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唐十郎汚れた天使 放送されなかった   TVドラマ    

(場外乱闘編)

原作天使シリーズ6作
台本より

唐十郎演出の
「汚れた天使」のストーリーは、横須賀で起きた売春婦殺人事件の取材を担当していた"私"の同僚記者が、根津甚八が演じる犯人および犯人が住む安アパートの住人とズブズブの関係になってしまい、その事件を記事にしなかった。それを、常田富士男演じるデスクから咎められたのを苦にして犯人・安アパートの住人と一緒に入水自殺するというものであった。このようにストーリーも衝撃的であるが、安アパートの住人として

交通整理のおばさん役


不破万作演じる倒錯した女装をしたオカマが登場した事、犯人が同性愛志向のある自慰行為をしていたシーンが登場した事、など非常に過激な描写があったという。この事で放送中止になってしまった。このことに反対した全出演者・スタッフが製作・出演をボイコットしたため結局、すでに完成していた第16話「天使の罠」を最後に終了した。
『市川崑シリーズ・追跡』(いちかわこんシリーズ・ついせき)は、1973年5月22日から同年9月4日までの毎週火曜日の夜10時に、関西テレビ・フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ。

市川崑シリーズ三好徹原作

「JAZZ&somethin else 喫茶・映画館」吉田昌弘さんによると
テレビシリーズ第15話は唐十郎監督の「汚れた天使」について書いている。「市川崑直筆のカット割りがされた台本。シリーズ第1話は鴨三七脚本、市川崑監督による「いかさま天使」で、監督は撮影に凝りすぎて予算と時間をオーバーしてしまい、シリーズの他の作品の制作費から予算を吸収して補填して行くということになったそうです。写真は市川崑監督直筆のシナリオ1ページ目です。
 このテレビドラマ『追跡』では多くのことを学び、映画人として成長できました。」
 第15話は石堂淑朗脚本、唐十郎監督「汚れた天使」で、撮影前からテレビの世界とは異なる状況劇場の異空間の斬新さが伝え聞こえました。舞台は時空を超えた「下谷万年町」の設定で、女装した不破大作の「交通整理のおばさん」、根津甚八演じる人形遣い、同性愛指向の人物設定、セックスを象徴する指文字のアップ、トイレの便器に顔をツッコむ、小林薫を乗せた騎馬行進等すべての場面に今までのテレビには見られない、唐十郎ならではの独創性とエロチックさがあり、スタッフの多くは歓喜しました。オールラッシュ試写では李麗仙がマックスファクターの口紅をつけるカットがあり、広告の面からこれが問題になりカットを入れ替えました。ダビングは唐十郎監督を中心に行われ、アフレコには李麗仙、根津甚八、小林薫、不破大作、十貫寺梅軒、大久保鷹、他女優らが参加しました。

資料

「汚れた天使」台本と予告編フィルム。完成・初号試写ではプロデューサーはじめ試写を見たスタッフがあらためて感動し、OKが出て、フジテレビへ納品。この日の夜、2号プリントを現像所から受け取り、中央郵便局より関西テレビへ航空便で発送しました。
 しかし、事態は急展開します。翌日、製作会社の関西テレビより突然の通達があり、「内容が非常識で猥褻な表現は家庭で見るテレビに適さない」とのことで放送は中止となりました。全スタッフが緊急に集まり、この通告に反対の声明を出しました。
「追跡」シリーズは第18話・助監督〜監督補であった岡野敬氏監督昇進作品「天使の哀歌」(脚本・西澤裕子)は台本が第2稿まででき上がっていましたが、制作中止を決定。第17話富本壮吉監督「天使の罠」は撮影が終了しており、急遽これを繰り上げて最終回・第16話とし、ダビング〜ネガ編集〜プリントの局への発送を進めていきました。ダビング終了後、通常では監督は帰宅されますが、富本壮吉氏は私を待っていて、氏所有のオースチンのクラッシクカーでネガ編の所まで送って下さいました。そのとき「自分の作品はテレビドラマの安全パイで、代替えだ……」との愚痴をこぼされたのが、異例のこととして記憶に残っています。
 テレビドラマは家庭のだんらんの延長にあり、例えば時代劇の斬り合いでも、リアルに考えれば血が流れてもがき苦しんで死んでいくはずですが、視聴者との暗黙の了解と自主規制により、だんらんを壊す表現はカットされます。「汚れた天使」は凄惨なカットはありませんが、平和であんねいな、だんらんとは反対の差別された集団の人物設定と猥雑さに満ちています。そこがこの作品の最大の面白さです。今は故人となられましたのではじめて公にしますが、東京のプロデューサーT氏より「汚れた天使」自主上映の話をいただきき、参加しました。私が仕上げ進行として編集ラッシュプリントと16ミリ・シネテープ関連資料を管理していたからでした。このラッシュプリントとシネテープは私が持ち出し、状況劇場へお渡ししました。その直後に東京の製作会社である、C.A.LのプロデューサーS氏がプリントとシネテープの回収に来られましたが、既に手元にはありません。 後年、この、C.A.LのS氏よりシノプシスを書く仕事話をいただきましたが、私には時間がなく、この仕事は当時付き合っていた渡辺絹子がしばらく続けました。
 『週刊新潮』編集部から雑誌で紙上試写会を行ってはとの打診があり、ネガ編の方にお願いし、ネガ編助手の方が徹夜で協力して下さってカット破片から拾い出したネガフィルムを提出しました。ネガフィルムの編集では、ポジフィルムのエマルジョンナンバーを読み取り、同じ部分のネガを切り出して編集します。ポジ編から要求されたら、どんなカットであってもそれを出さなければなりません。今回の事例のように絵柄から探し出すことは作業が通常とは異なり、大変な労力が求められます。また、カット破片であっても、ポジ編以外へ出すのはあってはならないことです。編集の終了した作品で、仕上げ進行の私の求めだから助手の方に出していただけたわけで、ネガ編集者は関与しません。つまり、全責任は私にあります。週刊新潮・誌上試写会は3ページにわたって掲載されましたが、今思い返しても、大胆なことをしたと自戒の意味を込めて思います。当時は若かったこともあり、この作品が埋もれてしまうことに無念の思いがあり、青臭い正義感もはたらいたのでした。しかし製作会社から暗黙の追放宣言を受けることになった。
 「汚れた天使」自由劇場での一般公開の翌日、私と監督補のO氏の2名が製作会社から暗黙の追放宣言が申し渡されました。自主上映ではプロジェクターの回転スピードを選択するスイッチがSilnt・16コマになっていたため、1〜2分で音がズレてしまいます。このことに気づくのに時間がかかってしまい、その間、状況劇場の役者たちはスクリーンの前で寸劇を行ってしのぎました。スイッチを24コマに直してからは、スムーズに上映できました。
 富本壮吉監督「天使の罠」放送直後の夜に編集のO氏から電話があり、自主上映を叱責され「あなたには2度と電話をしません」と断交を宣言されました。その後O氏は市川崑監督の劇場映画の殆どを編集として担当、「市川崑の懐ろ刀」と言われるまでになり、編集者として賞も受けています。また同時刻に、担当プロデューサーより「追跡」の直接の製作会社である「活動屋」へ来るように呼ばれます。私は仕上げ進行の前任者にも来てもらうよう求めました。  赤坂TBS前にあるCMの製作会社の一角に机を一つ置いただけの事務所で、ふだんは経理担当者が一人いるだけでしたが、このときは珍しくも市川崑氏とプロデューサー2名、さらに仕上げ進行の前任者も来られましたが、自主上映の話は一切なし。仕上げ費の精算をし、各位へご挨拶をして終わりとなりました。これが大人の世界なんだよなあと感じたことを思い出します。市川崑氏は新しい映画を作って来られた方ですから「汚れた天使」に斬新さを感じないはずはありません。この事件の後に作られました劇場映画『犬神家の一族』での湖に浮かぶ2本の足のポスターは、「汚れた天使」からの何らかの影響があったのだと私は考えております。市川崑氏は市川組を作り、スタッフを余り入れ替えず育てていきます。この映画では私と監督補だったO氏を除いた「追跡」の多くのスタッフが参加しております。
 これらのことは映画人として生きていく上での成長の基盤となりました。映画現場の裏話を長々と書きましたが、新しい作品で切り拓いていくとは何かという問いは、JAZZ喫茶をやっている今でも私の中に残っております。

文京区白山

早大演劇博物館への寄贈品
 「汚れた天使」全撮影カットのスクリプト用紙全ページと編集済み予告編は私が保管しておりましたが、近年『追跡』の他の作品の台本と共に資料として早大演劇博物館へ寄贈致しました。]「JAZZ&somethin else 喫茶・映画館」吉田昌弘による顛末記である  実名などが多々出ているが原文の通り取り上げました。私も40年近くこの業界に携わってきたので吉田氏の行動と言動に賛同と賞賛を感じます。当時の関西テレビは、「明るく正しい母と子の番組でありたい真実公正をモットーとし明るく楽しく清々しい見終わって明日への活力になるような番組作りを目指していると編集方針を主張している。それに対して唐十郎は、追跡と題されているこのドラマに人々の群像を追跡した。不浄なものの中にこそ生きるエネルギッシュな花を描いた作品であり反社会的ではあるが、原人間的であると抗議声明を出している。作品がTVに相応しいか相応しくないかを決めるのは、誰なのか。自主規制という名の検閲は正しく機能しているのだろうか。もしかして、今ならネットフリックスあたりで放送できるかもしれない。TVを取り巻く環境も変わってきているのかもしれない。映像(芸術)は大衆所有から個人所有へと変わってきている。その時にどういう選択をするかで人生が決まることがある。吉田さんの人生にこの作品が与えてた影響も少なくはないように思える。また4日にお亡くなりになつた唐十郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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