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ザ・加藤伸吉・アンソロジー(5)国民クイズの頃~自分の絵とは?の巻

漫画家 加藤伸吉インタビュー、第5回は、前回に引き続き初期の大ヒット作『国民クイズ』の頃の話を訊いていきます。

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未来の描き方についての続き。

加藤:未来の街をどう描くか、ということで言えば、あの頃、「空をチューブが走ってる未来」みたいな、サイバーパンクっていうのかな、そういうのはもうあったのかなぁ。『AKIRA』を、まぁ極北としてね、ああいう世界観はマネしたくない、というのはありましたね。自分の中で、「工場のパイプ禁止」っていうのは、はっきりとルールとして持ってたんですよ。そういう類型化された絵は描かない。

大須賀:すでにパターン化されたものは使わないということですね。

加藤:そう。もちろん先達の作家さんたちに憧れてもいるんですけどね。でもよく考えると、ああいう長いものが空間を這ってるとなんで未来を感じるのか、不思議だよね(笑)

大須賀:さっき(前回の最後で)言ったけど、たとえば、『べビィシッターベイベー』(『オビリガード!』収録)をあらためてみると、空をバスが走っている未来の街でも、たしかにチューブ的なものは走ってなくて、未来的なビルと瓦屋根の日本家屋とかが共存している。色々な時代の建物が共存しているのはリアリティがあるなと思って。

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加藤:まず、造形として好きなんですよね。ちゃんとした瓦屋根とか。カタチが面白いんですよ。だから一緒のコマに入れて描きたいの。

パソコンで描いてもうまくなるわけじゃない。

大須賀:加藤くんが描いているところってどんな感じなのかなぁ。見てみたい。今はデジタル入稿の作家さんの方が多いって聞くけど、加藤くんは変わらず手描きですか?

加藤:うん。こだわってるわけじゃないんですけど、うーん…めんどくさいだけ(笑)。真似事で、イラストとかをパソコンで描いたことはあるけど、手間は一緒ですもんね。
パソコンは「その人のスキルをそのまま素直にアウトプットしてくれるもの」という気がしている。その人以上のものは出ない。パソコン使ったからって急にうまくなるかっていうと、そうでもないんじゃないかな。

大須賀:加藤くんは線を引くときに迷う方?一発で決まる方?

加藤:3枚目くらいから迷わない。

大須賀:最近テレビでやってる、漫画家さんが絵を描いている様子のドキュメント番組を見ていると、線や絵に迷う人はやっぱりパソコンに移るとやめられないらしいですよ。何度でもやり直せるし。

加藤:データで切った貼った出来るしね。

大須賀:手描きだと、人によっては原稿用紙がヘロヘロになることもあるらしいですよね。加藤くんは紙がダメになるほど描きなおすようなことは?

加藤:まぁ、たまにある…かなぁ。単行本のときに描きなおしたりするし。

大須賀:あっそういうこともするんですね。

加藤:そんなにはないですけどね。基本的には終わったら触りたくない(笑)。悔しいなぁと思って単行本見てるだけ。本にホワイト入れて描き直したくなる(笑)

大須賀:逆に手ごたえを感じることは?このコマは描けてるなぁとか。

加藤:ありますよ。それで、全体として平均点は出せてるんじゃないですかね。自分の中では、ということですけど。

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読者の反響について

大須賀:ところで、『国民クイズ』は週刊誌での連載だから、描いてる最中に色々反響があったと思うんですけど、そういうのはどう受け止めてました?

加藤:うーん、嬉しい…ですけど、そんなに褒めてもらえるほど自分の絵(のクオリティ)が届いていないと感じてたかなぁ。そんなに褒めていただけるほどのものじゃないですよ、っていう。先人の「型落ち」でしかない、フォロワー、系譜でしかないって思ってましたからね。

大須賀:まぁでも、もっとはっきりと〇〇フォロワーな方もいっぱいいるじゃないですか。

加藤:う、うん。そう。まぁだから、それをモロでやれる人は羨ましいなぁとは思いますけどね(笑)。
何の世界であっても、尊敬する先達と同じようなモノが創れた!っていうのは、自分オリジナルのものが創れたっていうよりも、簡単に気持ちよさが手に入るとは思うんですけどね。

大須賀:誰でも最初は模倣だとは思うんですよね。ビートルズでも最初は「チャック・ベリーと同じことができた!」「バディ・ホリーの曲のコードわかった!」だっただろうし。だから、どの段階でそこを離れて自分オリジナルへの挑戦に向かうかっていう、時期の問題なんですかね。

加藤:うんうん、そう思う。あのさ、マネすると「部分超え」っていうのは誰でも出来るんですよ。でもトータルで見たらオリジネーターに勝てるわけない、っていうね!だから気付く人はそこから「もうマネはやめよう」って思えるんじゃないかなー。

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大須賀:反響の話に戻るけど、とはいえ毎週ポジティブな反響があるっていうのは、日々の大変な作画作業の励みにはなったんですか?

加藤:いや、でもどっちかっていうとそういう反響はシャットアウトしてた気がしますね。当時はSNS…っていうかネットもなかったですからね。だから、見えない読者って、怖かったですよ。怖いから近寄らないでおこうっていう気分があって。あまり声に左右されないように描きたかたっていうのもあったし。うーん、まぁ、でもそもそも、そういうことを気にしている時間もなかったです。それがすべてかなぁ。

どこまでが必要な線・作業なのか。

大須賀:原作は脚本のかたちで来てたんですよね。それを読んで、コマ割りして、下書き描いて、ペン入れして、っていうことですよね。工程で言うと、加藤くんはコマ割りは好きなんじゃないかっていう気がする。先日言っていた「カメラマン」になってアングル決めたり、レイアウト決めたり。

加藤:うん、それは乗ってくると楽しいですね。結局、映画のスチール写真集とかあるじゃないですか。あれの、スチール写真が1枚の見開きにコマ割り的にレイアウトされている紙面、ああいうのがとことん好きなんですね。漫画でもそれがやりたいんです。だから、アップのカットを続けるとか、基本的にやらないですね。なるべく構図の角度をガツンガツン変えて、寄ったり引いたり煽ったり俯瞰したりっていうのをとことんやりたいっていう感じがありますね。

大須賀:逆に、苦しいのは?

加藤:どうだろう…仕上げじゃないですか。ペン入れ以降。体力的にも精神的にもすでに疲れているところからやらなきゃいけないし。そこがもう、一番イヤでしたねー。スクリーントーン開発したやつ殺すって思ってました(笑)。なんでこんなもん重ねて陰影ださなきゃいけないんだよーって。
でも当時、モノクロ原稿でも「カラー原稿をモノクロ印刷したような絵」が創りたかったんですよ。あれに出来るだけ近づけたかった。中間色が3色以上ないと満足しなかったっていうね。アニメでも、星飛雄馬の顔にハイライトとシャドウと、3色使ってたりするのがリッチだなぁ、いいなぁと思ってたから。

星飛雄馬:原作・梶原一騎、作画・川崎のぼるによる野球漫画の大傑作『巨人の星』の主人公。1968年から放映されたアニメが大ヒットした。なんて解説は要らないとは思うんだけど、若い方は知らないかも、と…

大須賀:白黒の画面で「着色」してたっていうことですよね。すごいなぁ。でも、仕上げは苦行だ、と。

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加藤:苦行ですねー。だって、ほんとは、ペン入れの段階で絵としては完成してるんですよね。ペン入れの段階の白い原稿って、きれいなんですよ。だから、「商品としての価値」を持たせるための仕上げが、絵をダメにしているという気もするんですよ。リボンかけなくていいよ、って。この作業要らないなーって思うところがある。

大須賀:うーん。でも、「カラー原稿のような絵」を描きたかった、という気持ちもあるわけですよね。そのへんの、どこが必要な線・作業で、どこが要らない「商業用」の線・作業か、っていうのは、そこは加藤くんの中にあるもので、なかなか論理的に説明できるものじゃないんでしょうね。

加藤:そうですね…そこは、あ、たとえば、80年代のミュージシャンが、デジタル・シンセの音はほんとは嫌いだけど時代のニーズに応える商品にするためには使わざるを得なかった、みたいなのに近いんじゃないかなぁ。「中間色のグラデ」という音を出したいときに、それを信頼できるバンドメンバーの音にするか、デジタル・シンセにするか、みたいな。ほんとはバンドメンバーの音で十分なんだけど、時代に合わせるにはシンセ使うしかない、みたいな、そんな感じなんじゃないかなぁ。

大須賀:作家としての、すごく微妙なニュアンスの話ですね。深いなぁ。

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<続く>


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