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未来へと受け継ぐ~震災遺構の活用

以前ある研修でお世話になった方が沖縄県から来熊されたので、その方のリクエストに答えて、益城町や西原村、南阿蘇村を案内することになりました。その方が所属する団体が、熊本地震の際にボランティアとして被災地に入り、団体所属の会員が交代々々で継続的な支援を行ったという経緯から、熊本地震から6年以上が過ぎた被災地の復興の進捗状況を知りたいというもの。その方が運転するレンタカーの助手席に乗り、説明を加えながらナビ代わりを務めることになりました。

益城町では、県道熊本高森線や益城町役場の周辺を通り、役場庁舎復旧工事や県道熊本高森線の4車線化拡幅工事、市街地再開発事業復興土地区画整理事業について、被災当時の状況とともに進捗状況を説明しました。復旧した西原村の俵山トンネルを抜けて南阿蘇村へ。震災から5年を経て昨年3月に完成した新阿蘇大橋の展望所に立ち寄り、各所でしかも広範囲に渡る土砂災害の様子や阿蘇大橋の落橋現場を確認してもらうことに。被害がいかに大規模であったかを感じてくれたようでした。

その後、回廊型フィールドミュージアム『熊本地震 記憶の回廊』の中核となる『旧東海大学阿蘇キャンパス』に案内しました。その方は、現地に着いてすぐに「大学が被災した建物をそのままにしておく目的は何なのでしょう?」と不思議そうな表情で質問されたので、震災遺構の意義を説明しようと思いましたが、「百聞は一見に如かず」ではないけれど「まずは観てもらおう」と中を案内しました。旧校舎に伸びる地表地震断層、その先には外壁の亀裂や階段の損傷等の被害を受けた旧校舎、旧校舎でも耐震補強の有無による被害の違いは明らかで、旧校舎の正面に回れば、多数の亀裂や段差、隆起した舗装などもそのままの状態になっています。

それらを観ると、私から説明するまでもなく「さっきの質問の答えがわかったような気がします」と漏らされました。あらためて震災遺構の意義を再確認することになりました。そして、「ここに連れてきてよかった」と率直に思いました。言うまでもなく、2016年の熊本地震以降も全国各地で自然災害が相次いでいます。次第に過去の災害の記憶が薄れていくことはやむを得ない部分もありますが、地元の私たちがしっかりと脳裏に焼き付けて、これからも伝え続けていかなければならない、そのために震災遺構を活用していくつもりです。

昼食は高森町で郷土料理『高森田楽』を食べることに。時折吹き抜ける涼しい風で、囲炉裏の火も、そんなに熱く感じることはありませんでした。田楽も満足していただいたようで安心しました。

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