見出し画像

民主主義はオワコン!?

最初にそう聞いたときは「???」
恥ずかしながら『オワコン』という言葉の意味を最近知りました(汗)。

『終わったコンテンツ』

50代半ばのおじさんにしてみれば、自分が言われているようで面白くはありません(笑)

拙著『下手と呼ばれた男の流儀』では、一貫して地方政治にこだわり、「地方自治は民主主義の学校」という言葉を紹介しながら、もっと民主主義を機能させようと、一人ひとりの政治参加を呼びかけています。しかし、民主主義自体が『オワコン』と言われてしまうと、もはや面白くないを越えて心中穏やかではなくなってしまいます。

その一例として挙げるなら、まずはコロナ対策。世界中に蔓延したものの、その状況は国によって異なります。最近の日本の感染者数からみれば当てはまらないのかもしれませんが、民主主義を標榜している国ほど抑えきれていないとの評価があることも事実です。

民主主義は意思決定に時間がかかる。また強制力を行使しづらいが故に、病床の確保やワクチン接種、行動制限にしても、徹底できない。アフターコロナ、ウィズコロナの経済対策にしても然り。

だから『オワコン』!

本当にそうなのでしょうか?仮にそうだったとしても、「じゃあ、民主主義を棄てますか?」と問いたくなります。それ以前に「そもそも日本では民主主義が機能してますか?」を論じるべきかもしれません。

民主主義の学校であるはずの地方自治が、コロナ対策でどれだけ主体性を発揮できたのでしょう?
メディアでよく都道府県知事を見かけるようになりました。以前よりは顔が見え、その政策の違いもわかりやすくなったようです。もちろんただ目立てばいいというものではなく、民主主義が機能していれば、私たちは、対策のスピードや質、 その効果を見極め、単なるパフォーマンスをも見抜くことができる。そして為政者により良い対策を求めることができる。そう信じたいものです。

「ナチス政権は民主主義の下で生まれたもので、民主主義が良い結果をもたらすとは限らない」という指摘がありますが、国家安全維持法が施行され、いわば民主主義が奪われた形の香港で、民主主義の大切さを聞いてみたいものです。
宝の持ち腐れでは意味が無いし、失ってからでは遅すぎます。

『オワコン』にするもしないも私たち次第、そう思いませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?