僕は何になれる

一旦全部出す。書きたいのはこんなのじゃないなと思ったから。


読み直して書き直すほどに冗長になる。

冬は鼻水垂らしながら走り回るんだよ。できることはそれだけ。

時間を儚むことは愚かな事この上ない。儚む程度の時間を取り戻すには儚む暇などないからである。

僕がいなくなったり傷ついたりすると悲しむ人がいる。だから僕はそれを表に出せない。そのせいで制御されるなんて馬鹿馬鹿しい。悪役になるしかそういう自由を手に入れる方法はない。

SNSのアカウントを消していなくなった知り合いが何人かいる。今朝夢に出てきた。

魔法使いは女性だけではないから魔女と呼ぶのは時代にそぐわない

アバターの自分もリアルの自分も嘘じゃない。守ろうとする必要はない。

人との丁度良い距離感は存在しない。外的な影響に左右されるから。タイミング次第で良し悪しは変わる。

皆まで言わないことはユーモラスだけれどそれではあまりに排他的である。

誰かが独りぼっちの人がいる空間は居心地が悪い。僕が独りぼっちでいることはその限りではない。

感覚派のアーティストも理論を勉強した方が良い。優れた感覚は理論に帰属する。

レシピ本ってどうしてそれを入れるのか、どうしてその工程を挟むのかを具に書いて欲しい。

父に似た自分を知って少し怖くなる。父のように仕事はできないと思うから仕事ができない少し嫌なおじさんになってしまうかもしれない。どうしよう。

目標がないと原動力が罰則になってしまう。

誕生日って偽装してもばれる事なさそう。誰にも言わずに嘘をつき続けてみようかな。

刑務所って世の中のミニチュアみたいだ。

悪であることを自認し開きなった人は最強で最悪だ。どうかやめてください。

人と繋がっていない心地よさは大きい。自由に呼吸ができる。

虫歯かどうかを決めるのは歯医者だ。僕には判断しかねる。

なんか歌ってたら褒めてもらえてラッキー

能動的な思いやりは苦手だ。

味が苦手でもその食べ物を好きになって良い

成人式に来いと言ってくれた友達がいなければ僕は本当にダメになっていたと思う。

陰謀論を陰謀論として手放しに否定することも大概だとは思う

文字でのやり取りってニュアンスが全部なくなってしまうな。だから感情を後付けすることもできる。

監視されてるくらいがちょうどいいです

なんでみんな責任が嫌いなのにわざわざ感じてるんだろう

カラオケの採点AIに感情をこめろと言われた。本当にうるさい。君に何が分かる

何してても他のこと考えてしまうのに人と話すときは何について考えたらいいのか分からなくなってしまう。

父も母も弟も嫌いではないが家族がなんとなく嫌だと思うことがある。

M1の審査員僕もやりたい。

承認欲求は誰もが持っているはずなのに生々しく、垣間見えるとグロテスクだと思ってしまう。

小学生の頃、プレゼントをくれるのは誰か、ではなくサンタさんがいるかどうかを聞かれたため、「いると思う」と答えたところ馬鹿にされたことがある。本当は親なんだと言われ、それはサンタさんがいるかどうかとは関係がないと言ったらまた馬鹿にされた。

小学生の頃、椅子に画びょうが置かれていたことがある。僕が誰かに何か良くないことをしてしまっただろうか。

小学生みたいな替え歌を無意識に口ずさんでしまうことがある。まずい。聞かれない様にしなければいけない。

休日でも着替えた方が良い。気分は変わる。

オフ会って怖い。仮想空間ではアバターの僕が全部だから。

悪口聞いてもらうって相手には損害だ

ウザがらみって嬉しい。絡まれることがあんまりないから

鬱憤がペラペラ。実際そんなに嫌な事多くない

マジックが好きだとババ抜きとか大富豪で不利になる。冗談でも疑われることがあるから潔白を維持し続ける必要があったりする。

楽しいンゴねぇ~って言ってたの弟に聞かれていた。殺してクレメンス

正解がなくとも良し悪しはあって、その基準は曖昧なのにみんな同じだと思ってる人が結構いるのかも

これからもよろしくって嫌な約束だ

過ぎたるは猶及ばざるが如しって僕が思いついたのかと思った。

どっちでもいいのは選択肢の解像度が低いから

何の利益も齎さない食事と睡眠には意味があるか?至極エゴイズムな営みであることを家族は潔しとするか?食料を無駄にし寝汗で布団を汚すだけなのに家にいて良いのか?家族だから?そうあって然るべき、みたいな不文律の元に成り立っている暮らしだとすると窮屈だと思った在り方に生かされているみたいで居心地の良さに嫌気がさす。

10回クイズには引っかかった方が良い。正解していいこと一つもない。

全部が嫌になって外に飛び出したら流れ星を見たことがある。赤信号に飛び出した瞬間に青に変わったことがある。殴り書きの毒を吐いた投稿にいいねがついたことがある。もう歌なんか歌えなくなるくらい喉を乱暴に使って歌ったら褒められたことがある。

時間が解決した悩みって結局何だったのか分からないままになってしまう。

意識しなくてもできることを意識してやると理解が深まる。

文系は雑談でシュレディンガーの猫の話をしない方が良い。

学習は能動的より偶発的な方が自然だと思う。

効率を考えるよりも手を付ける方が早い場合もある。

生で食べて美味しい物って果物だけだ。

肝心なときっていつなんだ

これはなんとなくわかるじゃん?って言われたけど説明できてなくない?と思った。

歯磨きしている間は暇だけれど他のことしない方が良い。

失敗することは良いことだと言われているが成功の方が絶対に良い。

遊ぶ約束ってその日に近づくにつれて大きくなる煩わしさだ

とんかつはそんなに分厚くない方が良い。

新しいことが普通になった。従来の新しさではだめなのかも。

食べ物には刻んだ柚子を乗せた方が良い。

人生100年時代なんて言われているがそんなに生きていてもする事なさそう。年配の人暇そうだし。

全てのことに意味があることは窮屈だと思って突拍子もなく踊ったり寝転がったりしてみたが、これにすら意味があって気が滅入る。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんて言葉があるが、袈裟が不憫でならない。

中途半端な芸は身を亡ぼす

他人のことを知らないまま自分のことを理解できるか。誰も死んでいないのに生きることを唱えられるか。

五月病は確かに存在するが、他の月にも同様の症状は確認される。

何も決まっていないと行動のしようがない。決めることが最初の作業である。

大学の講義は長すぎる。

季節は気温によって決まるものではない。

マジョリティが作った社会だからマジョリティが有利なのは普通だと思う。

感情が言葉に寄ってしまう。表現力の非。

偉人の名言に簡単に影響される人はその名言を理解していない。

野菜は美味しいから食べる。読書は楽しいからする。

努力に必要なのは意識。そうでなければ小学一年生から10年近くほぼ毎日字を書いていたのに綺麗な字が書けないことに説明がつかない。

心配されるのが嫌なら平気な振りよりも休んでいる振りをしなければいけない。

今時方向音痴は言い訳でしかない。

他人と比べる必要はある。置いて行かれているんだから急がなくては駄目。

ちゃんと立ってないやつを持ち上げたら足竦んで落っこちるだけ。

褒め言葉よりも悪口の方が正しい。

心配と偏見はよく似ている。

少しずつ痩せてきた。骨は小さくならない。

運動部が元気なのは運動してるからだったんだ。体を動かすのを止めたら調子が悪くなった。タバコの所為にしていたけれど、吸わなくなってから久しい今も同じ感覚がある。

無駄な時間は過ごすまいと思い、掛け時計を机に置いていたから机で何かしてるときは嫌でも時計が目に入ってくるんだけど、布団で寝てるから視点が床に近くて、すると時計の下半分くらいがみえない。今朝、まだ余裕があると判断したけれど一時間勘違いしていた。一限には間に合わないしせっかくなので家でだらけていた。

世の中の全ての時程を早めた方がいいって友達に言ったら不可能だと言われたんだけど僕は眠くない状態でみんなと遊びたいだけなんだよな。

小学生の頃に吹奏楽部に入りそれからずっと楽器に触れているからなまじ耳が良い。歌を聞くとピッチがずれたことに気づいてしまって興が削がれる。余り良い能力ではないと思った。

小学生の頃いじめの加害者だった友達がいる。今では人気者だけれど、それについて今はどんなことを思うんだろうと考えてしまう。好きな友達だから。

そんなの気にしなくていいよ、みたいなアドバイスは向き合えているのか不安になる。本人が気にしてしまうから悩んでいるのではと思った。気にしないことは放棄することだとも思った。

どうやら教習所でバック駐車しないらしい。絶対にした方が良い。

オリジナリティって人と違うことじゃない。絶対的な自分でいることなのでは。

せっかく人が聞きに来てくれたのに調子が良くないのは如何なものかと思う。そんな風に人と関わるならプロじゃなくてもプロ意識は持つべきだと思った。

ギターから音が出なければギターで悩むことはないのに

僕はそんなに優れた人間じゃない。おびえないで欲しい。仲良くなりたいだけの怪物はこんな気持ちなのかもしれない。

本当に音楽が人を救うのか。結局大抵のことはきっかけでしかなくて、全部自分で導いた結果だと思う。余り神格化してはいけないように思う。

普通の技術とか知識を持っていないと世の中が便利な事に少し怖くなる。

李朝は虎になった。僕は何になれる?

折り畳み傘の利点は折りたためるところだけれど、欠点は折りたたまなければ長傘よりも嵩張るところ。

人がいるところに毒を吐いてはいけないと思う。だから沢山の人と繋がると息苦しくなる。

今となっては人に聞くよりも調べる方が早い。だけれどコミュニケーションの効能はインターネットにはない。

呼び捨てで僕の名前を呼んでくれる年上の人すぐに好きになってしまう。

不安への探求は虚空を見つけることになる。不安が何か分からないまま努力した方が良かった。

黒板に書かれたドラえもんのイラストだとか、小さな紙で作られた鶴だとか、いつまでたっても形を変えていないのは興味の無さと手軽さによるものだと思った。

中学生の頃「笑っていいんだよ」と言われたことがある。コミュニティに属していないからダメなんだと思っていた。

音楽は楽なんだ。一個が短いしなんとなく形式ばっているし理論も発達している。歌うのは真似をすればいいし。

なんで鼻をピクピクさせてるの?と母に聞かれたことがある。無意識だったし僕は鼻の穴の大きさを操る術を持っていない。だから鼻をピクピクさせる練習をした。制御できないと無意識なまま鼻がピクピクしてしまうかもしれないから。

コミュニケ―ションにかかるコストが高い。一つ返答するのに必要な思考の量が人より多いみたい。考えたことを言葉に変換する作業とそれを口に出すまでにフィルターに通す作業が必要。歌は歌詞が決まっているから良い。

集中力が続くのって考えるための筋肉がムキムキなんだろうな。

時給を上げるには声のトーンを一つ上げると良いと父に教わったけれど、僕は長いことバイトをしていない。

カロリー0理論は勿体ない。カロリーが高い食べ物はカロリーを最大限享受するべき。0kcalの食べ物と1000kcalの食べ物のどちらが美味しそうだと思う?

中学生の頃帽子が好きだったんだけど、それを見た友達が自分は帽子が似合わないと言っていた。似合うとかあるのか、と思って帽子を被るのを止めた。

体を動かしていると悪意が牛耳るクラスで一人悶々としていた感覚を忘れてしまいそうになる。

誰かが気遣いをするせいで気遣いをしていない人が生まれる。気を使われることで忍びなく思う人もいる。気遣いは本当に難しい。

虫が膝に止まった。調べてみると害虫らしい。生物のせめぎ合いはどうにもならない。人類はもう引き返せない。相容れない世界で虫に情をかけるとその愚かさが僕を苛む。

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