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選挙に挑むということ

偶然ですが二日続けて、2023年春の統一地方選挙に立候補を考えているという二人と話す機会がありました。一人は立候補の意思を固めた上で挨拶に来てくださり、もう一人は「第三者から立候補を打診されたのだけれど、どうしたらいいか?」と意見を求められました。選挙まで半年余り、あらためてそんな時期であることを実感しました。

私が初めて選挙に挑んだ際も、半年ほど前から運動を始めました。東京の会社を辞めて故郷熊本へ。学生時代を含めると10年ほど熊本を離れていました。当時は、第一子が生まれて5カ月の頃。妻は環境の激変に不安いっぱいだったようですが、私も多少の不安はあったものの、これから始まる新たな挑戦への期待の方が遥かに勝っていたことを今も覚えています。

「選挙に出たい」あるいは「出ようかどうか迷っている」という人に伝える言葉は、結構難しいものです。基本的に私は、「政治には新陳代謝が必要」との考えに立ち、『多選の弊害』も口にしてきただけに、新人の挑戦は好ましいことと考えています。ただし、「頑張れ、頑張れ!」という安易な応援も慎むようにしています。以前に比べれば、選挙のやり方もかなり変わってきたとはいえ、それまでの勤め先を辞め、ある意味では背水の陣で当選の保証など無い選挙に挑むことになり、私自身がそうであったように、選挙に挑むと自分を取り巻く環境が大きく変わります。また、身内も含め、多くの人を巻き込むことになり、やり方次第ではありますが、少なくない経費もかかります。安易な言葉をかけられない理由です。

だからこそ、本人の意思を確認するようにしています。単純に言えば、何がやりたいのか、どうしてもやりたいのか……を。特に第三者から薦められた人に対しては、自問自答するよう求めます。先述の通り、選挙に挑むことで環境が激変することとなり、当選の保証はない。なので「〇〇さんに薦められたから」では、仮に落選した場合、その人を恨むことにもなりかねません。立候補を決めた瞬間に自己責任になりますので、「結果がどうであろうと後悔しない」覚悟は必要でしょう。余談ですが、先の参院選で初当選を果たしたばかりの新人が、旧統一教会問題に巻き込まれ、自分の言葉で語れない様子を見ていると、余計にそう思ってしまいます。

私はこれまで7回の選挙に挑戦してきました。立候補はもちろん、現職を辞めるも含めて全て自分で判断してきました。当選することがあれば落選することも。自らの経験では「もっとああしておけばよかった」との反省は残っても、「立候補しなければよかった」と後悔したことは一度もありません。私利私欲なく、強い意思と志を持って政治に挑戦する人たちを、私は応援したいと思っています。

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