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誰がために国はある

京急蒲田駅ですか。京急蒲タコハイ駅と名付けた看板をつけたらクレームが来たので看板を撤去したという、何とも驚くべきニュースが飛び込んできました。
曰く「朝から酒を連想するような看板はけしからん」とか「中高生も利用する駅である」とか「アルコール中毒の人がいたらどうするんだ」とか、どこまで「臭いものに蓋」を推し進めるつもりでしょうか。このままだと日本人はストレス耐性のない軟弱な民族になってしまうのではないかと心配になります。

見たくないものは見なければいいのです。見たくないものが目に入ってきたら、スルーすればいいのです。そうやってストレス源(たかだかお酒の看板で大げさな話ですが)から自分で自分の身を守るから、人は強くなっていくのではないでしょうか。

もちろん子どもや未成年など、未熟な発達段階の人間も一定数いる、ということは事実としてあります。しかしそこは周りの大人がフォロー・カバーすればいい話で、そもそも子どもたちがどんな内容に傷ついたり過敏に反応したりするかは子どもごとで違います。それこそ看板を撤去されたために田中みな実さんの顔が見られなくてって傷ついている中高生だっているかもしれません。そういう人への配慮はいいんですか?と。

公共性がー、などとのたまう御仁もいらっしゃるみたいですが、国鉄(笑)の駅ならともかく、私鉄ですよ、私鉄。経営しているのは一般企業です。
一般企業が自分の所有する建屋をどう飾ろうと、公序良俗に反しない限り企業の裁量ではないのでしょうか。

少し前の記事にも書きましたが、「よそはよそ、うちはうち」なのです。それが腹落ちしていれば、多少のストレスなど自分で乗り越えていけます。
今回看板撤去を訴えた方々は、この先もずーっと、それこそ子どもたちが大人になってからも有害と思しきものはどんどん排除していくつもりでしょうか。自分たちのほうが先にお迎えが来ることは、ほぼ既定路線です。風よけがなくなった子ども世代をいきなり暴風雨の中に放り込むつもりなのでしょうか。
今回のような「みんないっしょ」的な「ゆとり教育的発想(ゆとり教育は10年も前に否定されましたが)」がかえって多様性を駆逐している感じは、日本の家庭力が弱まっている一つの証左ではないかと心配になります。

子どもや孫、ひ孫世代、更にはまだ見ぬ将来の日本人の子孫に対して、どんな生き方を期待し、どんな国を残していくのか、現役世代は真剣に考えるところに来ているのではないでしょうか。

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