見出し画像

「アメリカン・スナイパー」 賛成と反対を超えて

クリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」を観ました。

この映画のメッセージとは

見様によっては、アメリカ的正義を称賛する映画にも見える(よっぽど頭を空っぽにして見れば)。
一方で、戦争を否定しているようにも見える。
これを以って「中途半端な映画」と言うこともできるけど、まさかそんな単純な映画じゃないでしょう。

この映画が言いたいことは何なのか?
それは、「この映画が表現したこと」ではなく「表現しなかったこと」を考えると分かる。

米軍の正義を称賛するなら、もっとヒロイックに、もっと荘厳に、もっと戦争映画風に描けた。
米軍による戦争に反対するなら、もっと悲惨に、もっと虚無的に、もっと感動ドラマ風に描けた。
でもそれをしなかった。

その理由は、ラストシーンに端的に表れている。

イーストウッドはこう言いたいんじゃないか。
「戦争にしろ反戦にしろ、旗や信条を掲げて何かを主張するということが対立の要因になっている。ということにまるで気づかずに繰り返しているということこそが問題なのではないか。」

ただ、このことを主張するのは難しい。
映画を通して声高に主張すれば、それこそ「信条を掲げて主張すること」にほかならない。
だからイーストウッドは「黙った」。
エンドロール、一切音楽がかからない。
あれは、彼の無言の主張なのではないでしょうか。
ほとんどガンジーの境地。

「賛成か反対か」の論争から、ひとつ次元を突き抜けて問題提起した、大変オトナな映画だと思いました。

「原発」も「基地」も「改憲」も同じかもしれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?