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虚像は誰がつくるのか

東京オリンピックを巡る汚職事件について、大会組織委員会の高橋治之元理事に関する報道を見ていると、憤りを覚えつつも「あんな存在は大なり小なりどこにでもいる」と達観している自分に気付かされます。高橋元理事だけでなく、森喜朗元会長も、政治家を退いた後もオリンピックなどのスポーツ界に強い影響力を持ち続けているようです。日本では『院政』などと呼ばれることもあり、権力の座を退いたあとも実質的な権力を持ち続けるのは、日本の伝統なのかもしれません。

私は『実質的な権力』の持ち主は、全てとは言いませんが、ほとんどが『虚像』だと思っています。虚像が、誰の手によって生み出されるのかを考えていくと、一義的には本人なのでしょうが、『取り巻き』と呼ばれる周囲の人たちによって造られるものではないでしょうか。

『おこぼれ』に預かろうとする人たちが周囲を固め、虚飾の加勢をする。そこに多少の金銭的な負担が生じようと、最終的にそれ以上のリターンが得られれば痛くも痒くもない。当初はその利害に関係ない人がほとんどでも、黙認していれば、いつかは自分にも利害に関わるようなケースが出てくる。その際、素直に巻き込まれるのか、公正さに重きを置くのか、どちらかの選択を迫られることになります。

仮に後者を選んで、「おかしい」「間違っている」と声を上げることで、孤立し、関係者から外される。巻き込まれるか、せめて黙認しておくか、どちらかにしておけばよかった、と悔やむことになる。そうするうちに、おかしいと思っても誰も声を上げなくなり、虚像は日毎に成長し、完成品に近づく。

それでもいつかはほころびが出始める。ただ、その『いつか』は誰もわからないので、明らかに修復不能と思えるほころびが見え始めるまでは、じっと息を潜めて誰も声を上げることはない。誰もが修復不能と思えるような状況になって始めて、みんなで一斉に声を上げ、全員で虚像を叩き壊し始める。
そして、完全に潰れたことを確認した上で、また新たな虚像づくりをせっせと始める。そんなところだと思っています。

また、なぜ虚像が誕生するのかについては言わずもがなでしょう。組織委員会の他のメンバーや関係者の皆さんも、今回の汚職事件に直接関与していなくても、虚像づくりに加担した共犯者としての自覚を少しくらいは見せてほしいものです。

こうした負のスパイラルを断ち切るためにはどうしたらいいのでしょうか?
一人ひとりが勇気を持って声を上げるしかないのだと思いますが、これがなかなか勇気のいること。冷や飯を食う覚悟が必要とも言われます。そこまで追い込まずとも、責任ある立場の人たちが、普通に責任を果たすだけで、こんなに見苦しい事態は防げるのだと思います。

今一度、自分の周囲を見回してみませんか?
おそらく他人事ではないはずです。

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