

 いくつか、今年の主な出来事について、創作とそれ以外で分けつつ書いてみる。

創作の主な出来事


・「震える真珠」を第44回すばる文学賞に提出、一次選考を通過する
 ひざのうらはやお名義ではもちろんのこと、ぼく自身でもはじめての五大純文学新人賞の選考通過だった。一次選考くらいなんてことはないんじゃないか、と多くの方はお思いだろうし、実際のところぼくも通過したところで受賞はおろか最終選考にすら入れてないのになんぼのもんじゃい、と思わなくもないのだが、それでもここまで文學界新人賞に「猫にコンドーム」を、太宰治賞に「猫実に躓く」を送り込み、そのいずれも一次落ちしつつ、それなりに存じている方がいいところまで残っているのを見ながら「うまい文章書くやつみんな死ね!(©たむらけんじ)」と呪詛をはいた身としては「見たかこの野郎!!!!!!!三鷹には行けなかったけどな!!!!!」などと若干のサムイ自虐を交えつつ快哉を叫んだものであった。我ながら安い男である。
 「震える真珠」を書きはじめたのは昨年末ごろだったとは思う。この作品はかつてノクターンというバンドで活動し、現在はシノエフヒという名義でソロ活動しているじょぶず氏に触れたときになんとなく思ったことと、ぼくの中でいろいろと考えていたあれこれが有機的につながったことによるもので、いわば変則的な私小説ともいえなくもない。実際ぼくはこれを純文学として書こうとしたが、舞台設定や描写についてはむしろそれにとらわれない書き方をした方がよいことに気づき、ぼくがこれまで書いてきたさまざまな文章で得た気づきをすべて入れ込んでいる。そういった背景から、この小説はひざのうらはやおにとっての現時点における最高到達点と化したことは純粋にうれしい。下読みではさんざんなことを言われたものだが、それなりに軌道修正もできたことに驚いてもいる。改稿という作業がようやくひとなみに身についてきたのだろうと感じた作品でもあった。
 

 一方で、この小説を書いたことでひざのうらはやおとしての限界が近いこともまた感じてしまった。今年の後半におけるスタンスの迷走は如実にそれを示しているといえるだろう。そのため、ぼくが純文学であると考えた小説においてのみ、別の名義を使って発表することを考えた。ひざのうらはやおという名義にまとわりついたあらゆる情念をいちどリセットして、どこまでやっていけるかという挑戦である。ひざのうらはやおとしての活動は依然として行い続けるが、その主軸は小説を書くことではなく、このようなエッセイめいた何かを記述したり、よくわからないことをツイートしたり、イベントに参加したりというある種の創作イベンターとしての活動がほとんどになることはご承知いただきたい。なお、新名義については、時期が来たら「それとなく」お知らせする。

・「〇(ゼロ)」を無事刊行する
 同人回顧録と題した極大の「墓標」であるところの「〇(ゼロ)」が完成した。昨今のあおりを受け、刊行日程を大幅に早めたものである。
 「〇(ゼロ)」は、いくつもの意味が重なりこのタイトルとなっている。漢数字のゼロは、それ自体が丸となっている。それは「かれ」の形状にほど近い。もし「かれ」に戒名が与えられるとするならばこれであろうとまず考えた。だからこそこの本は「墓標」なのである。また、ゼロはご存じの通り、その位置になにもないことを示す数字である。これら様々な意味合いをもって本作を「〇(ゼロ)」と名付けた。
 その名とは相反して、この本には結果的にひざのうらはやおのこれまでがすべて詰め込まれたものとなった。はじめましての方も、これまでのひざのうらはやおをよくぞご存じの方も、おそらく手に入れて損はないのではないかという期待がある。そういった思いを込めて、昨今の事情に鑑み発行を急いだ。まさか3センチを超える厚みになるとは思わず、通販による送付はコストの高騰もあって困難であったが、「震える真珠」同様にイベントでも順次取り扱っていくのでお手にとっていただければ幸いである。

・新名義での作品を発表する
 前述した新名義での作品を実はすでに発表している。8000字ほどの短編で、ぼくが過去に書いたものを完全に最初から書き直したものである。ひざのうらはやおとの干渉の問題から当面は活動をエブリスタに限定する。前述したとおり新名義については「それとなく」お知らせする。

・地方文学賞に挑戦
 まだ初稿すらあがっていないが、前述した名義でちょうどよさそうな地方文学賞があったので応募しようと考えている。締め切りまで時間がないが、もう少しで書けそうだし、選考を通過するなどの進捗があれば随時お知らせしたい。

・「H-1グランプリ」の選出を断念
 悲しいお知らせである。予想以上に年末が忙しく、決勝進出作までは無事行った「H-1グランプリ2020」であったが、現時点で決勝進出作をひとつも再読できておらず、断念を余儀なくされた。なんの証にもならないとは思うが、決勝進出された作品については、「H-1グランプリ2020決勝進出」という表記を自由に使っていただいてかまわない。当該作品については、当該記事を参照のこと。

それ以外の出来事

・ザーヒー、家を売る
 もう売ってしまったので書くが、かなり特殊な事情で、一般的なライフステージから考えると非常に若い時点でぼくは中古のファミリーマンションを購入し、ローンを支払っていた。それが事情が変わってきたため、自宅を売って引っ越すことを決断した。売ること自体はおそらく周りのひとが引くくらい簡単に決断したし、それから実際に買い手が現れるまでもおそらく想像や経験からは考えられないほど早く、担当した不動産屋をして「非常に運が良い」と言われる始末だったのだが、それでも夏頃に決断して先日物件の引き渡しをするくらい時間がかかったし、お金もかかったし、なにより手間と精神的な余裕を大きく消費してしまった。正直、この中で参加を表明したイベントや参加を考えていたイベントに注力できず、断念したものも少なくない。もっとも、公式としては(?)活動を休止しているままであるので、それでも全く問題ないといえばないのだが(活動自体が異例なので)、いろいろなひとに迷惑をかけてしまったし、現にいまかけてもいる。申し訳ないと思っている。
 実に特異な経験であるとも思っているし、なんだかんだもったいないので、どこかでおもしろおかしくエッセイにできないかと思っている。タイトルはそんな感じでつけてみた。

・ひとりぐらしを終了する
 上記から考えると何かを察するかもしれないが、それは各自こころのなかにおいておいてほしい。それは多くの場合間違っているし、そうとれるようにぼくは「わざと書いている」ので、つまり現実はそれとは異なる可能性が高い、とだけここでは記述しておく。今までのようにファミリーマンションにひろびろひとりぐらし、という独身貴族の夢みたいなくらしを手放し、たたずまいを変えた。そのためこれまでよりも自由度が大幅に減り、創作にかけられる時間もかなり減った。今では朝早く通勤し、職場の近くにあるガストで朝飯を食べながら原稿をするのが日課となっている。限られた時間が創作を豊かにしていくかどうかについてはこれから考察していきたいと思う。

来年以降について

 今後については昨今の事情もあり先行きが不透明であるため、場当たり的な対応になりかねないところもあることから、会場で抜本的な対策がなされない限りは、即売会イベントで対面で頒布することをとりやめようと考えている。また、ここ最近思う中で、ぼくは以下のことを考えた。


 つまるところ、自分がなぜ小説を書こうとしているのかという部分である。かつてのぼくは小説家になりたかった。しかし、それは願いが叶ってしまった。というのも、その欲望の「しん」は小説家になることではなく、自分の小説を収録した本を刊行するということであった。自主製作という世界があり、そこに参入した時点でぼくの夢はほとんどかなってしまったのだ。
しかし、これを読むみなさんはすでにお気づきのように、ぼくはそれだけではまったく満たされないどころか、むしろ空虚であると感じることが増えた。それはなぜかといえば、自分の思い描いたようなものが自分で表現することがかなわないことに起因している。だから、ぼくはだれがいかになにを考えていようとも、ぼくの思うがままに小説を書けたらいいなと思うようになった。そして、今年に入ってそれは自分ひとりで完結するようなものでもないのだ、ということに気がついたのだ。だからこそ、この自主創作を行う界隈において、お互いを協調しあうということが今、まさに求められているということに気がついた。

 「日本ごうがふかいな協会」はその精神性を体現していくべくぼくがあらたに生み出したサークルとしての名義である。まだ準備段階であるが、対面での頒布が極端にハードルが高くなってしまった昨今、その打開策として、協会に加盟することで加盟した他のサークルの頒布物を委託頒布することができるような仕組みを考えている。たとえば、あるサークルが関東でしか活動できないとき、ほかの北海道でしか活動できないサークルと出会うことはないし、ましてやお互いの頒布物をふつうはやりとりしないだろう。それが比較的簡単に可能になる方法はないだろうかと今検討しているところである。来年夏の完全復活に向けて、どれくらいそのあり方が可能なのかを今考えている。もし、興味があるのであれば加盟を募集する際に声をかけてほしい。

以上が、令和2年の総括である。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!