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蒸甲機〈春時雨〉 四

 再び降り始めた驟雨が、格納庫の屋根を激しく叩いている。銃撃のような雨音は絶え間なく、そしてここには、間もなく本物の砲弾が飛んでくるだろう。  日が昇り、敵の総攻撃が始まった。  花守衆を主体とした園川の軍勢は、これより死屍累々の有様となって戦い抜くことになる。 「私は」  戦の音はまだ遠い、しかしこの場で何よりも強力な機体の中で、時雨は俯き、力なく呟いた。  時雨が今すべきは、たった一つ。  この〈春時雨〉を駆り、脇目も振らず逃げることだ。  それが春深の望みなのだから。

    • 蒸甲機〈春時雨〉 三

       三月末。開戦から一か月近くが経過した段階で、各戦線が一挙に崩壊した。  当初の想定より攻めあぐねていた徳川方は、周辺大名へさらなる動員令をかけていた。これが功を奏した形である。園川が死守、あるいは奪還していた駅と要害は次々に制圧され、撤退を余儀なくされた。  徳川の軍勢は、すでに桜木城へ迫っている。残った戦力を結集させた園川であったが、すでに負け戦であることを誰もが知っていた。      日がとうに落ちた頃に、時雨もまた、桜木城へ戻ってきていた。春深と四年ぶりに言葉を交わ

      • 蒸甲機〈春時雨〉 二

         豊正三年、すなわち大坂夏の陣より百年が過ぎてなお、この国が統一される未来は夢想でしかなかった。  家康の果たせなかった天下安寧のため躍起になり、繰り返し西への侵攻を試みる徳川方。  かつて先祖が滅亡の瀬戸際まで追い込まれた愚を二度と犯すまいと、慎重な政権運営を重ねながらも、徳川方の侵攻に対して一歩たりとも譲歩しない豊臣方。  西の関白家か、東の将軍家か。  西国は元より豊臣寄りであった大名が多く、東国は夏の陣で敗れたとはいえ将軍家の権威がなお堅牢であったため、この色分けは概

        • 蒸甲機〈春時雨〉 一

          「数だけは多い、徳川の犬め」  流れ落ちる汗に顔をしかめながら、少女は小さく、たっぷりの侮蔑を込めて毒づいた。  額当ての内側がひどく蒸れる。汽罐がすぐそばにあるせいで、風防に覆われた鞍は熱気に満ちていた。施された防熱処理は、気休め程度の役にしか立っていない。上下つなぎの搭乗着も、多少通気性に工夫を凝らしたところで、これでは焼け石に水であった。  劣悪な環境下、少女は軽く頭を振った。短く切った髪が乱れ、滴がぽたたっと周囲に散る。そしてまた、風防の向こうをしかと見据えた。  少

        蒸甲機〈春時雨〉 四

          蒸甲機〈春時雨〉 序

             慶長二十年、夏。奮戦むなしく、豊臣方は大阪城にて追い詰められた。冬の陣の和議によって二の丸と三の丸を破壊され、堀も埋められたこの城は丸裸も同然であり、かつて難攻不落の誉れを欲しいままにした威容など見る影もない。もはや豊臣家は風前の灯火であった。  だがその時、突如としていくつかの影が戦場に躍り出た。激戦が繰り広げられた、西の天王寺口である。その数は三つであったとか、十はあったとか、いやもっとあったとか諸説あるが、みな似たり寄ったりの姿であったことは確かなようだ。鋼鉄の体

          蒸甲機〈春時雨〉 序

          新生機フィルミナート

           6  他人の躰をまるで自分の物のように好き勝手扱えるのは最高に気分がいい。  自分に従う自分ではない躰に力が漲るのを感じながら、椎名汐音(しいなしおね)は、その紺青の機体を飛翔させた。従来の兵器ではあり得ない莫大なエネルギーが、〈レェラ〉を蒼天へと運んでいく。  その間、オペレーターである汐音は、〈レェラ〉の巨体を通して全てを感覚していた。機体の表面をなでる気流を、身も凍りそうな空の冷たさを、全てを焼き尽くしてしまいそうな太陽の煌めきを。そして何より、さらなる高みから迫り

          新生機フィルミナート

          虚無と虚無

          「死ね!」  と呪詛を吐いて芹奈と別れた三日後にはもうよりを戻していた。  ぶっちぎりの最短記録更新。前回は二週間と三日、前々回は一か月と一週間、さらにその前は二か月と二日、そのまたもう一つ前は三か月と四日で復縁した。 「海香(うみか)のことだからさぁ、あたしのもん全部捨てられてるかなって思ってたけど、まだ無事でほんと良かったよぉ」  私の家のソファに我が物顔で寝転んで、芹奈(せりな)が言った。大きな口をあけ、ふわっとあくびまでしている。睡魔で限界なのは、お前が出て行ったショ

          虚無と虚無