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冤罪事件にみる免田栄という軌跡

noteの多彩なコンテンツには、本の紹介が数多く載せられています。私もnoteを始めてやがて1年、何冊か紹介したことがあります。今日もある本を紹介するのですが、実はまだ読んでいません。「これから読みます」という宣言のようなものです。その本は『生き直す 免田栄という軌跡』。昨夜、久しぶりにこの本の筆者とお会いした際、色んな人たちが書いた書評の写しを添えて手渡されました。

https://genshobo.com/archives/10949

日本で初めて確定死刑囚が再審で無罪になった冤罪事件としての『免田事件』のことをご存知の方は多いのかもしれません。1948年12月、熊本県人吉市で起きた一家殺傷事件で、翌年1月、免田栄さんは強盗殺害容疑で逮捕されます。一度は容疑を認め自白調書が作られたものの、その後免田さんは一転、容疑を否認し続けました。しかし、1952年1月に死刑が確定。それでも諦めることなく6度の再審請求を繰り返し、ついに1983年7月に免田さんのアリバイを認める無罪判決が言い渡されたのです。そして冤罪事件の生き証人となった免田さんは、2020年12月に享年95歳で亡くなられました。

10数年前、私は一度だけ免田栄さんに会ったことがあります。私がときどき息抜きに訪れていたお酒を提供してくれる馴染みの店に入ると、筆者を含む数名の人たちと免田夫妻が談笑しておられました。軽く会釈をして少し離れた奥の席に着こうとすると、「一緒にどうですか?」と声がかかり、促されるままにその輪に入ることに。免田さんのことを知ってはいたものの初対面。最初は少々緊張したものの、私が入ったあとも雰囲気は変わることなく和やかな会話が続きました。私が学生時代に野球をやっていたことを知ると、刑務所の中での野球の試合の話を面白おかしく語ってくれました。

免田さんは34年余りを死刑囚として獄中で過ごされました。その間、あらゆる権力と闘い続け、死の恐怖に直面しながらも再審請求を繰り返し、ようやく無罪が確定。いわゆる『自由社会』に出た後も、社会の偏見や誹謗中傷など、闘いが終わることはありませんでした。当時、私は熊本市長という権力の座にあり、もしかしたら、そんな私に何か言いたいことがあったのかもしれません。ですが、そのかけらも見せられることはなく、和やかなうちにその宴は終わりました。

これまで免田さんに関する書籍は何冊か読んできました。今回の一冊は、筆者が免田夫妻から託された膨大な資料に基づいて書かれたもの。段ボール箱20箱にもなったという資料の中には、獄中で家族や支援者に書いた手紙や、広辞苑や聖書、六法全書等を含む数多くの本、再審請求に関する膨大な資料なども含まれています。初対面のときに話されなかった免田さんの肉声が聞こえてくるかもしれません。冤罪事件を生み出した社会の一員として、これから心して読むことにします。

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