後藤ひとり

中学での吹奏楽部を卒業してからはずっと部屋で一人でギターとキーボードを弾いていた。音楽は一人でも楽しかった。音楽なら大抵好きだったから流行りの曲も古い曲もクラシックもロックも聞いていた。だけれど僕は、どうしても一人だった。人と話すことが苦手だったから、高校では友達はいたけれどほとんど喋らずに一日を過ごすこともあった。大学生になるとクラスがないからますます一人になった。それが嫌だったわけではない。一人でも楽しめるし映画とかサイゼリヤとかお好み焼き屋とかに一人で行ったりもする。一人でも平気だったけれど、少しだけ気がかりなのが一人は寂しいという不文律。客観視すると一人で鉄板の前に座ってお好み焼きを焼く人ってやっぱり寂しいかしら。そんなときにぼっちざろっくが流行った。後藤ひとりが現れたときは教祖だと思った。一人でもロックンロールができることを世に知らしめてやれ!自分一人の音だけで一世を風靡するロマンを、一匹狼の端麗な生き様を、自由を最大限享受する贅沢を。そうだ。独りとは、音楽とはそういうものだ。原点はいつだってそこにあるんだ。誰だって一人しかいないのだから。後藤ひとりあっぱれ!日本一!沢山の独りぼっちの人生をあんたが変えてやるんだ!と思ったのも束の間あいつすぐバンド入ったね。最悪。僕の高揚はなんだったんだ。ぼっちざろっくとはなんだったんだ。ぼっちちゃんがぼっちだった映像はほんのちょっとしかない。結局仲間たちと和気藹々頑張る話じゃん。なんだよ。一話ではまだバンドなんかしないで一人でギター弾く方が楽しいって一人で音楽ライフを謳歌するのかも、と期待もしたけど無意味だった。確かに僕にも非がある。独りでいることの優位性を世に知らしめて欲しいと思った僕は他人の意見に少なからず反対しているわけだから、一人でいる自由のスペースを削っていることに他ならないとも思う。独りでいることを薦める相手もいないのに。自由を共有したい気持ちはあるんだ。誰かと一緒に遊びに行くこともなかった訳じゃないし。でもぼっちちゃんずるいよ。全部ちゃんと見たけどバンドメンバーと仲良くなってるし成長してる。かわいいメンバーに囲まれて僕もちやほやされたい。本当は僕もちやほやされたい。

二期が来て、バンドメンバーは進学、就職してぼっちちゃんだけ結局一人になって売れない曲をネットで配信してひもじく暮らす最終回だったとしたらもう一度、やっぱり教祖だと崇めることにする。

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