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映画『杜人』が語るもの

自伐型林業に取り組む友人からの紹介で、映画『杜人』を観てきました。造園家であり環境再生医である矢野智徳さんの活動を描いたドキュメンタリー。30年以上のキャリアを持つ造園家でありながら、生態系全体に関わる大地の機能を『大地の呼吸』と呼び、木々たちの生育に必要不可欠な空気と水の流れを最優先に考えます。業界では「変わり者」「生業として成り立たない」といわれながらも、徐々に共感する人たちが増えていく様子がまずは紹介されます。

2018年の西日本豪雨災害をきっかけに、その後の被災地に足を運んでは、復旧作業においても同様の理念での活動を続けます。広島県呉市や、岡山県真備町に、東日本大震災の被災地にも、矢野さんの活動に共感した人たちがチームとして活動し、単に復旧作業を行うだけでなく、何故土砂崩れや洪水が相次ぐのか、自然との共生に関する啓蒙活動も合わせて行われます。

矢野さんは、土砂崩れのことを『大地の深呼吸』と表現されていました。山の中に砂防ダム等の構造物が造られることで、水の循環を堰き止めてしまう。息苦しさに耐えきれなくなった大地が、深く深呼吸することによって、土砂崩れが発生するといいます。この映画では、客観的なデータや学術的な根拠が示されるわけではありません。樹木を見つめ続けた矢野さんの長年の経験は、樹木だけでなく生態系全体から現在の自然現象を捉えることとなり、限りある『樹命』をぎりぎりまで繋いでいくという強い使命感へと行き着きます。それは文明社会で置き去りにされてきた普遍的な価値観を想起させてくれるかのようでもあります。

2018年以降の水害にはもちろん2020年の球磨川流域水害も含まれます。球磨川流域の山々に限らず、阿蘇の山々も、それ以外でも、悪魔の爪跡のような土砂崩れの痕跡を幾筋も見ることになり、水害の多くは山に起因していることを実感させられます。山の中に構造物を造ることが、どの程度生態系や自然の循環に影響を与えるのか、災害のリスクを高めることになるのか、発想の転換が必要です。

枯れかけた樹木にも「命ある限りは」と懸命に養生に取り組む彼の価値観からすれば、昨今の街路樹や公園の木々をいとも簡単に斬り倒すことは許されない行為なのでしょう。もちろん人命優先は理解できますが、市街地に植えられた樹木たちにも命が宿っていることを考えれば、斬り倒すことはもとより、そもそも呼吸もままならないようなスペースに無理矢理植栽することも、改める必要があります。
色んな示唆を与えてくれました。

余談ですが、たまたま映画館で隣同士になった人と、観終えた後に一緒にランチをすることに。私の息子くらいの年代なのですが、「地元から世の中を変えていきたい」と既に行動に移し、そのことを熱く語る様子は、映画の主人公と重なって映りました。こうやって一人ひとりに伝播し、世の中が変わっていくのかもしれない、そんな希望を一人の若者に見出すことができました。もちろん私も負けられません。

そんなわけで、皆さんにぜひともご覧いただきたいおすすめの映画です。

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