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世界は合わせ鏡

つまらないなと感じる写真を撮る人に共通しているのは「この人何が撮りたいんだろう?」ということ。
見たいものが定まってないので、目の前の目立つものにフラフラと飛びついたり人の真似事で終わったりしている。
なんか付和雷同というか、自身の中ではなく外界に何らかの答えを見出そうとしているわけね。
そもそもそんな答えなんか外界にあるはずもない。だって見ているのは自分だから「僕はいったい何を見たいんでしょう?」と人に聞いても誰にも答えられないんだ。そんなことは自分で考えろという話。
写真を撮るということは、外界にアクセスしているようでいて実は自身の無意識にアクセスすることなんだ。
世界に対峙するということは、自分自身が外界にどんな反応をしているのか知ることであって、そこに向き合うということでもある。
世界は合わせ鏡であり、そこに反射する自分自身が映し出されるのが写真なんだな。
究極的には「俺ってほんとは何なんだろう?」と知るために自分は写真を撮っている。
決して外界を記録するアーカイブを作る為ではないんだ。
それは結局、自分に見えている世界は自分自身が作っているということなんだね。

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