音楽の話⑤
前回まで
RCサクセション
さて前回の古井戸を知ったきっかけとなったのが
RCサクセションですね。
RCを知ったのは80年ごろの確か「パイオニア・ステレオ音楽館」
調べるとテレビ東京の番組で小室等氏が司会をしていた番組。
Youtube調べたら映像ありましたよ。
このスタジオライブを観て何だろうこの化粧をしたヴォーカルと
セクシーなギターリストはとそれ以来ファンになった。
そしてその翌年の81年の5月31日(日)の伝説の日比谷野音ライブ
「PLEASE ROCK ME OUT」が初ライブ観戦。
オープニングアクトがあがた森魚がA児と名乗って活動していた
ヴァージンVS このころすでにヒットしたロンリーローラーは発売されていたのか。
この時買ったPleaseのジャケットが印刷されたTシャツを
何かあるたびに来ていた記憶が。
確か修学旅行でも着ていて、どこかにその写真があった気がする
この公演の時のバックは梅津和時率いる生活向上委員会大管弦楽団。
屋根裏4daysから久保講堂を経て、シングル「トランジスタラジオ」が発売され上り坂だったころで、
ただバンドとしては完成形ではなかったような。
実際この後生活向上委員会も梅津氏片山氏の二人(BlueDaysHorn)となり、
この年最後に初武道館を行い不動の地位を築き上げた感じではないかと。
翌年が坂本龍一氏との「いけないルージュマジック」が発売され、
RCのシングルとしては「サマーツアー」か。
前年の武道館から何年か連続でクリスマスはRCの武道館という日々が続いたような気が。
あと覚えているのが1984年の「オールナイト ニッポン スーパーフェス ASAHI」BEER LIVE」
共演が吉川晃司with PaPa、THE ROKKETS、小山卓治with THE CONX
記憶をたどると吉川晃司のサポートギターはうじきつよし、
小山卓治はファンの間で語り草となっている赤いタンクトップでしたね。
トリがRCという美味しいコンサート。
それと汐留PITでやったライブがおそらく最後かな。
学生時代や会社員時代の頃なので、お金の問題やら、
時間の問題などであまり行かれなかった気がします。
まぁそのほか色々と観ていたのもありますか。
あとテレビでもよくライブをやっていただいていたので助かりました。
あの頃はフェスを各バンド1,2曲程度でまとめた映像をテレビでよく流してくれたものでした。
最後に観に行った汐留PITのライブあたりか?
ちょっとキヨシローさんとバンドとの方向性の違いが
出てきたような感じで、
その後いつの間にかG2や新井田さんとかが抜け、
春日さんや厚美さんがサポートで入ったりと
そして解散。
その後のキヨシローさんのソロやチャボさんのソロ、麗蘭などは
きちんとは聴いていなかったなぁ。
僕がRCに求めていたのはメッセージ性ではなく
「ただのロックンロールショー」だったのだと思います。
「よォーこそ」で始まり、本編ラストが「雨上がりの夜空に」
アンコールの最初が「気持ちE」でアンコールラストが
「指輪をはめたい」で終わるのが理想のライブ。
そして本編では梅津氏とのやり取りがある「ステップ」も重要ですね。
これだけ聴ければ大満足だったような気が。
なので後期のCOVERSやタイマーズはちょっとという感じなのと。
ソロになってからの切り取り発言を基にキヨシローさんを
そっち方面の志士と持ち上げる人たちとは一緒にされたくなかった。
あくまでRCは「ただのロックンロールショー」なんですよ。
もうキヨシローさんが亡くなって観ることができませんが、
こうやって映像が残っているのはありがたいですね。
また仲井戸麗市さんがたまにRCの曲を歌ったりするのでありがたいです。
そうだ。仲井戸さんの45周年の記念ライブに行った時も
RCの曲演奏しましたねぇ。
この時は前述の古井戸の加奈崎さんと一緒に古井戸の曲も演奏しましたね。
このDVDも持っています。
最後に
僕にとってのRCはキヨシローさんとチャボさんの二人ですね。
デビューはキヨシローさんとチャボさんは別々のグループでしたが。
二人がじゃんじゃんだの青い森などで親交を深め、
その後フォークからロックに代わるころにチャボさんが古井戸を抜け
RCに合流したのは必然だったんだろうなと。
その辺の話は「愛しあってるかい」という本に載っています。
今でも僕のバイブルです。
そしてキヨシローさんとチャボさんの二人の関係性を表す曲がこの曲
「君が僕を知ってる」
この曲はマイファバリットソングですね。
次回は高校の頃に聴いた曲をまとめてみたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?