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おかんとオレ ~感謝の気持ち~後編

突然おかんは倒れた。小学生5年生の頃だ。
意識はあったがずっと体調悪そうに嘔吐を繰り返していた。夜だったので病院にはすぐ行かずそのまま寝ることになった。今思えば救急車を呼ぶべき状況だった。
今でも覚えているその時おかんが言った言葉
『おかんが戻らなかったらちゃんと生きるんだよ』と。
おかんは何か自分の中で危険だと悟っていたのかもしれない

おかんは白血球が非常に下がってしまっていたらしい。原因は不明。というかあんまり詳しく分からなかったし聞かなかった。
あの時体内に菌とかウィルスに侵されていたら命はなかったかもしれないと言われた。
無菌室に入りおかんはしばらく入院し奇跡的に回復した。小学生ながらにあの時はおかんがいなくなるかもしれないという恐怖があった。

それから中学の時にはタバコが見つかり学校に呼び出され怒られた。高校では先輩とお酒を飲む為にコンビニに原付で行き暴走族にからまれケンカ。高校は停学になった。でもその時おかんはあまり怒らなかった。といか体の心配しかしてなかった。目がボッコリ片方腫れ上がっていたし頭からも血が出ていたから。病院でMRIも撮った。本当に心配してた。今までにないくらい心配してた。そりゃそうだあの時は本当に迷惑かけたと思っている。

高校卒業と同時に僕は就職した。縁もあって大手企業に就職することができた。寮に入ることが決まり初めて一人で暮らすことになった。この時おかんと親父は別居しててオレはおかんと住んでいたから出てく時はすごく寂しそうだったのを覚えている。「がんばれ!」って。

一生懸命働き仕事を頑張って覚え3年くらい必死に走り抜けた。ふと気付くとあんまりおかんに会ってなかった。連絡はちょこちょこしてはいたものの会っていない。だから久しぶりに会うと白髪が増え老けていた。それはそうだもう年齢が60くらいだからなー。
その時ぐらいからだろうか人の命は永遠じゃない、おかんもいつかは···って思うようになった。学生から社会人になってホントに本当におかんはすごいなってことに気付かされた。

家の裕福な家庭ではなかった。だからおかんはずっと仕事をしていた。仕事をしながらの家事は本当に大変だと思う。自分なら投げ出してしまう気がする。それなのに弁当とかも毎日作ってくれていた。本当にすごい。感謝しかない。

今学生の人たちはまだおかんのありがたさとかって気付いてないかもしれません。むしろ僕は学生の頃まったく気付いていませんでしたから。迷惑しかかけてなかったから⊙﹏⊙

でも社会人になったらふと気付くと思います。その時はおかんに精一杯感謝してあげてください!それをずっと続けてください。ずっと感謝し続けてください。それを形にできたらなおよしです。

それが子にできるすべてだと僕は思っています
感謝することを忘れないでほしい

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