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山に刻まれた資本主義のひずみ

最近、資本主義について考える機会が増えたように思います。そのきっかけはコロナの出現であり、それに伴う格差拡大。「人新世の『資本論』」の出版も話題になりました。そして岸田首相の掲げた『新しい資本主義』。今日の地元紙には、格差社会を乗り越えるためには資本主義の加速か減速か、そんな記事が掲載されていました。

「あなたはどちらの立場ですか?」

そんなことを問われても、急に答えなんて出せませんよね。そもそも二者択一でもないのでしょうし、制度そのものの問題や改善すべき点を考える際には、まずは身近な問題に照らし合わせて考えるしかないのかもしれません。そこで、身近な課題を探るべく、美里町の山に入った経験から考えてみることにしました。

「なぜ山の荒廃が進んだのか?」―ひと言で表すと「経済性に振り回されたから」だと思います。昨日も少し触れたように、戦後の復興・高度成長期には伐採が進み、その後は輸入材の影響で国内の木材価格が低迷。担い手不足が深刻になる中で、山への関心がどんどん薄れていきました。そして人の手の入らない木々たちは、自然に戻るのであればまだしも、中途半端なままに放置され現在に至っています。

その一方では、最近『ウッドショック』と呼ばれる木材価格の高騰局面が訪れ、国内の木への関心が一気に高まりました。それは、とにかく伐って売却益を得よう、またはその後には太陽光発電パネルを設置して売電収入を得ようと、あちらこちらで『合理的』な皆伐が広がっています。

経済性優先の資本主義に基づけば、自然な流れなのかもしれません。その結果として、各所で大規模な地滑りを引き起こし、私たちの生活が脅かされることになりました。かなり前から、山の持つ公益性について語られてはいても、それらが遵守されないままに現在に至っていると感じています。

皆さんは、2019年からは森林環境譲与税が導入済みで、2024年からは森林環境税が導入される予定であることはご存知でしょうか?特に森林環境税は、個人住民税として一人につき年額1,000円徴収されることになります。私たちの税金が使われ、公共性が増すことで、どのように修正されていくのか、注目しておく必要がありそうですね。

「これまでの資本主義を修正し、新しい資本主義の確立を」と謳い始めてはいますが、人の欲が根っ子にある限り、僅かであっても修正することは難しい肌感覚があります。修正することで負の影響を受ける人たちが必ず現れるからです。アサリの産地偽装の問題も似たようなところがあり、問題は見逃され続けてきました。資本主義以前の問題かもしれませんが、守るべきは何なのか、その原点をしっかりと押さえたうえで、既得権益に縛られることなく具体策を積み上げていく必要があります。

広大な山々に比べれば、昨日の山の現場は蟻の一穴、はちどりが運ぶ水滴よりも小さいものかもしれません。しかし、何があってもやり抜くだけの強い気持ちが大事なのでしょう。昨日はその気持ちに触れることになりました。

最後は資本主義とは少しずれてしまいましたが、どんな制度でも運用する人次第、そんな当たり前のことを再認識することになりました。


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